夕顔瀬町
夕顔瀬町 | |
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北緯39度42分31秒 東経141度7分56秒 / 北緯39.70861度 東経141.13222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岩手県 |
市町村 | 盛岡市 |
面積 | |
• 合計 | 0.157125747 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,165人 |
• 密度 | 7,400人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
020-0032[2] |
市外局番 | 019 (盛岡MA)[3] |
ナンバープレート | 盛岡 |
夕顔瀬町︵ゆうがおせちょう︶は、岩手県盛岡市の地名。丁番は持たない単独町名である。住居表示実施済み区域[4]。郵便番号は020-0032[2]。
地理[編集]
岩手県盛岡市南西部に位置する。 域内は住宅地や商店が混在しており、東部には北上川が流れる。歴史[編集]
﹁夕顔瀬﹂の町名は、盛岡砂子によると、前九年の役の際に、安倍貞任がこの地で夕顔に甲冑を着せ、源頼義軍をおびき寄せて不意をついたことに由来するという。 かつて、当地は、北上川渡河地であった。盛岡藩事務日記によると、1656年︵明暦2年︶9月3日に、夕顔瀬橋の渡り初めが行われたという記載がある。しかし、この橋は安定せず、洪水の度に落失していたという。その後、1765年︵明和2年︶9月には、御側役頭大向伊織の考案により、中島を築いて両岸から土橋を架し、以後多くの落失を免れたという。これ以後橋の西側を通る鹿角街道に沿って商店や人家が建ち並び、街道沿いの夕顔瀬橋から北3町程に、片原町と称する商人町が形成された。 1889年︵明治22年︶4月1日、町村制施行により南岩手郡厨川村が発足し、その一部となった。1913年︵大正2年︶6月10日、編入合併により盛岡市の一部となり、1965年︵昭和40年︶に住居表示が実施され、盛岡市木伏、三十軒、片原、下田、畑中の各一部から、夕顔瀬町が成立、現在に至る。世帯数と人口[編集]
2023年︵令和5年︶7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
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夕顔瀬町 | 642世帯 | 1165人 |