大田正
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大田 正︵おおた ただし、1943年︵昭和18年︶8月10日 - ︶は、日本の政治家。徳島県知事︵1期︶、徳島県議会議員︵4期︶、北島町議会議員︵4期︶を歴任した。
経歴[編集]
徳島県三好市生まれ。徳島県立池田高等学校祖谷分校卒業後、日本専売公社職員、北島町議会議員︵4期︶、徳島県労評青年部長、日本社会党徳島県本部書記次長、社民党徳島県連合幹事長、徳島県議会議員︵4期︶を務めた。 徳島県知事の圓藤寿穂が収賄で逮捕され辞職したことに伴う2002年4月28日の知事選で、吉野川可動堰の完全中止を掲げて無所属︵民主党・日本共産党・社民党推薦︶で立候補。元大塚製薬徳島板野工場長の河内順子︵自由民主党・自由党支持︶、元ゴールドマン・サックス・アセット・マネージメント・ジャパン・リミテッド社長の山崎養世︵無党派︶を破り初当選。従来、徳島は自民党の勢力基盤が強い﹁保守王国﹂の1つとされており、民主・共産・社民の推薦を受けた大田の当選は異例とも言える出来事であった。 2003年3月31日、県政野党の自民・公明両党から﹁公約の後退﹂や﹁県政の混乱﹂などと批判され、議員任期満了直前の県議会において賛成33票・反対9票で不信任決議が可決され失職。出直し知事選に立候補したが、自民・公明推薦の飯泉嘉門に敗れ落選した。参考文献[編集]
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
公職 | ||
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先代 圓藤寿穂 |
徳島県知事 第60代:2002年 - 2003年 |
次代 飯泉嘉門 |