コンテンツにスキップ

樽廻船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

樽廻船(たるかいせん)とは、日本江戸時代に、主に上方から江戸に酒荷を輸送するために用いられた廻船貨物船)である。菱垣廻船(ひがきかいせん)と並び称される。酒樽積廻船、酒樽廻船、樽船とも呼ばれる。

概要[編集]

摂津国(現・大阪府兵庫県の各一部)は、江戸時代以降畿内における日本酒他所酒)の大産地として発展を遂げた。

その中でも(現・兵庫県神戸市西宮市および芦屋市)をはじめ、伊丹(現・兵庫県伊丹市)、池田(現・大阪府池田市)といった、大阪湾に比較的近い酒処で生産された『下り酒』は、17世紀初頭の時点で早馬による輸送を導入した蔵元もあったと言われるが、多くは大阪湾沿いの湊から大消費地の江戸(現・東京都)まで船で輸送されていた。

江戸時代中期の1694年元禄7年)に不正や海難事故防止のために大坂で二十四組問屋、江戸で十組問屋がそれぞれ結成され、菱垣廻船は両問屋に所属することが義務付けられた。菱垣廻船において酒樽は下積荷物であったが、海難の際に破棄される上積荷物に対する補償は、問屋が共同で負う義務があった。また、腐敗しやすい酒は輸送時間の短縮が重要だったが、多様な荷を乗せる菱垣廻船は出帆するまでに長い日数を必要とした。これらに不満を持つ酒問屋は1730年享保15年)に脱退し、酒専用の樽廻船問屋を結成し、専用船による独自の運営をはじめた。


177077

西西[1]沿鹿[1][1]西[1][1]

188922JR退

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 社外船の発達 (一〜四) 独立自営の船主団 半世紀の財界を顧る時事新報 1931.5.17-1931.5.22(昭和6)、神戸大学附属図書館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]