大井海軍航空隊
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大井海軍航空隊︵おおいかいぐんこうくうたい︶は、日本海軍の部隊の一つ。偵察機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した。
沿革[編集]
海軍は対米英戦備の大増強を画策し、通称﹁④計画﹂を立案した。この中に偵察機搭乗員の訓練部隊のひとつとして、静岡県榛原郡川崎町に飛行場を建設し、航空隊を設置することが決定した。牧之原台地上の茶畑を接収し、比較的平坦な飛行場を増設することに成功した。 ●1942年︵昭和17年︶4月1日 大井飛行場で開隊、第一三連合航空隊を新編・編入。 ●1942年︵昭和17年︶11月30日 土浦海軍航空隊卒業生︵29期飛行練習生偵察専修︶入隊。1943年︵昭和18年︶8月卒業。 ●1943年︵昭和18年︶2月頃 整備学生に航空機実習。 ●1943年︵昭和18年︶7月頃 飛練32期・33期の偵察専修生入隊。32期は11月卒業。上海に大井空上海分遣隊を設置。三重海軍航空隊卒業の甲飛10期偵察専修生を転出。 ●1944年︵昭和19年︶1月15日 上海分遣隊独立、上海海軍航空隊設立。 ●1944年︵昭和19年︶7月25日 土浦空より甲飛13期前期偵察専修生入隊、飛練39期生として練成開始。 ●1944年︵昭和19年︶年9月1日 土浦空より甲飛13期後期偵察専修生入隊、飛練40期生として練成開始。この頃より館山海軍航空隊大井派遣隊が進出。遠州灘の哨戒・掃討に従事。 ●1944年︵昭和19年︶11月1日 三重空奈良分遣隊より甲飛13期後期偵察専修生入隊、飛練41期生として練成開始。 ●1945年︵昭和20年︶3月25日﹁天一号作戦﹂発動にともない特攻編制下令。白菊を供出し、3個中隊を編制、﹁八洲隊﹂と命名。 ●1945年︵昭和20年︶4月6日﹁菊水一号作戦﹂発動。八洲隊に特攻待機下令。 ●1945年︵昭和20年︶一三連空を第一三航空戦隊に改編、第三航空艦隊に転籍。 ●1945年︵昭和20年︶6月25日 菊水作戦終了、八洲隊の特攻待機を解除。以後、大井・鈴鹿両飛行場で航法訓練に従事。 ●1945年︵昭和20年︶7月頃 八洲隊2個中隊、峰山・竹ノ下(愛媛県温泉郡拝志村)に進出。第五航空艦隊指揮下。 ●終戦後武装解除・解隊 連日の空襲で施設は壊滅的な被害を受けていたが、細々と訓練は実施されていた。八洲隊は待機状態のまま終戦を迎え、出撃する機会はなかった。航空隊跡は元の耕作地へと復旧され、茶畑となった。当時の遺構・遺物が比較的多く残され、牧之原コミュニティセンターにはエンジンや車輪などの部品も展示されている。主力機種[編集]
●九〇式機上作業練習機 ●白菊 その他、第一線を離れた九七式艦上攻撃機などの攻撃機・陸上偵察機。歴代司令[編集]
- 松岡知行 大佐:1942年(昭和17年)4月1日-
- 三好恒 大佐:1942年(昭和17年)11月1日-
- (兼)市丸利之助 少将:1944年(昭和19年)5月1日-
- 神岡重雄:1944年(昭和19年)7月1日-
- 奈良孝雄:1944年(昭和19年)8月7日-戦後武装解除・解隊