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石川 総脩︵いしかわ ふさのぶ / ふさなが︶は、伊勢亀山藩の第10代藩主。伊勢亀山藩石川家15代。
嘉永5年︵1852年︶、第8代藩主・石川総紀の四男として生まれる。文久2年︵1862年︶に第9代藩主の総禄が死去したため、その養子として家督を継ぐ。
隠居していた父・総紀と協力して藩政を行い、桑や蚕の栽培、農業政策に尽力した。著書に﹃勧農鎖言﹄がある。元治元年︵1864年︶の禁門の変では山城八幡の守備を務めた。慶応元年︵1865年︶閏5月6日に死去した。享年14。
跡を弟で養子の成之が継いだ。
父母
●石川総紀︵実父︶
●石川総禄︵養父︶
養子
●石川成之 ー 実弟
石川氏 伊勢亀山藩10代藩主 (1862年 - 1865年) |
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関家 |
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奥平松平家 |
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1615年から1620年まで天領
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三宅家 |
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本多家 |
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石川家 |
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板倉家 |
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大給松平家 |
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板倉家 |
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石川家 |
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