コンテンツにスキップ

浅井淑子 (教育者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  191774[1] - 198014[1][2]

[]


[1]1934[1][3][3][3]1937[3]1939[1]9[1]

19471976[1]1950[3]

1963[1][1][1]1960~1963[1]1963~19801971[1][1]

[4]

主な公職[編集]

エピソード[編集]

  • 浅井淑子はドレスメーカー学院で、杉野芳子からデザイナーとしての資質のみならず、学校経営や経営方針に至るまで学び取り、以後、杉野芳子と同様自らが学校経営の指揮を執り、夫は理事長としてそれを支えるという体制を採った。
  • 1947年1971年まで17回も北海道各地でファッションショーを敢行したという。
  • 1953年1977年に7度にわたり、欧州米国に自ら進んで服飾の海外研修を行ったという。
  • 夫と共に洗礼を受け「アナスタジア」という洗礼名を持っている。
  • 逝去後、顕彰活動の一環として北翔大学構内の第二体育館横に夫・浅井猛と共に胸像が建っている。

受賞歴[編集]

  • 北海道知事賞(1963年)
  • 北海道知事表彰(1968年)
  • 札幌市民文化奨励賞(1977年)[1]
  • 勲五等宝冠章、北海道開発功労賞(1980年)[1]

家族[編集]


2

[]


, 1949

[]



(一)^ abcdefghijklmno14,19807-12 

(二)^ STV   5西200486ISBN 978-4-89115-134-8 

(三)^ abcde 14,19801-6 

(四)^  14,19801-6 

参考文献[編集]

  • 『追想:浅井淑子を偲ぶ』(学校法人浅井学園編集発行、1985年)p197-202
  • 『学校創立者人名事典』(日外アソシエーツ編集・発行、2007年)p7-8
先代
-
専門学校北海道ドレスメーカー学院院長
初代: 1939年1980年
次代
浅井洋子
先代
-
学校法人浅井学園学園長
初代: 1957年1980年
次代
浅井猛