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土御門定通

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凡例

土御門 定通
土御門定通像(三の丸尚蔵館蔵『天子摂関御影』より)
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 文治4年(1188年
死没 宝治元年9月28日1247年10月28日[注釈 1]
別名 源定通、後土御門内大臣
官位 正二位内大臣
主君 後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 村上源氏久我流土御門家
父母 父:源通親、母:藤原範子藤原範兼の娘)
兄弟 源通宗堀川通具久我通光定通中院通方道元?、通行、定親、親縁、雲快、親子
異父姉:在子
養兄弟:証空大江親広
承明門院女房左衛門佐(源成実の娘)
側室:竹殿北条義時の娘)
葉室光親の娘
顕定顕親定済顕良、覚顕、顕雲、通円
養子:顕方
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経歴

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142

3120912112121461218調

31221

殿212361227[1]

31242使殿使殿調

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、実際の死去日は公式発表の2日前の9月26日10月26日)であったとされている。

出典

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  1. ^ 本郷和人『暴力と武力の日本中世史 (朝日文庫) Kindle版』朝日文庫、2020年12月7日、2056頁。