大誉地駅
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大誉地駅 | |
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大誉地駅(2009年7月) | |
およち Oyochi | |
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所在地 | 北海道足寄郡足寄町大誉地本町20-11 |
所属事業者 | 北海道ちほく高原鉄道 |
所属路線 | ふるさと銀河線 |
キロ程 | 66.5 km(池田起点) |
電報略号 | オヨ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1913年(大正2年)10月11日[1] |
廃止年月日 | 2006年(平成18年)4月21日 |
備考 | ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2f/Oyochi_eki.jpg/220px-Oyochi_eki.jpg)
大誉地駅︵およちえき︶は、北海道足寄郡足寄町大誉地本町20-11[2]にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はオヨ。事務管理コードは▲110510[3]。
歴史[編集]
1910年︵明治43年︶の池田-淕別間開業まもなく周辺の山から採石した石材搬出がこの地で盛んになり、本線上に貨車を停車して積込み作業を行っていたが、列車遅延の原因となっていたために当駅が開設された。1915年︵大正4年︶からは王子製紙により淕別の斗満川上流からの流送木材陸揚げ網羽が最寄りの利別川に設けられ、当駅土場まで馬車軌道が敷設されて木材の搬出が盛んな時期もあったが、1919年︵大正8年︶の洪水で被害を被ったために淕別駅土場へ切り替えられた。 1954年︵昭和29年︶12月に駅舎が改築され、この駅舎が廃止に至るまで使用された。この時期が駅の利用の最盛期で、年間約12万6000人が利用していた。以降は地域の人口減少に伴い利用客も減少していった。2006年︵平成18年︶に廃止となった後は、他の目的での利用を模索して駅舎が残されていたが、具体化できなかったため約158万円をかけて2015年︵平成27年︶1月にも解体することになった[4]。年表[編集]
●1913年︵大正2年︶10月11日‥鉄道院網走本線の駅として新設開業[5]。一般駅[5][6]。 ●1949年︵昭和24年︶6月1日‥公共企業体である日本国有鉄道に移管。 ●1954年︵昭和29年︶12月‥駅舎改築[4]。 ●1961年︵昭和36年︶4月1日‥路線の呼称変更により[7]、池北線の駅となる。 ●1977年︵昭和52年︶4月28日‥業務委託化[7]。貨物取扱い廃止[1]。 ●1984年︵昭和59年︶2月1日‥荷物取扱い廃止[8]。 ●1986年︵昭和61年︶11月1日‥無人化[9]。 ●1987年︵昭和62年︶4月1日‥国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承[1]。 ●1989年︵平成元年︶6月4日‥経営移管により、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅となる[10][11]。 ●2006年︵平成18年︶4月21日‥ふるさと銀河線廃線により廃止。駅名の由来[編集]
所在地名より。アイヌ語の﹁オイオッイ︵o-i-ot-i︶﹂︵そこ︹=川尻︺に・それが・多くいる・もの︹=川尻︺︶が転訛した﹁オヨチ︵o-i-ochi︶﹂に由来する[12][13]。 ここで言う﹁イ︵i︶﹂︵それ︶とは恐ろしいものや危険なものを差していう忌み言葉であり、クマやヘビ、ヒシの実を指すが、アイヌ語地名研究家の山田秀三は﹁この場合はot︵ごちゃごちゃいる︶という動詞から見て熊か蛇らしい﹂と解釈している[12]。駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。もとは島式ホーム1面2線を有する構造であったが1線が撤去され、この構造で廃駅を迎えた。駅跡[編集]
廃止後、線路や電線は早期に撤去された。駅舎は前述のとおりしばらく残存していたが、2015年8月時点で既に解体されており︵具体的な解体年月日は不明︶、周辺の縁石などが痕跡として残るのみとなっている。-
2007年7月現在。線路、電線が残る。
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2009年7月現在。線路、電線は撤去。
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2015年8月現在。駅舎が撤去。
駅周辺[編集]
国道から線路跡を挟んだ反対側に大誉地の集落がある。駅跡地も集落側に位置する。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
(一)^ abc石野哲 編﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編II﹄︵初版︶JTB、1998年10月1日、893頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(二)^ ﹃10年﹄ p. 104
(三)^ 日本国有鉄道営業局総務課 編﹃停車場一覧 昭和41年3月現在﹄日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
(四)^ ab“大誉地駅舎解体へ 旧ふるさと銀河線”. 十勝毎日新聞社. (2014年11月21日) 2014年11月21日閲覧。
(五)^ ab﹃官報﹄1913年10月4日 鉄道院告示第86号︵国立国会図書館︶
(六)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 81
(七)^ ab﹃JR釧路支社﹄ p. 96
(八)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 113
(九)^ ﹁通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について︵旅客局︶﹂﹃鉄道公報号外﹄日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
(十)^ ﹃JR釧路支社﹄ p. 122
(11)^ ﹃10年﹄ p. 105
(12)^ ab山田秀三﹃北海道の地名﹄︵2版︶草風館、浦安市︿アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻﹀、2018年11月30日、301‐302頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
(13)^ “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
参考文献[編集]
- 足寄町史 昭和48年発行
- 王子製紙山林事業史 昭和51年発行
- 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道釧路支社、2001年。
- 『ふるさと銀河線10年のあゆみ』ふるさと銀河線10周年記念事業実行委員会、1999年。