指紋
指紋︵しもん、英語: Fingerprint︶とは、指先︵指腹部・指の腹︶にある紋様。
概要[編集]
指紋の形状は人によって全て異なり、終生不変という特徴を持つと言われている。また、掌紋や足紋︵足の裏の紋様︶も同様の特性を持っており、これらを総称して皮膚紋理と呼ぶ。 遺伝子が同じ一卵性双生児同士であっても指紋は異なるが指紋の特徴は遺伝するものであり、人種や地域毎に紋様の出現比率が異なる。日本人の中で最も多く見られる紋様は渦状紋である。 遺伝病である先天性指紋欠如疾患︵en:Adermatoglyphia︶や、ネーゲリ症候群︵en:Naegeli–Franceschetti–Jadassohn syndrome︶、網状色素性皮膚症︵en:Dermatopathia pigmentosa reticularis︶等の発症者は指紋が無いという特徴を持つ[1]。歌舞伎症候群の発症者は蹄状紋増加等特徴的な指紋を有する[2]。 台湾では5世代に亘って先天的に両手両足の指紋が無い一族が発見された。ただし刑事局は溝が浅く肉眼では見えないだけで識別器では判別できるとしている[3]。 個々人で紋様が異なるという特徴から指紋は犯罪捜査や個人認証として利用されている。日本では1908年︵明治41年︶の司法官僚である平沼騏一郎の報告書に基づいて、1911年︵明治44年︶に警視庁が指紋制度を採用した。種類[編集]
- 右蹄状紋
- 左蹄状紋
- 弓状紋
- 弓やりになった線のみで構成されている指紋。一側より他方に向かい、逆流することがない。日本人には少ない。弓状紋はさらに次のように分類される。
- 単純弓状紋
- 突起弓状紋
- 変体紋
- 前記のいずれの分類にも属さない指紋。上下に流れる線で形作られているものや、点または短い線だけで形作られているもの等、極めて珍しい。いわゆる"指紋がない"指紋もこの種類に分類される。
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渦状紋
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蹄状紋
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弓状紋
研究と利用の歴史[編集]
イギリスの医者、植物学者、顕微鏡学者ネヘミヤ・グルー︵en:Nehemiah Grew︶は1684年に指と手のひらの溝構造に関する最初の論文を発表した。1685年にはオランダの解剖学者ゴバルト・ビドロー︵en:Govert Bidloo︶とイタリアの医者マルチェロ・マルピーギは溝構造の解剖学的特徴に関する本を出版した。1788年にドイツの解剖学者ヨハン・マイヤーは指紋が個人の識別に有用だと指摘した。
1823年にプリスロー大学の解剖学者ヤン・プルキニェは9種の指紋のパターンについて議論したが、個人の識別には言及しなかった。1853年にドイツのゲオルク・フォン・マイスナー︵de:Georg Meissner︶は指紋と摩擦の関係について研究した。1880年に天文学者ジョン・ハーシェルの息子ウィリアム・ジェームス・ハーシェル(William James Herschel)はインド総督府に在籍中に世界で初めて指紋の採取を行った。
イギリス人のヘンリー・フォールズ
(Henry Faulds)は、1880年にイギリスの科学雑誌ネイチャーに、指紋に関する研究論文を発表した。フォールズは宣教師として1874年に来日し、現在の東京都中央区築地に居を構え、キリスト教の布教を行うと共に健康社︵現在の聖路加国際病院︶という医院を開設し医療活動に従事した医師でもあった。彼は日本人が拇印を利用して個人の同一性確認を行っている事に興味を持った。
また1877年にモース博士により発見された大森貝塚から出土した数千年前の土器に付着した古代人の指紋が現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めたといわれている[5]。フォールズの研究は日本滞在中に行われ、発表も日本からイギリスへ論文を発送して行われている。このためフォールズの居住地跡には彼の業績を記念して﹁指紋研究発祥之地﹂の記念碑が建てられている。
1892年にフランシス・ゴルトンは指紋の分析と識別に関する詳細な統計モデルを公表し、著書﹃フィンガープリント﹄で法科学に使用するよう提唱した。ゴルトンの指紋研究を学んだアルゼンチンの警察官ファン・ブセティッチ︵en:Juan Vucetich︶は初めて犯罪捜査に指紋を利用した。彼はフランシス・ロハス︵en:Francisca Rojas︶が犯行現場の血痕の中に残した指紋が彼女の物以外ではあり得ないと示し、ロハスは殺人で有罪となった。
1897年にインドで初めて指紋を扱う部局が設置され、指紋が犯罪記録の管理に用いられた。1901年にはこの制度がスコットランドヤードにも持ち込まれ、イングランドとウェールズで指紋を用いた犯罪捜査が始まった。
1908年、日本の監獄局は、全国の監獄に、満期接近の受刑者の指紋を徴取するよう指示した[6]。 1912年、警視庁が指紋採取を行うこととなり、司法省から18万枚の指紋原紙を引き継いだ。
1915年には大阪府下でも犯罪捜査における利用が始まった[7]。1951年7月16日時点で、国家地方警察本部鑑識課が保有する指紋原紙は500万枚を超える数になっていた[8]。
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ウィリアム・ジェームス・ハーシェル
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ヘンリー・フォールズ
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フランシス・ゴルトン
採取と照合[編集]
採取[編集]
粉末法では、対象によって様々な成分と色をしたパウダー︵粉末︶を使う[9]。炭素系のブラックカーボン︵白い表面に使う︶、チタニウム系のホワイトパウダー、アルニウム系のパウダー︵グレイ︶、またはそれらの混合である。さらに、磁気系のパウダーや蛍光するもの、スプレータイプのものもある[10]。また、凹凸のある非多孔質表面上からの遺留指紋を検出する為には気化させたシアノアクリレート︵接着剤︶を利用する[11]。