大連高等商業学校
大連高等商業学校 (大連高商) | |
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過去校名 | — |
種別 | 私立、後に官立 |
創立 | 1936年 |
所在地 | 関東州大連市 (現中国遼寧省大連市) |
創立者 | 福海茂太郎 |
初代校長 | 松村行蔵 |
廃止 | 1946年 |
後身校 | なし |
同窓会 | 星浦会 |
大連高等商業学校 ︵だいれんこうとうしょうぎょうがっこう︶ は、1936年 ︵昭和11年︶11月、当時日本の租借地であった関東州大連に設立された旧制専門学校。通称は大連高商。
概要[編集]
●当初は私立で発足し、1941年4月に官立移管された高等商業学校。 ●修業年限3年の本科のほか、1年制の別科 ︵1941年4月廃止︶ を設置した。 ●第二次世界大戦中に大連経済専門学校 ︵大連経専︶ と改称され、工業経営科が新設された。 ●終戦後、校地はソ連軍に接収され、1946年5月、廃校となった。 ●同窓会は ﹁星浦会﹂︵せいほかい︶ と称する。沿革[編集]
私立時代[編集]
●1936年11月17日‥ 福海茂太郎により財団設立。 ●1937年4月18日‥ 大連高等商業学校 第1回入学式。翌19日、授業開始。 ●1937年9月‥ 大亜寮開設。 ●1938年5月‥ 星浦学会発足 ︵新聞部・雑誌部・事業部・研究部︶。大亜寮寮歌 ︵玄界灘の︶ 発表。 ●1938年10月‥ ﹃大連高商論叢﹄ 発刊。 ●1939年4月‥ 新亜寮開設。 ●1939年7月‥ 逍遙歌 ︵夕陽照り添う︶、応援歌 ︵渤海湾に︶ 発表。 ●1940年3月‥ 大連高商同窓会発足。官立時代[編集]
●1941年4月2日‥ 官立移管発令 ︵大連高等商業学校官制‥ 勅令第366号︶。 星浦学会解消、興亜経済研究所が発足。別科 ︵修業年限1年︶ を廃止。 ●1941年5月5日‥ 官立大連高等商業学校開校式。 ●1941年12月‥ 第3回生、繰り上げ卒業。 ●1942年9月‥ 第4回生、繰り上げ卒業。 ●1944年4月‥ 大連経済専門学校と改称、工業経営科を新設。 大亜、新亜、白波の三寮を光明寮に統合。新入生は全寮制となる。 ●1945年9月‥ 第7回生、卒業手続き。校舎・光明寮がソビエト軍に接収される。 ●1946年5月25日‥ 学校存続を断念、在学生 ︵第8、9回生︶ に在学証明書を発行して廃校。校地[編集]
発足当初は早苗仮校舎を使用。1938年9月末に光明台校舎が完成し移転した。校歌 ︵藤山一雄 作詞作曲︶ に登場するのは光明台である。1944年4月、大連経専に改称した際、早苗校舎 ︵旧早苗小学校校舎︶ に移転し、それまでの光明台校舎は光明寮となった。敗戦により、校舎・寮ともにソ連軍に接収され、廃校を迎えた。歴代校長[編集]
●開校準備業務担当‥ 村川澄 ︵1936年11月 - 1937年3月︶ ●初代‥ 松村行蔵 ︵1937年3月 - 1942年12月︶ * 病気により退官 ●第2代‥ 徳重伍介 ︵1942年12月 - ︶ * 元山口高商教授出身者[編集]
●武末悉昌 - 元南海ホークス・西鉄ライオンズ投手 ●大田満男 - 大蔵官僚、元名古屋国税局長、元造幣局長関連事項[編集]
他の官立高等商業学校については高等商業学校#主要な高等商業学校を参照。関連書籍[編集]
- 大連高等商業学校星浦会本部(編) 『大連高等商業学校同窓会名簿』 1994年6月。
- 年譜・校歌楽譜が掲載されている。
- 年譜の出典は、星浦会校史編集委員会(編) 『還らざるふるさと - 大連高等商業学校の記録』 1974年10月 と記されている。