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大来皇女

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大来皇女
時代 飛鳥時代
生誕 斉明天皇7年1月8日661年2月12日
薨去 大宝元年12月27日702年1月29日
別名 大伯皇女
父母 父:天武天皇、母:大田皇女
兄弟 十市皇女高市皇子大来皇女草壁皇子大津皇子忍壁皇子
斎宮 天武天皇2年4月14日673年5月5日)- 朱鳥元年11月16日686年12月6日
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  • 巻第2 105~106番(大津皇子がひそかに伊勢神宮に下向してきた時に詠んだ歌)
    • わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
      • 吾勢祜乎 倭邊遣登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
    • 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
      • 二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武
  • 同163~164番(大津皇子薨去後、退下・帰京途上で詠んだ歌)
    • 神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに
      • 神風乃 伊勢能國尓母 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓
    • 見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに
      • 欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓
  • 同165~166番(大津皇子を二上山に移葬したときの歌)
    • うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む
      • 宇都曾見乃 人尓有吾哉 從明日者 二上山乎 弟世登吾將見
    • 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありといはなくに
      • 礒之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓

血縁[編集]

小説[編集]

  • 小説『大津皇子―二上山を弟(いろせ)と』(上島秀友