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津軽と南部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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西 

1868

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1571







232[1]#

495[2]

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沿1km[4]

現在[編集]

津軽と南部の位置(青森県内)
三内丸山遺跡
県立保健大学
県立病院
県立つくしがおか病院
青森県立県民福祉プラザ
青森県男女共同参画センター
青森県動物愛護センター
青森県立自然ふれあいセンター
青森県立白神山地ビジターセンター
青森県立図書館
青森県立郷土館
青森県営浅虫水族館
青森県観光物産館アスパム
青森県近代文学館
青森県立三沢航空科学館
青森県立美術館
三内丸山遺跡センター
あおもり縄文ステーション じょもじょも
青森県営スケート場
青森県総合運動公園
青森県武道館
新青森県総合運動公園
青森県立施設立地分布図

青森県では県の庁舎や県立高校を除いた県立大学、県立病院、県立文化施設、県立福祉施設、県立スポーツ施設の配置が、2024年現在、県庁所在地である青森市に19施設と集中している。この状況に象徴されるような「青森県の行政資源が青森市に集中している」という問題を「津軽と南部の確執」の文脈で捉える考え方もある[5]。しかし、青森市を「津軽」と同一視することに対しては異論もある[6]

青森市は確かに旧津軽郡の領域に含まれるが、津軽郡としては辺境と言うべき位置にある。一旦弘前県として統合されたものが半月余りで青森県に変更されたという上述の経緯も、八戸と弘前のほぼ中間にあたる「県域の中央」への移転という趣旨であり、それは「津軽と南部の境界付近」という趣旨と考えることもできる。

青森市を「境界」とする考え方が妥当だと仮定するならば、行政資源の集中を「津軽と南部の確執」の文脈で捉えることの是非は「南部地方」と「青森市以外の津軽地方」を対比して考えねばならないことになる。この場合、たとえば上述の県立施設の配置については、青森市以外の津軽地方に3施設、南部地方に3施設と比較的均等ということになり、問題は単なる「県庁所在地への一極集中」に過ぎないことになる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 六ヶ所村史編纂委員会編『六ヶ所村史 中』p.77
  2. ^ 葛西富夫『斗南藩史』斗南会津会刊, 昭和46年
  3. ^ 広報あおもり 2013年5月1日号 青森タイムトラベル 第5回 「県都『誕生』への道のり」
  4. ^ 『日本のことばシリーズ2 青森県のことば』編者代表平山輝男, 青森県編者佐藤和之, 明治書院, 平成15年6月, p.47
  5. ^ たとえば、司馬遼太郎街道をゆく』の連載第68回『野辺地湾』
  6. ^ 「小南部領の青森県への編入」に関する事実関係”. 2024年5月19日閲覧。