学校法人明治学院
(明治学院から転送)
学校法人明治学院 | |
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明治学院礼拝堂(チャペル) | |
法人番号 | 1010405002184 |
創立者 | ジェームス・カーティス・ヘボン |
理事長 | 山﨑雅男 |
創立 | 1863年 |
所属学校 |
明治学院大学 明治学院高等学校 明治学院東村山高等学校 明治学院中学校 |
所在地 | 東京都港区白金台1-2-37 |
ウェブサイト | 学校法人明治学院 |
プロジェクト:学校/学校法人の記事について Portal:教育 |
学校法人明治学院︵がっこうほうじんめいじがくいん︶は、日本のプロテスタント系のキリスト教主義学校のひとつ。学校法人にして明治学院大学等の設置者。
創立者ジェームス・カーティス・ヘボン博士
学院長は大学・中高の教学全般とキリスト教教育・活動を統括し責任を負う。経営は理事長が最高責任を負う。
概説[編集]
本部は東京都港区白金台。1886年(前身である東京一致神学校まで含めれば1877年)創立。源流はヘボン式ローマ字で知られるアメリカ人宣教師、ヘボン博士の夫妻が1863年に開いた私塾のヘボン塾より始まる。歴史ある大学の一つであり、2013年に創立150年を迎えている。 関係するのは日本キリスト教会と日本基督教団。初期から残る建物であるウィリアム・インブリーが1897年から1922年まで暮らした旧住居、﹁インブリー館﹂は国の重要文化財、記念館︵旧神学部校舎兼旧図書館︶は港区 の指定文化財。島崎藤村を輩出しており、学院歌︵大学、高校︵白金、東村山︶、中学の全てで共通している︶は彼の作詞である。名称の由来[編集]
1886年︵明治19年︶の東京一致神学校、東京一致英和学校、英和予備校の合同時に新校名として﹁一致学院﹂﹁共同学院﹂﹁明治共立学院﹂の3案が示され[1]、同年6月21日の理事会で議論を重ねた結果、植村正久が提案した明治学院を採用することに決定した[2][3]。 ﹁明治学院﹂の意味するところは﹁明けき政治の時代の学問の学校、即ち明けき政治の学校﹂[4]であり、後年編纂された(﹃明治学院九十年史﹄)は﹁明治の時代における学問の殿堂の意で﹃明治学院﹄はまさに明治文化の中に輝くキリスト教教育の代表的学園﹂と評している[5]。歴代学院長[編集]
●初代:J・C・ヘボン︵1887年 - 1901年︶
●第2代‥井深梶之助︵1901年 - 1921年︶
●第3代: 田川大吉郎︵1925年 - 1939年︶
●第4代: 矢野貫城︵1939年 - 1948年︶
●第5代‥村田四郎︵1948年 - 1957年︶
●第6代‥都留仙次︵1957年 - 1962年︶
●第7代‥武藤富男︵1962年 - 1977年︶
●第8代‥島村亀鶴︵1977年 - 1981年︶
●第9代‥平出宣道︵1981年 - 1994年︶
●第10代‥中山弘正︵1994年 - 1998年︶
●第11代‥久世了︵1998年 - 2012年︶
●第12代‥大西晴樹︵2012年 - 2014年︶
●第13代‥小暮修也︵2014年 - ?︶
●第14代‥鵜殿博喜︵現在︶