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牧島如鳩

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代表作[編集]

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 款記・印章 備考
主の顕栄 油彩キャンバス 1面 110.0x66.0 1921年(大正10年)以前
松図 紙本墨画 六曲一隻 168.0x378.5 金王八幡宮 1929年(昭和4年)12月 右下に「昭和四年拾弐月大吉 如鳩筆」
涅槃図 油彩キャンバス 150号 朝光寺(伊東市) 1942年(昭和17年)頃 1928年(昭和3年)に亡くなった妻のため10年以上を費やし、妻の菩提寺に納めた。
釈迦誕生図 油彩キャンバス 1面 178.0x222.8 願行寺 昭和20年~35年 戦時下のニコライ堂で「平和祈願を込めて」描き始め翌年一応完成するも、その後も手を入れ続けた作品。顔のモデルは中川宋淵とされる。第31回第一美術展出品。
千手観音 油彩キャンバス 1面 120号 地福院(いわき市) 1948年(昭和23年)
龍ヶ澤大辯才天像 油彩キャンバス 1面 97.0x132.5 個人(足利市立美術館寄託 1951年(昭和26年)3月 いわき市にある龍ヶ澤大辯才天社の御神体として描かれた。
魚籃観音 油彩キャンバス 1面 136.8x205.5 足利市民文化財団 1952年(昭和27年)12月 かつて不漁の続いた小名浜港の漁業組合から大漁を祈願して依頼され、息子の純と共同で制作した作品。絵が完成した際には、トラックの荷台に載せられ町を練り歩いた。その想いが通じたのか、以後魚が取れるようになったという。1999年の展覧会で借用を申し出ると、当時の漁業組合長から真顔で「不漁になるからだめ」と断れたという[2]。2010年に組合が倒産し足利市民文化財団が買い取ったため、東日本大地震でも被害を免れた[3]
観音像 油彩キャンバス 安立寺(いわき市) 1950年代はじめ
如意輪観音 油彩キャンバス 徳蔵院(いわき市) 1950年代はじめ
住吉三神図 油彩キャンバス 1面 50.0x115.0 住吉神社(いわき市) 1957(昭和32年)2月 右下に「昭和丗二年旧正月吉 磐城小名浜 於草野道平氏宅 如鳩牧島謹写」
十字架途上の祝福 油彩キャンバス 1面 117.0x91.0 足利ハリストス正教会 1957年(昭和32年) 第28回第一美術協会出品
山川草木 油彩キャンバス 1面 88.0x145.0 学校法人 電波学園 1958年(昭和33年)
一人だに亡ぶるを許さず 油彩キャンバス 1面 150号 ソ連レニングラード正教 1959年(昭和34年) 第30回第一美術協会展出品
金棺出現 油彩キャンバス 1面 130.3x162.2 教安寺(川崎市) 1961年(昭和36年)
観音来迎 油彩キャンバス 左右2面 各69.8x339.8 教安寺(川崎市 1961年(昭和36年)
誕生 油彩キャンバス 1面 130.0x225.0 祐天寺 1961年(昭和36年)
極楽鳥 絹本油彩 衝立1面 152.0x111.8 願行寺 昭和30年代後半 裏面は「ぶっぽうそう」
観音来迎図 油彩キャンバス 1面 227.5x182.5 願行寺 昭和30年代後半
恵(めぐみ) 油彩キャンバス 1面 193.4x130.1 足利市立美術館 1966年(昭和41年) 第39回第一美術協会展出品
祖師西来 油彩キャンバス 1面 161.0x94.5 足利市立美術館 1968年(昭和43年) 第39回第一美術協会展出品
極楽・地獄図 紙本墨画淡彩 六曲一隻 178.3x346.8 願行寺 極楽図・1972年(昭和47年)/地獄図・1972年(昭和47年)

脚注[編集]



(一)^ 2001p.105

(二)^ 2009p.15

(三)^  19   2015830pp.25,218ISBN 978-4-09-601119-5

参考文献[編集]

  • 江尻潔 「牧島如鳩の宗教画について」『鹿島美術研究(年報第18号別冊)』 財団法人 鹿島美術財団、2001年11月15日、pp.105-124
展覧会図録