小出三郎 (陸軍軍人)
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小出 三郎︵こいで さぶろう、1875年︵明治8年︶5月4日[1] - 没年不詳[1]︶は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧松阪市初代市長。
経歴[編集]
三重県出身[1][2]。1896年︵明治29年︶11月26日、陸軍士官学校︵8期︶を卒業し[1][3]、1897年︵明治30年︶6月28日陸軍歩兵少尉に任官された[3]。中尉進級後の1902年︵明治35年︶8月9日陸軍大学校に入学するが、小出の属する第19期生は日露戦争期であったため1904年︵明治37年︶2月9日一時中退し1906年︵明治39年︶3月20日復校し、歩兵大尉任官を経て1907年︵明治40年︶11月30日卒業した[1][2][4]。 1918年︵大正7年︶7月、歩兵大佐に進級し歩兵第53連隊長に就任[2]。1919年︵大正8年︶3月、歩兵第17連隊長となりシベリア出兵に参加したが、間もなく撤兵となり復員した[1][2]。1922年︵大正11年︶8月、陸軍少将に進級と同時に待命となり、1923年︵大正12年︶3月、予備役に編入された[1][2]。 1926年︵大正15年︶11月、三重県飯南郡松阪町長に就任し、1930年︵昭和5年︶11月に再選され、この間、飯南郡町村会会長を務めた[5]。1933年︵昭和8年︶2月、松阪町の市制施行に伴い松阪市長臨時代理を務め、同年3月、旧松阪市の初代市長に就任し、1期在任して1937年︵昭和12年︶3月に退任した[5]。 戦後、公職追放となった[6]。栄典[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdefg﹃日本陸軍将官辞典﹄295頁。
(二)^ abcde﹃陸海軍将官人事総覧 陸軍篇﹄136頁。
(三)^ ab﹃陸海軍将官人事総覧 陸軍篇﹄132、136頁。
(四)^ ﹃日本陸海軍総合事典﹄第2版、554-555頁。
(五)^ ab﹃日本の歴代市長﹄第2巻、639頁。
(六)^ 公職追放の該当事項は﹁翼賛体制協議会構成員翼壮松阪市﹂。︵総理庁官房監査課 編﹃公職追放に関する覚書該当者名簿﹄日比谷政経会、1949年、271頁。NDLJP:1276156。 ︶
(七)^ ﹃官報﹄第4289号﹁叙任及辞令﹂1897年10月16日。
(八)^ ﹃官報﹄第4948号﹁叙任及辞令﹂1899年12月27日。