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本因坊秀和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ほんいんぼう しゅうわ


本因坊秀和
生誕 土屋俊平
1820年
伊豆国君沢郡小下田村
死没 1873年7月2日
墓地 本妙寺
記念碑 伊豆最福寺
別名 土屋恒太郎[1]、日悦(法名)
職業 囲碁棋士
著名な実績 八段準名人
流派 本因坊
子供 本因坊秀悦
本因坊秀栄
本因坊秀元
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黒の太田が中央作戦を敷いてきたのに対し、白の秀和は右辺を白2から6と低位で受け、また下辺も白10から14と反発せずに受け切るという趣向に出た。黒は15と中央を囲うが、この手がよくなかったともいわれ、白は16から18と平易に打って2目勝ちに持ち込んだ。この碁について、弟子の本因坊秀甫は「秀和だから打ってもいいので、これを規範としてはいけない。他の人がこんな打ち方をすると必ず負ける」と述べ、関山仙太夫は「道策丈和の両棋聖が一緒になっても打てない」と感嘆している。

参考文献[編集]

  • 『棋醇』(囲碁名著選集9、池田書店、1979年;囲碁名著文庫7、池田書店 1983年)
  • 荒木直躬『本因坊秀和全集 (全6巻)』誠文堂新光社 1956-60年
  • 小堀啓爾『秀和 日本囲碁大系14』筑摩書房 1975年
  • 福井正明『堅塁秀和』日本棋院 1995年
  • 福井正明「秀和遺譜」(「圍碁」誌 1996年)
  • 相場一宏、福井正明「碁界黄金の十九世紀(第17、22、26、29回)」(「碁ワールド」誌 2003年11月、04年4、7、11月号)
  • 福井正明『名人・名局選 秀和 』誠文堂新光社 2009年

脚注[編集]

外部リンク[編集]