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張元至

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

張元至
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長6年8月27日1601年9月23日
改名 張思朝→張元至
別名 通称:唐兵衛尉→六左衛門尉
官位 讃岐守
主君 毛利輝元秀就
氏族 張氏
父母 父:張忠
兄弟 元至、女(堀加賀守室)、女(粟屋元信室)
秋穂下野守の娘
元貞元令市郎左衛門、女(粟屋元金室)
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脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 名前の「元至」の読み方は、音読みで「げんし」なのか、「もとよし」のような日本風の読みなのかは不明。ただし、孫の就貞元貞の子)が毛利秀就から「就」の字を与えられて「就貞」と名乗っているなど、少なくとも子孫は日本風の名前を名乗っているようである。

出典[編集]

  1. ^ 光成 2016, pp. 210.
  2. ^ 光成 2016, pp. 228.
  3. ^ 光成 2016, pp. 212、278.
  4. ^ 光成 2016, pp. 213.
  5. ^ 光成 2016, pp. 279.
  6. ^ 『防長風土注進案』
  7. ^ a b 光成 2016, pp. 314.

出典[編集]

  • 光成準治『毛利輝元 西国の儀任せ置かるの由候』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2016年5月。ISBN 978-4-623-07689-5 
  • 岡部忠夫萩藩諸家系譜』(マツノ書店1999年復刻)
  • 萩藩閥閲録』巻78「張久左衛門」