清水信之
清水 信之 しみず のぶゆき | |
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出生名 | 清水 信之 |
生誕 | 1959年12月14日(64歳) |
出身地 | 日本 |
ジャンル |
J-POP ポピュラー音楽 |
職業 |
キーボーディスト 作曲家 編曲家 |
担当楽器 | キーボード、ギター、ベース、ドラムス |
活動期間 | 1980年(ギタリスト、編曲家)- |
レーベル | キングレコード→ワーナーミュージック・ジャパン |
共同作業者 |
EPO 平松愛理 大江千里 |
清水 信之︵しみず のぶゆき、1959年12月14日 - ︶は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家。ギタリストでもあり、ベースやドラムスなども演奏する。元妻は歌手の平松愛理。
プロフィール[編集]
幼少・青年期[編集]
幼少時よりピアノを習う。なお、小学生の時にピアノを習っていた同級生が後のギタリスト・鳥山雄司である。 東京都立松原高等学校に在学中、後輩のEPO、佐橋佳幸らとバンド活動を行う傍ら、松岡直也に師事。清水がラテン系のアレンジに強い理由は、この頃の経験によるものだといわれている。バンド・﹃紀ノ国屋バンド﹄、サポートミュージシャン時代[編集]
1976年 17歳で﹁紀ノ国屋バンド﹂に加入、アルバム﹃SWEET SENSATION﹄でデビューするも解散。その後、当時の所属事務所﹁アワ・ハウス﹂︵山下達郎、大貫妙子らが在籍︶の新人、竹内まりやのサポートに駆り出される。元愛奴で後のMASHにも参加したギタリスト・青山徹らとバック・バンドを務めるほか、山岸潤史のバンドに参加する。同時に、スタジオミュージシャンとしても活動。編曲家デビュー[編集]
1980年 高校の後輩であるEPOのデビュー・アルバムに編曲家として参加。デビュー曲﹁DOWN TOWN﹂︵シュガー・ベイブのカバー︶は林哲司との共同編曲だったが、アルバム楽曲の約半分の編曲を手掛ける。ソロ・アルバム﹃コーナートップ﹄をキングレコードからリリース。 1981年 松岡直也初のクロスオーバーロックバンド﹁MASH﹂に参加。 1982年 2枚目のソロアルバム﹃ANYTHING GOES﹄をワーナー・パイオニアからリリース。 1983年 EPOのシングル﹁う、ふ、ふ、ふ、﹂の編曲を担当。大ヒットとなる。 EPOとのタッグは、彼女のVIRGIN UK移籍によって一旦絶たれるも、90年代に入ってから再び共演している。 1984年 大村憲司の後継として、大江千里の編曲を担当。大江と清水の出会いとなったのは11月発売のシングル﹁十人十色﹂。 1985年 大江のアルバム﹃未成年﹄より、長きに渡るパートナーとなる。 1989年 - 1990年 大江の﹁redmonkey yellowfish﹂ツアーに、キーボード、ベーシストとして参加。 1992年 HIRA^O SAKIのシングル﹃My Best Friends﹄︵同名コンピレーション・アルバム収録曲︶の編曲を担当。 1994年 平松愛理と結婚。1児を儲ける。 1995年 大江の﹁納涼千里天国﹂でキーボード、ベーシストとして参加。 2005年 8月、平松と離婚。 2007年 牧野由依の﹁スケッチブックを持ったまま﹂[1]に参加。これ以降、音楽プロデューサー・編曲家活動を行う。 2010年 8月、2枚目のソロ・アルバム﹃ANYTHING GOES﹄が28年ぶりにCD復刻盤としてリリースされた。 2011年 中島愛の﹁神様のいたずら﹂[1]で編曲を担当。 2015年 8月19日、編曲家歴35周年記念アルバム﹃LIFE IS A SONG﹄をリリース[2]。 2019年 6月 - 、これまで関わった人気アーティスト・アイドルをゲストに迎えるライブイベント﹁Nobuyuki Shimizu Presents﹂を、渋谷イープラス・リビング・カフェにて開催。ディスコグラフィー[編集]
アルバム[編集]
発売日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | アルバム | 備考 |
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1980年 | キングレコード | LP | SKS-103 | コーナー・トップ | |
1994年2月5日 | CD | KICS 8014 | |||
2013年5月22日 | CD | NKCD-6636 | 2013年デジタル・リマスター盤 | ||
2019年4月13日 | CD | NAS-2060 | |||
1982年 | ワーナー・パイオニア | LP | M-12506 | ANYTHING GOES | |
2010年8月20日 | ワーナーミュージック | SHM-CD | EDGS-52 |