宇都宮城釣天井事件

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語り・その1[5]
昔々、江戸時代は初期の頃、宇都宮の近在の村に、与四郎という気立てが良く、腕のいい大工がいた。庄屋に気に入られた与四郎は、その娘・お早との結婚が決まった。ある日のこと、与四郎は庄屋から「日光東照宮に参る将軍様がお泊まりになる部屋を造るのにお前が選ばれた」と知らされ、宇都宮城に上った。城には下野国中から選ばれた30人ほどの大工が集められ、連日連夜豪華な食事が振る舞われた。しかし城外に出ることは固く禁じられ、与四郎はお早に会いたくて仕方がなかった。

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語り・その2[6]
本多正純は、徳川家光の弟である徳川忠長(駿河大納言)の幼少期のお守り役を務め、3代将軍に忠長を立てたいと願ったが、将軍職には家光が就いたので残念に思っていた。そのような折に、家光が徳川家康の7回忌法要のため日光社参に訪れ、帰路に宇都宮で1泊することが決まった。正純は家臣の河村靭負(かわむらゆきえ)と謀り、吊り天井を仕掛けるべく大工を集めた。秘密が漏れぬよう、大工が城外へ出ることを許さなかった。

この大工の中に与五郎という若い大工がおり、庄屋・植木藤右衛門の娘・お稲と恋仲にあった。ある夜のこと、与五郎はあまりの恋しさに城を抜け出し、お稲の元へ向かった。しかし再会は果たせず、吊り天井の完成を待って、1人残らず大工たちは命を奪われた。

お稲は与五郎の亡霊から事の顛末を知らされ、悲嘆に暮れ、与五郎の霊から聞いた話を手紙に書き残して命を絶った。娘の遺書を見つけた庄屋は、その手紙と吊り天井の図面を握り締め、いちもくさんに駆け出した。吊り天井のことを家光に伝えるためである。日光から宇都宮へ向かっていた将軍様ご一行に出会った庄屋は伊井掃部頭(いいかもんのかみ)に急を告げた。

吊り天井のことを知った将軍様ご一行は宇都宮に泊まらずに江戸へ帰り、家光は命拾いした。その後、正純は捕らえられ、処刑されたのだと。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 釣天井(吊り天井)とは、天井を綱などでつり下げておき、標的が部屋にいるときにその綱を切って落とし、標的を押しつぶして殺害する装置のことである。
  2. ^ その3か条とは、城の修築において命令に従わなかった将軍家直属の根来同心を処刑したこと、鉄砲を無断で購入したこと、宇都宮城修築で許可無く抜け穴の工事をしたこととされる[1]

出典[編集]

  1. ^ 「宇都宮市史 近世通史編」23頁
  2. ^ 山本博文『江戸城の宮廷政治』(講談社学術文庫
  3. ^ 福田 2012, p. 86.
  4. ^ 福田 2012, p. 84.
  5. ^ a b 吉成 2011, pp. 10–13.
  6. ^ a b 宇都宮市教育委員会 1983, p. 13.
  7. ^ a b 吉成 2011, p. 13.

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  201281184-86ISBN 978-4-404-04231-6 

    201122586-88ISBN 978-4-88748-234-0 

︿61983265 NCID BN12935053https://utsunomiya-8story.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/06_minwa.pdf :83039162

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