田子館
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別名 |
田子前館→牛尾館 田子館→佐々木館 |
城郭構造 | 平山城(居館) |
築城主 | 佐々木(笹木)氏? |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 南部信時 |
主な城主 | 笹木惣左衛門、南部信時、南部信直 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 不明 |
指定文化財 |
田子町指定史跡「田子前館」 田子町指定史跡「田子館」[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 県№443014「田子館」[2] |
位置 | 北緯40度20分18.2秒 東経141度08分43.5秒 / 北緯40.338389度 東経141.145417度座標: 北緯40度20分18.2秒 東経141度08分43.5秒 / 北緯40.338389度 東経141.145417度 |
地図 |
田子館︵たっこだて︶は、青森県三戸郡田子町田子字風張・相米字相米向にあった日本の城。南部氏の田子前館︵たっこまえたて、別名・牛尾館︶と佐々木︵笹木︶氏の田子館︵たっこたて、別名・佐々木館︶の2館の総称。2館は別々に町の史跡に指定されているが[1]、埋蔵文化財包蔵地としては﹁田子館︵たっこだて︶﹂として同一遺跡となっている[2][注釈 1]。
概要
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﹁田子﹂は戦国時代にみえる地名で﹁達戸﹂とも書いた。田子館は、熊原川の支流・相米川の右岸に面した丘陵の、標高120メートルほどの平坦部に立地する東西200メートル×南北120メートル規模の平山城︵居館︶である[2]。城跡は、田子前館︵牛尾館︶は田子町立田子中学校校庭、田子館︵佐々木館︶は畑地になっている。
田子前館(牛尾館)
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田子前館は、明応年間︵1492年-1501年︶に第20代当主・南部信時が引退を機に、同地にあった佐々木氏︵笹木氏︶の居館を接収して南部氏のものとなったと伝えられる[1]。以後およそ100年間、光康・高信・信直まで当主が代々利用した。慶長3年︵1598年︶の﹃館持御支配帳﹄には﹁田子前館 三百石 南部信直﹂とある。
永禄年間︵1558年 - 1570年︶の南部氏内訌時の館主は信直であり、第27代当主となる嫡男の南部利直も同所で生まれた[1]。天正10年︵1582年︶に信直は三戸南部氏26代を継承して三戸城に移るが、その後も別館として使用された。
1984年︵昭和59年︶3月6日に田子町指定史跡[1]。
田子館(佐々木館)
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﹃慶長御支配帳﹄には﹁田子館 二百石 笹木惣左衛門﹂とある。佐々木︵笹木︶氏の館は当初、現在の田子中学校の地点にあったが、同地を南部信時に譲り︵田子前館︶、西側の隣接地に新たに館を建てたと伝わる。
1984年︵昭和59年︶3月6日に田子町指定史跡[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
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●児玉幸多、坪井清足﹃日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田﹄新人物往来社、1980年7月15日。
●︵有︶平凡社地方資料センター﹃日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名﹄平凡社、1982年7月10日。
●﹁角川日本地名大辞典﹂編纂委員会﹃角川日本地名大辞典2青森県﹄角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205。