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本因坊秀策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  1255︿182966 - 2810︿186293

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御城碁十九連勝[編集]

西暦 相手 家元 結果
1 1849 安井算知 安井家 先番11目勝ち
2 阪口仙得 阪口家 先番中押し勝ち
3 1850 阪口仙得 阪口家 先番8目勝ち
4 伊藤松和 先番3目勝ち
5 1851 林門入 林家 先番7目勝ち
6 安井算知 安井家 先番中押し勝ち
7 1852 十二世井上因碩 井上家 白番2目勝ち
8 伊藤松和 先番6目勝ち
9 1853 阪口仙得 阪口家 先番中押し勝ち
10 安井算知 安井家 白番1目勝ち
11 1854 十二世井上因碩 井上家 白番中押し勝ち
12 1856 伊藤松和 白番中押し勝ち
13 1857 安井算知 安井家 先番中押し勝ち
14 1858 阪口仙得 阪口家 白番3目勝ち
15 1859 伊藤松和 先番9目勝ち
16 服部正徹 服部家 先番13目勝ち
17 1860 林有美 林家 白番4目勝ち
18 1861 林門入 林家 白番14目勝ち
19 林有美 林家 白番中押し勝ち

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秀策流[編集]


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AI2019 FineArt


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AI55.2563.1KataGo[2]

後世への影響[編集]

因島石切神社の本因坊秀策碑 糸碕神社の本因坊秀策師之碑
因島石切神社の本因坊秀策碑
糸碕神社の本因坊秀策師之碑

江戸時代までは棋聖と呼ばれていたのは道策と本因坊丈和の2人であったが、明治以降から秀策の人気が高まり、丈和に代わって秀策が棋聖と呼ばれるようになった。名人になった事はないが、史上最強棋士の候補としてあげる声も多い。

400局ほどの棋譜が秀策のものとして伝えられており、1900年(明治33年)に石谷広策によって『敲玉余韵』としてまとめられた。これを学ぶプロ棋士は多く、韓国李昌鎬も若い頃から秀策の棋譜を熱心に並べ「私は一生かけても秀策先生には及ばないだろう」と語っている。

また漫画『ヒカルの碁』では、主人公の進藤ヒカルに取り憑いた平安の天才棋士・藤原佐為の霊が以前に取り憑いていた人物として登場する。このため同作品のヒットに伴う「囲碁ブーム」とともに、子供たちにも「囲碁史上最強の人物」として親しまれることになった。

広島県三原市の糸碕神社には、江戸時代に秀策の生涯を記念して建立された石碑が現在も残る(『ヒカルの碁』にも登場する)。また因島にある秀策の生家は、現在「本因坊秀策囲碁記念館」となっている。因島の所属する尾道市は、この縁で囲碁を「市技」に指定し、年2回の本因坊秀策囲碁まつりを開いている。

2004年(平成16年)、第一回囲碁殿堂に徳川家康本因坊算砂本因坊道策と並んで顕彰された。

参考文献[編集]

  • 『敲玉餘韵』(囲碁名著文庫8)池田書店 1983年
  • 『完本 本因坊秀策全集』誠文堂新光社 1996年
  • 『秀策』(日本囲碁大系15、石田芳夫解説、田村孝雄著)筑摩書房 1976年
  • 石田芳夫『道策・秀策・呉清源―道を拓いた三大巨星』誠文堂新光社 1987年
  • 福井正明『秀麗秀策 (囲碁古典名局選集) 』日本棋院 1992年
  • 福井正明『名人・名局選 秀策』誠文堂新光社 2008年
  • 高木祥一『秀策極みの一手』日本棋院 2010年

関連作品[編集]

パソコンゲーム
  • 『本因坊秀策 囲碁トレーナー』、日本ソフト&ハード社、PC-8800シリーズ、1983年7月。
  • 『秀策御城碁集』、アシーナソフトウェア、FM-8

脚注[編集]

  1. ^ 『秀策 極みの一手』高木祥一 日本棋院 2010年
  2. ^ 『古碁×AI 秀和と秀策に学ぶ勝負術』マイナビ出版、2021年、11頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]