成形図説
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﹃成形図説﹄︵せいけいずせつ、旧字体: 成形圖說︶は、江戸時代後期の薩摩藩主島津重豪が、臣下の曽槃・白尾国柱らに編纂させた、イラスト付き百科事典のような農書。江戸時代を代表する農書の一つ[3]。文化元年︵1804年︶初版[4]。未完作品。
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桜島大根[11]
2巻には神代文字の一種﹁アナイチ﹂が載っている。
21巻には桜島大根が載っているが、外見が現在のものと異なる[5][11]。理由は定かでない[5]。
21巻には江戸野菜の品川カブが載っており、2000年代品川区での品種復活に寄与した。
成立経緯[編集]
島津重豪が、明和安永年間︵1764年 - 1781年︶藩臣に編纂を命じ[5]、寛政4年︵1792年︶から曽槃が参加、同11年︵1799年︶から白尾国柱が参加した[6]。重豪は他にも多くの編纂事業を命じていた[3]。重豪の目的は、本書を藩内で印刷・頒布し、農業や医学を振興させること、および民の必要物を統治者にわきまえさせることにあった[5]。 当初の計画では、単なる農書でなく、全100巻の百科事典的な書物になるはずだった[5]。しかし文化3年︵1806年︶、編纂所を兼ねる江戸・芝の藩邸が火事の延焼にあい、版木は焼失を免れたものの事業が停滞[5]。これに藩の財政難や政争も重なり[4]、30巻までが完成した状態で事業が解体となる[5]。その後も曽槃だけが江戸で編纂を続けたが、文政12年︵1829年︶、再度の火事で31巻から40巻の版木と原稿が焼失[5]。天保2年︵1831年︶、曽槃は自分の最期が近いながらも未完であることを嘆き[7][5]、その3年後に没した。内容・伝本[編集]
農書的な30巻までが刊行され[4]、複数の刊本が伝わる[8]。構成は、1から14巻が農事全般を扱う﹁農事部﹂、15から20巻が穀物を扱う﹁五穀部﹂、21から30巻が野菜を扱う﹁菜蔬部﹂となっている。版木は、初版の文化元年︵1804年︶から明治元年まで同一のものが使われたが、その後の行方は知れない[9]。 また、未刊の31から45巻が、写本の形で断片的に伝わる[5]。静嘉堂文庫蔵写本には﹁菌部﹂﹁薬草部﹂﹁草部﹂﹁木部﹂﹁果部﹂、東京国立博物館蔵写本には﹁鳥部﹂にあたる内容が含まれている[5]。この﹁鳥部﹂は1932年に土屋喬雄が発見した[6]。伝来経緯としては、鳥飼い趣味を嗜む重豪が、曽槃の遺稿の写しを藩臣︵穂積実と内野儀[6]︶に作らせ私蔵したものと推定される[10]。 項目は基本的に和文で書かれており、和漢の古典籍や﹃東雅﹄﹃庶物類纂﹄などを用いての考証や解説のほか、和名・漢名・オランダ名の対照、そしてイラスト︵図譜︶を多く含んでいる。 イラストは、一般的な刊本では墨刷り白黒だが、一部の特装本は多色刷りでカラフルになっている[5]。これは将軍家や有力大名家への贈呈用だったと推定される[3][4]。ライデン大学には桂川甫賢がシーボルトに贈った彩色本が収蔵されている[1]。上記2つの写本にも彩色が施されている[5]。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Daikon_Seikei_Zusetsu_Agricultural_Catalog_%281793%E2%80%931804%29.jpg/130px-Daikon_Seikei_Zusetsu_Agricultural_Catalog_%281793%E2%80%931804%29.jpg)
主な制作者[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
(一)^ ab“Japanese agriculture in the early 19th century | Digital Collections” (英語). ライデン大学. 2022年4月24日閲覧。
(二)^ 成形圖説. 巻18。NDLJP:2546026/10
(三)^ abc"成形図説". 筑波常治.小学館 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年4月23日閲覧。
(四)^ abcd丹羽 2007, p. 1.
(五)^ abcdefghijklm高津 2017, p. 26-29.
(六)^ abc“科学書院 / 江戸後期・諸国産物帳集成・第19巻 [薩摩]”. www.kagakushoin.com. 2022年4月23日閲覧。
(七)^ 丹羽 2007, p. 3.
(八)^ 丹羽 2007, p. 22f.
(九)^ 丹羽 2007, p. 1;17.
(十)^ 高津 2017, p. 99-103.
(11)^ ab成形圖説. 巻21。NDLJP:2546029/22
(12)^ “﹁若き薩摩の群像﹂から外された2人のプロフィール”. www2.tky.3web.ne.jp. 2022年4月22日閲覧。
(13)^ 松原洋一. “農業百科事典﹃成形図説﹄の挿画を描いたとされる谷山洞龍”. UAG美術家研究所. 2022年4月22日閲覧。
参考文献[編集]
●高津孝﹃江戸の博物学: 島津重豪と南西諸島の本草学︵ブックレット︿書物をひらく﹀︶﹄平凡社、2017年。ISBN 978-4582364460。 ●"成形図説". 筑波常治.小学館 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年4月24日閲覧。 ●丹羽謙治﹁﹃成形図説﹄版本考﹂﹃鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集﹄第65号、鹿児島大学法文学部、2007年。 NAID 120001393135。関連文献[編集]
「島津重豪#参考文献」も参照
- 上野益三『薩摩博物学史』島津出版会、1982年。ISBN 978-4924463059
- 鈴木彰・林匡編『島津重豪と薩摩の学問・文化』勉誠出版〈アジア遊学〉、2015年。ISBN 978-4585226567
- 高津孝「蘭癖大名重豪と博物学」
- 丹羽謙治「島津重豪の出版: 『成形図説』版本再考」
- 安田健編『江戸後期諸国産物帳集成 第19巻 薩摩』科学書院、2004年。ISBN 978-4760301867