出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "小笠原長興" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年6月) |
小笠原 長興︵おがさわら ながおき︶は、播磨国安志藩の初代藩主。忠脩系小笠原家6代。
正徳2年︵1712年︶2月26日、豊前中津藩の第4代藩主・小笠原長円の次男として生まれる。享保元年︵1716年︶、第5代中津藩主で兄の長邕が早世したため、中津藩は無嗣改易となった。ただし、小笠原氏祖先の秀政・忠脩親子の功績︵大坂の陣・天王寺・岡山の戦いで戦死︶を考慮した幕府によって特別に、長邕の弟・長興が同年10月12日、宍粟郡や佐用郡など播磨安志藩1万石に減知・移封の上で、家の存続が許された。
藩政としては、安志陣屋︵現在の姫路市立安富中学校︶の建設や学問の奨励によるのちの明倫堂創設、講師を招聘するなどの事跡がある。
生来から病弱で継嗣もなかったため、享保15年︵1730年︶3月29日に幕府に対して所領の返還を申し出た。しかし、幕府は特別に養子を取ることを許し、同年12月11日に一族の小倉藩主・小笠原忠基の次男・長逵に家督を譲って、長興は隠居した。その後は純覚と号した。
天明6年︵1786年︶6月24日に死去した。享年75。墓所は東京都練馬区桜台の円満山広徳寺。
- 父:小笠原長円(1676年 - 1713年)
- 母:不詳
- 側室:松室氏
- 養子
- 男子:小笠原長逵(1713年 - 1770年) - 小笠原忠基の次男
- 女子:小笠原長逵正室 - 妹、小笠原長円の娘
小笠原氏 安志藩初代藩主 (1716年 - 1730年) |
---|
|