小利別駅
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小利別駅 | |
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駅ホームと駅舎(2004年1月) | |
しょうとしべつ Shō-Toshibetsu | |
◄川上 (6.3 km) (15.9 km) 置戸► | |
所在地 |
北海道足寄郡陸別町字利別川上94 北緯43度35分17.42秒 東経143度40分46.10秒 / 北緯43.5881722度 東経143.6794722度 |
所属事業者 | 北海道ちほく高原鉄道 |
所属路線 | ふるさと銀河線 |
キロ程 | 93.5 km(池田起点) |
電報略号 | トヘ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1911年(明治44年)9月25日[1] |
廃止年月日 | 2006年(平成18年)4月21日 |
備考 | ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅 |
小利別駅︵しょうとしべつえき︶は、北海道足寄郡陸別町字利別川上94[2]にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はトヘ。事務管理コードは▲110515[3]。
歴史[編集]
●1911年︵明治44年︶ ●9月25日‥鉄道院網走線の淕別駅 - 野付牛駅延伸に伴い開業[4][5]。一般駅[6]。 ●11月18日‥線名改称。池田 - 網走間を網走本線とする。 ●1949年︵昭和24年︶6月1日‥公共企業体である日本国有鉄道に移管。 ●1961年︵昭和36年︶4月1日‥路線の呼称変更により[7]、池北線の駅となる。 ●1968年︵昭和43年︶10月1日‥駅舎改築[8]。 ●1971年︵昭和46年︶10月1日‥貨物取扱い廃止[1]。 ●1977年︵昭和52年︶4月28日‥無人駅︵運転要員のみ配置︶となる[9]。荷物取扱い廃止し[10]、同時に出札・改札業務を停止。 ●1986年︵昭和61年︶ ●10月31日‥この日をもって交換設備を廃止[11]。運転業務も終了。 ●11月1日‥無人化[12]。 ●1987年︵昭和62年︶4月1日‥国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承[1]。 ●1989年︵平成元年︶6月4日‥経営移管により、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅となる[13][14]。 ●1990年︵平成2年︶12月17日‥コミュニティ施設併設駅舎に改築[15]。 ●2006年︵平成18年︶4月21日‥ふるさと銀河線の廃線にともない駅廃止。駅名の由来[編集]
「利別(トゥㇱペッ)」については「利別川」を参照
地名より。当地を流れる利別川支流のアイヌ語名、﹁ポントゥㇱペッ︵pon-tuspet︶﹂︵子なる・利別川︶﹂の和訳から[5][16]。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。1986年︵昭和61年︶10月31日までは千鳥状の相対式ホーム2面2線を有する交換駅で[11]、その他駅裏に貨物積卸線、駅舎横の池田側に貨物ホームと引込み線を有していた。これらの線路と貨物ホームは交換設備運用廃止後に撤去されたが、反対側の旅客ホームは残っていた。池田方の線路は転轍機の名残で湾曲していた。 駅舎はコミュニティーセンターと合築になっていた。ふるさと銀河線沿線自治体ではふるさと創生事業の一環[17]で駅舎改築などを行っており、その第1号として1990年︵平成2年︶12月17日に供用を開始したものであった[15]。駅周辺[編集]
小利別の集落が存在する。 ●国道242号 ●北海道道620号苫務小利別停車場線 ●北海道北見バス 小利別バス停 ●日産自動車陸別試験場駅跡[編集]
●2015年︵平成27年︶7月時点では、駅舎は引き続きコミュニティーセンターとして利用されており、待合室の時刻表も廃止当時のまま残っていた。また、線路は撤去されているが旅客ホームは2面共に残っていた。 ●2020年︵令和2年︶時点では、駅舎は引き続きコミュニティセンターとして利用されているが、ホームは2面とも撤去され、コミュニティーセンターから国道242号線まで、かつての構内を横断する連絡歩道が設置されている。線路跡は前後とも多くのソーラーパネルが設置されている。その他[編集]
●1985年3月8日に放送されたNHK特集で陸別町が﹁日本一寒い町﹂として採りあげられた番組中で、無人化される以前の当駅が紹介された。隣の駅[編集]
北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線 川上駅 - 小利別駅 - 置戸駅 小利別と置戸間の釧北峠︵現・池北峠︶に、1916年︵大正5年︶から1931年︵昭和6年︶まで釧北信号場が置かれていた。また、同一地点に戦後まもない頃︵時期不詳︶から1957年︵昭和32年︶まで釧北仮乗降場が置かれていた。脚注[編集]
(一)^ abc石野哲 編﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編II﹄︵初版︶JTB、1998年10月1日、893頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(二)^ ﹃10年﹄ p. 104
(三)^ 日本国有鉄道営業局総務課 編﹃停車場一覧 昭和41年3月現在﹄日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
(四)^ ﹃官報﹄1911年09月21日 鉄道院告示第71号︵国立国会図書館︶
(五)^ ab﹃北海道 駅名の起源﹄︵第1版︶日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日。ASIN B000J9RBUY。
(六)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 80
(七)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 96
(八)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 101
(九)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 108
(十)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 108 旅客駅化
(11)^ ab﹃JR釧路支社﹄ p. 116
(12)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 117
(13)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 122
(14)^ ﹃10年﹄ p. 105
(15)^ ab﹃10年﹄ p. 31
(16)^ 山田秀三﹃北海道の地名﹄︵2版︶草風館、浦安市︿アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻﹀、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
(17)^ ﹃10年﹄ p. 28
参考文献[編集]
- 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道釧路支社、2001年。
- 『ふるさと銀河線10年のあゆみ』ふるさと銀河線10周年記念事業実行委員会、1999年。