本多忠利 (岡崎藩主)
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本多 忠利︵ほんだ ただとし、慶長5年︵1600年︶ - 正保2年2月10日︵1645年3月7日︶︶は、三河国岡崎藩主。広孝系本多家3代。
本多康紀の長男。母は松平家清の娘。正室は井上正就の娘。子に本多助久︵長男︶、本多利長︵六男︶、本多利朗︵七男︶、本多利政︵九男︶、本多利義︵十男︶、娘︵太田資次正室︶、娘︵本多重時室︶。官位は従五位下、伊勢守。
大坂夏の陣に父と共に参戦し、戦功を挙げる。元和9年︵1623年︶に父が没したため家督を継ぐ。寛永11年︵1634年︶には6500石を加増されている。
正保2年︵1645年︶1月、遠江国横須賀藩への移封を命じられたが、翌月に46歳で病死した。六男の利長が跡を継いだ。
系譜[編集]
父母 ●本多康紀︵父︶ ●松平家清の娘︵母︶ 正室 ●井上正就の娘 子女脚注[編集]