慈恵看護専門学校
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慈恵看護専門学校 | |
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北緯35度39分43秒 東経139度45分2.9秒 / 北緯35.66194度 東経139.750806度座標: 北緯35度39分43秒 東経139度45分2.9秒 / 北緯35.66194度 東経139.750806度 | |
英称 | Nursing School of The Jikei |
過去の名称 | 慈恵高等看護学院 |
学校種別 | 専門学校 |
設置者 | 公益社団法人東京慈恵会 |
校訓 | 慈恵の精神 「つねに人びとの幸を願いそのために献身する」 |
創立者 | 高木兼寛[1] |
共学・別学 | 男女共学(2022年4月以降) |
学校コード | H113310300016 |
所在地 | 〒105-8461 |
公式サイト | 慈恵看護専門学校(グループサイト) |
Portal:教育 プロジェクト:学校/専修学校テンプレート |
慈恵看護専門学校 ︵じけいかんごせんもんがっこう、英語: Nursing School of The Jikei︶は、公益社団法人東京慈恵会が運営する看護専門学校。東京都港区西新橋3丁目25番8号に本部があり、東京慈恵会医科大学西新橋キャンパスと東京慈恵会医科大学附属病院︵臨地実習︶に併設されている。
学生数306人︵2021年5月1日時点︶[2]。
概要[編集]
日本で初めて創設された看護教育機関であり[1]、その看護教育の歴史は130年以上にわたっている。看護婦教育所・講習所・養成所時代の卒業者︵1888︵明治21︶年から1951︵昭和26︶年まで1,445人︶、慈恵高等看護学院発足以降の卒業者︵本科・1部 3,834人︵第64期 2016︵平成28︶年まで︶、別科・2部 1,501人︶[3] を含めて、総勢約7,000人に上る卒業者を世に送り出している。歴史[編集]
<主な出典‥慈恵看護教育年表[4]の他[5][6][7]>
●1885年10月[注釈 1] - 有志共立東京病院︵現在の東京慈恵会医科大学附属病院︶に、有志共立東京病院看護婦教育所を開校。
●1887年4月 - 有志共立東京病院看護婦教育所が、東京慈恵医院看護婦教育所と改称。
●1904年9月 - 東京慈恵医院産婆養成所を設置。
●1907年7月 - 東京慈恵医院看護婦教育所・東京慈恵医院産婆養成所が統合され、東京慈恵会看護婦教育所が開校。
●1925年7月 - 東京慈恵会医科大学附属東京病院看護婦講習所が開校。
●1943年4月 - 東京慈恵会看護婦教育所に保健婦養成専攻科を設置。
●1947年4月[11] - 東京慈恵会医科大学附属東京病院看護婦講習所と東京慈恵会看護婦教育所が合併し、東京慈恵会医科大学附属病院看護婦養成所と改称︵同年10月に認可、開校︶。
●1947年6月 - 東京慈恵会医科大学附属病院看護婦養成所の専攻科︵保健婦養成︶を廃止。
●1950年4月 - 東京慈恵会医科大学附属病院が看護婦養成所に代わる慈恵高等看護学院を設立︵同年9月、甲種看護婦養成所として認可︶。東京都港区芝愛宕町2丁目105番地に位置。
●1955年3月 - 慈恵高等看護学院の設置者を学校法人慈恵大学より[12] 社団法人東京慈恵会に移管。
●1963年5月[13] - 准看護婦対象の2年課程・夜間定時制である﹁別科﹂︵1973年9月に﹁2部﹂と改称︶を併設︵同年9月、開学︶。
●1965年8月 - 慈恵高等看護学院校舎・恵和寮が竣工。
●1977年3月 - 学校教育法の改正︵専修学校制度新設︶に伴い、慈恵看護専門学校︵1部・2部︶と改称。
●1993年10月 - 一般入学試験に加えて高等学校指定校推薦入学試験を開始。
●1996年2月 - 慈恵看護専門学校新校舎︵高木2号館︶が竣工。
●1998年3月 - 慈恵看護専門学校の2部を課程廃止、閉校。
●1999年10月 - 大学卒業者入学試験を開始。
●2004年3月 - 学生寮を廃止[14]。
●2022年4月 - 男女共学に移行[15]。[注釈 2]
交通アクセス[編集]
●東京都交通局三田線御成門駅A5出口より徒歩3分 ●このほか、地下鉄内幸町駅・神谷町駅・虎ノ門駅・新橋駅・大門駅・霞ケ関駅も徒歩圏内。 ●東日本旅客鉄道新橋駅より徒歩12分脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 出典の年表等[6]に、有志共立東京病院看護婦教育所創設は﹁1885︵明治18︶年10月﹂のことと記されているが、他方、慈恵看護専門学校の敷地に建つ﹃看護婦教育所創設之地﹄︵港区指定史跡[8] 1999年10月指定︶の碑文では﹁明治十七年十月東京慈恵會醫科大學祖高木兼寛米人リード女史ヲ聘シ有志共立東京病院構内ニ看護婦育成ノ業ヲ興ス。﹂とある︵﹁明治十七年十月﹂は1884年10月︶。
後者における発祥の時が1884︵明治17︶年10月とされるのは、﹃東京慈恵医院第1報告﹄の記録の中に﹁明治17年10月17日米国婦人リード氏看護法教授の為来院す爾後毎週金、土の両曜日を以て教授の定日とす﹂とあることに由来している。なお、同女史との間で翌1885︵明治18︶年1月7日に2年間の雇用契約が締結されている[9][10]。 (二)^ なお、男子学生の受け入れに関しては、1992年4月に開始した慈恵第三看護専門学校と2014年4月に開始した慈恵柏看護専門学校の方が先行している。
後者における発祥の時が1884︵明治17︶年10月とされるのは、﹃東京慈恵医院第1報告﹄の記録の中に﹁明治17年10月17日米国婦人リード氏看護法教授の為来院す爾後毎週金、土の両曜日を以て教授の定日とす﹂とあることに由来している。なお、同女史との間で翌1885︵明治18︶年1月7日に2年間の雇用契約が締結されている[9][10]。 (二)^ なお、男子学生の受け入れに関しては、1992年4月に開始した慈恵第三看護専門学校と2014年4月に開始した慈恵柏看護専門学校の方が先行している。
出典[編集]
(一)^ ab坪井良子, 平尾真智子, 佐藤公美子, 清水祐子 (2000年). “日本の初期看護教育にF .ナイチンゲールが与えた影響──使用されたテキストと卒業生の看護書から”. 山梨医科大学紀要 (山梨医科大学) 17: 20-25頁 2022年5月9日閲覧. "日本で最初に看護婦教育が開始された有志共立東京病院看護婦教育所は、英国のセント・トーマス病院医学校で5年間の留学を終え、1880︵明治13︶年に帰国した高木兼寛によって1885︵明治18︶年に設立された。"
(二)^ “学生数︵2021年5月1日現在︶”. 学校法人慈恵大学とは. 2022年5月25日閲覧。
(三)^ 慈恵看護教育130年史, pp. 132–134.
(四)^ 慈恵看護教育130年史, pp. 326–331.
(五)^ “沿革”. 慈恵看護専門学校. 2022年5月10日閲覧。
(六)^ ab“歴史・年表” (PDF). 東京慈恵会医科大学130年史. 学校法人慈恵大学. (2011年3月). pp. 3-14. オリジナルの2022年4月25日時点におけるアーカイブ。
(七)^ “大学・病院の沿革──130年の歴史”. ︵看護師パンフレット︶ナイチンゲールの教えを未来の慈恵看護に引き継ぐ. 東京慈恵会医科大学 ナース就職支援室. p. 20頁
(八)^ “看護婦教育所発祥の地”. 港区文化財総合目録. 港区立郷土歴史館. 2022年5月11日閲覧。
(九)^ 慈恵看護教育130年史, p. 326.
(十)^ ミス・リードの生涯, p. 53.
(11)^ 慈恵看護教育130年史, p. 111.
(12)^ 慈恵看護教育130年史, p. 141.
(13)^ 慈恵看護教育130年史, p. 116.
(14)^ 慈恵看護教育130年史, p. 124.
(15)^ “2022年4月より共学となります。” (PDF). 慈恵看護専門学校. (2021年6月5日). オリジナルの2022年5月10日時点におけるアーカイブ。