富樫村
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とがしむら 富樫村 | |
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廃止日 | 1935年12月16日 |
廃止理由 |
編入合併 潟津村、粟崎村、鞍月村、米丸村、富樫村、大野町 → 金沢市 |
現在の自治体 | 金沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 石川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,818人 (1920年) |
隣接自治体 | 石川県:金沢市、石川郡額村、三馬村、内川村 |
富樫村役場 | |
所在地 | 石川県石川郡富樫村大字山科 |
座標 | 北緯36度31分42秒 東経136度38分50秒 / 北緯36.52844度 東経136.64725度座標: 北緯36度31分42秒 東経136度38分50秒 / 北緯36.52844度 東経136.64725度 |
ウィキプロジェクト |
富樫村︵とがしむら︶は、石川県石川郡に存在した村。
地理[編集]
●現在の金沢市南部に位置しており、平野部から高台の地域である。現在の泉野・高尾周辺の地域に当たる。 ●1935年︵昭和10年︶に潟津村・粟崎村・米丸村・鞍月村・大野町とともに金沢市に編入合併してからは金沢市の地域となる。 ●富樫村は高台に位置しているため、古くから野菜栽培やタケノコの栽培が行われてきた。現在は住宅地が多く、ロードサイド型の店舗も多い。また、金沢外環状道路の山側幹線︵山側環状︶の全線開通により、交通の要所となりつつある。歴史[編集]
●富樫村の由来は加賀国の荘園である富樫荘から来ており、富樫荘53村の一部である。 ●1488年6月からの長享の乱では富樫政親が高尾城を巡り加賀一向一揆衆と激しい攻防を繰り広げた。しかし、戦資金の枯渇や農民の協力も得られず1489年に自決をすることになった。 ●1889年︵明治22年︶に地黄煎︵じおうぜん︶・円光寺︵えんこうじ︶・山科︵やましな︶・高尾︵たかお︶・伏見新︵ふしみしん︶・窪︵くぼ︶・清瀬︵きよせ︶・坪野︵つぼの︶・寺地︵てらじ︶・倉ヶ岳︵くらがたけ︶の10村が合併して富樫村が発足した。その後、1935年︵昭和10年︶に金沢市に編入合併してからは地黄煎以外の大字は金沢市の町名としてそのまま継承され、大字地黄煎は富樫町︵現在の金沢市富樫︶に改称された。 ●世帯数は291戸、人口は1,818人︵ともに1920年当時︶。沿革[編集]
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制の施行により、地黄煎村、円光寺村、山科村、高尾村、伏見新村、窪村、清瀬村、坪野村、寺地村及び倉ヶ岳村の区域をもって、富樫村が発足する。 ●1935年︵昭和10年︶12月16日 - 潟津村、富樫村、粟崎村、米丸村、鞍月村及び大野町が金沢市に編入する。現在の町名[編集]
住居表示実施地域 ●円光寺本町、山科の全域と弥生、泉が丘、円光寺、富樫、寺地、伏見台、長坂台、有松、泉野出町の各一部。 住居表示未実施地域- 角川日本地名大辞典 17 石川県 - 角川書店
- 「書府太郎」石川県大百科事典改訂版 - 北國新聞社
- 金沢・町物語 町名の由来と人と事件の四百年 - 能登印刷出版部