太田半六
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太田 半六︵おおた はんろく、1874年︵明治7年︶9月26日[1][2] - 1960年︵昭和35年︶10月24日[1][2][3]︶は、大正から昭和期の実業家、政治家。東京瓦斯社長、貴族院勅選議員。
経歴[編集]
千葉県[1][2][4]夷隅郡大多喜城下︵現大多喜町︶で、太田資長︵太田道灌︶の後裔、旧大多喜藩士・太田満直の二男として生まれる[5][6][7]。1894年︵明治27年︶東京専門学校政治科を卒業して[1][2][3][4][6][7]、大蔵省に入省し大蔵属として主税局に配属された[1][2][4][6][7]。 1899年︵明治32年︶に退官し[6]、1900年︵明治33年︶北海道炭礦鉄道に入社し、東京本社販売主任、室蘭出張所長などを歴任[1][2][4][6]。1912年︵大正元年︶に退職し海運業を営む[1][4]。1917年︵大正6年︶経営難の北海道瓦斯からの要請で入社して業績を回復させた[1][4][6]。1919年︵大正8年︶内外紡績、帝国火薬工業、東京海運を創立した[1]。その後、東京瓦斯に入り、取締役、常務、副社長を経て、1945年︵昭和20年︶[注 1]社長に就任した[1][4]。その他、北海道瓦斯社長、日本パルプ製造取締役会長、太田合名会社代表社員、日本瓦斯工業会理事長などを務めた[3][4][5][7]。 1946年︵昭和21年︶9月4日、貴族院勅選議員に任じられ[1][3][4][8]、研究会に属して活動し1947年︵昭和22年︶5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。 その後、公職追放となり[1][4][9]、1950年︵昭和25年︶に解除された[1][4]。墓所は多磨霊園。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『20世紀日本人名事典 あ-せ』488頁、『日本人名大辞典』360頁では昭和19年。
出典[編集]
(一)^ abcdefghijklm﹃20世紀日本人名事典 あ-せ﹄488頁。
(二)^ abcdef﹃日本人名大辞典﹄360頁。
(三)^ abcde﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄107頁。
(四)^ abcdefghijk﹃現代日本朝日人物事典﹄324頁。
(五)^ ab﹃財界二千五百人集﹄316頁。
(六)^ abcdef﹃現代業界人物集﹄190頁。
(七)^ abcd﹃大衆人事録 第14版 東京篇﹄229頁。
(八)^ ﹃官報﹄第5895号、昭和21年9月6日。
(九)^ 総理庁官房監査課編﹃公職追放に関する覚書該当者名簿﹄日比谷政経会、1949年、498頁。公職追放の該当事項は﹁東京瓦斯常務取締役副社長﹂。