松井七夫
松井 七夫︵まつい ななお/しちお、1880年3月15日 - 1943年2月20日︶は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
愛知県出身。旧尾張藩士、松井武国・ひさの七男として生まれた。六男はのちに陸軍大将となる松井石根。1899年︵明治32年︶11月、陸軍士官学校︵11期︶を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官。1903年︵明治36年︶8月、陸軍大学校に入学。日露戦争勃発により1904年︵明治37年︶2月、陸大を中退。1906年︵明治39年︶3月、陸大に復校し、1908年︵明治41年︶11月、同校︵20期︶を卒業した。 1921年︵大正10年︶4月、歩兵大佐に昇進し歩兵第23連隊長に就任。1922年︵大正11年︶8月、関東軍高級参謀に転じた。1923年︵大正12年︶11月、奉天特務機関長となる。1924年︵大正13年︶8月、支那政府応聘となり、張作霖の軍事顧問を務め親密な関係にあったが、1928年︵昭和3年︶に張作霖爆殺事件が起きると、暴走した関東軍の行為に不満を示し、日本に帰国した。 1929年︵昭和4年︶12月、歩兵第21旅団長に就任。1930年︵昭和5年︶8月、陸軍中将に進むと同時に待命となり、同月、予備役編入となった。栄典[編集]
●1899年︵明治32年︶11月21日 - 恩賜の銀時計[1]著作[編集]
●述、井上五郎編﹃兄松井石根を語る﹄富士書房、1938年。系譜[編集]
松井家の先祖は、松井信薫︵まつい のぶしげ︶で、駿河国二俣城の城主であった。脚注[編集]
- ^ 『官報』第4920号「彙報-陸軍省-生徒卒業」1899年11月24日。
参考文献[編集]
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。