福田 (滑川町)
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福田 | |
---|---|
滑川町役場 | |
北緯36度3分57.39秒 東経139度21分37.37秒 / 北緯36.0659417度 東経139.3603806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 比企郡 |
市町村 | 滑川町 |
人口 | |
• 合計 | 1,401人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
355-0803[2] |
市外局番 | 0493[3] |
ナンバープレート | 熊谷 |
福田︵ふくだ︶は、埼玉県比企郡滑川町の大字[4]。郵便番号は355-0803[2]。
地理[編集]
滑川町北部に位置し、滑川と中堀川に挟まれた開析谷の低地及び丘陵地にあたる[4]。北東で土塩、東で山田、南東で羽尾、南で中尾、南西で伊古、西で和泉・菅田、北西で熊谷市小江川と接する。滑川町内の行政区では﹁第1区︵上福田︶﹂と﹁第2区︵下福田︶﹂を合わせた地域が大字福田にあたる。東部は国営武蔵丘陵森林公園、西部は高根カントリークラブのそれぞれ一部となる。地内ではかつて字大木で大谷石に似た荒粒の凝灰岩が切り出され、﹁福田石﹂として販売されていた[5]。この福田石は淡緑色の斜長流紋岩質凝灰岩で、比企丘陵を構成する第三紀・中新世の福田層に属する[5]。加工が容易なため石垣の切石や石燈籠などに用いられたが1971年(昭和46年)頃以降は採掘は中止されている[5][6]。現在採掘場跡は森林霊園の納骨堂として利用されている[5][6]。河川[編集]
●滑川 ●中堀川湖沼[編集]
周辺は埼玉県内でも溜め池の多い地域であり、福田地内にも多くの溜め池、湖沼が存在する。 ●福田大沼 ●大久保沼 ●長沼 ●西沼 ●山城沼 ●金子沼 ●笠沼 ●中在家沼 ●宮入沼 ●下沼 ●上沼 ●皿型沼 ●笹沼 ●土井城入沼 ●鼻田沼 ●梅ヶ入沼 ●新沼 ●南谷沼 - 町内最後のミヤコタナゴ生息確認地。 また、以下の沼は国営武蔵丘陵森林公園内に位置する。 ●がっき沼 ●紺屋前沼 ●分山沼 ●栗谷沼 ●城口沼 ●長沼[要曖昧さ回避] ●城沼 ●新沼山岳[編集]
●高根山 - 標高105m。高根カントリークラブの裏山にあたる。小字[編集]
福田地内の小字は以下のように分かれる[7]。 第1区︵上福田︶ ●両表 ●大木 ●下向 ●下中郷 第2区︵下福田︶ ●馬場 ●小川谷 ●中在家 ●円正寺歴史[編集]
縄文時代より集落が存在し、縄文中後期・古墳時代前後期の集落跡である馬場遺跡や、古墳前後期の集落跡である円正寺・中在家・古姓前・東両表・大木・小川谷・久保田遺跡、古墳後期の台原・矢崎・栗谷・粕沢古墳群が見られる[4]。戦国時代には既に比企郡に属し、明応4年︵1495年︶正月18日銘の真福寺鰐口に﹁奉寄進武州比企郡福田郷 別所真福寺鰐口︵中略︶檀那同所四郎太郎﹂との記述がみられ、また後北条氏の所領役帳である﹃小田原衆所領役帳﹄には小田原北条氏の家臣であり他国衆の上田案独斎の所領として﹁卅一貫六百卅七文 同 福田塩川分 同︵比企郡 福田塩川分 卯検見︶﹂とあり、弘治元年卯に検地を行ったことがわかる[4]。また江戸時代に書かれた﹃新編武蔵風土記稿﹄によれば、古くから水房庄︵水房荘︶・松山領に属したといわれる[8][4]。福田村は徳川家康が江戸入府の後は直轄領であったが文禄元年︵1592年︶より旗本酒井作右衛門重勝の知行として賜る[8]。以降代々作右衛門の知行となったが、天保14年︵1843年︶に天領となり、翌年の弘化元年︵1844年︶に一部が川越藩領になった。嘉永元年︵1848年︶より全域が川越藩領になったが、明治2年︵1869年︶には全域が上野前橋藩領となった[4]。﹁元禄郷帳﹂によれば村高は1,127石余[4]。幕末から明治初期の主な産品は米・大麦・絹・木綿・薪[4]。また、この頃の小名として両表・中郷・湯谷が挙げられる[4]。1889年︵明治22年︶4月1日町村制施行により福田村は近隣の山田村・土塩村・和泉村・菅田村と合併し新たに成立した福田村の大字福田となり、村役場が置かれた[9][4]。1954年︵昭和29年︶11月3日には福田村の宮前村との合併により、滑川村の大字に、1984年︵昭和59年︶11月3日には滑川村の町制施行により滑川町の大字となった。滑川の氾濫により1947年︵昭和22年︶のキャサリン台風、1949年のキティ台風、1966年︵昭和41年︶の台風4号・26号の際に被害を受けている[4]。地名の由来[編集]
この地に土着した源義賢の家臣8人の子孫が13世紀前半の天福年間に義賢の霊を祀り、天福の福と田圃の田をとって﹁福田﹂と称したといわれる[4][8]。沿革[編集]
●文禄元年︵1592年︶ - 旗本酒井作右衛門重勝の知行となる。 ●天保14年︵1843年︶ - 天領となる。 ●弘化元年︵1844年︶ - 一部が川越藩領となる。 ●嘉永元年︵1848年︶ - 全域が川越藩領となる。 ●明治2年︵1869年︶ - 全域が上野前橋藩領となる。 ●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行により近隣の山田村・土塩村・和泉村・菅田村と合併し新たに成立した福田村の大字福田となる。 ●1954年︵昭和29年︶11月3日 - 福田村と宮前村との合併により滑川村の大字となる。 ●1984年︵昭和59年︶11月3日 - 滑川村の町制施行により滑川町の大字となる。世帯数と人口[編集]
2017年︵平成29年︶10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下福田 | 307世帯 | 332人 |
上福田 | 191世帯 | 552人 |
計 | 498世帯 | 1,401人 |
小・中学校の学区[編集]
町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 滑川町立福田小学校 | 滑川町立滑川中学校 |
交通[編集]
鉄道[編集]
地内に鉄道は引かれていない。
バス[編集]
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道路[編集]
●埼玉県道47号深谷東松山線 - 一部は熊谷東松山道路︵旧・熊谷東松山有料道路︶ ●埼玉県道173号ときがわ熊谷線 - 一部は熊谷東松山道路︵旧・熊谷東松山有料道路︶ ●埼玉県道307号福田鴻巣線寺社[編集]
●真福寺 - 天台宗の寺院。山号は石水山[8]。 ●千光寺別院 ●成安寺 - 曹洞宗の寺院。山号は心田山[8]。 ●邨社淡洲神社 - 土塩にある村社淡洲神社とは別の神社。 ●浅間神社 ●熊野神社 ●森林霊園 - 福田石の採掘場跡が納骨堂として利用されている。施設[編集]
●滑川町役場 ●滑川町立滑川中学校 ●滑川町立福田小学校 ●国営武蔵丘陵森林公園 - 園内の西部を占める。 ●滑川福田郵便局 ●東松山警察署滑川福田駐在所 ●滑川町立図書館 ●滑川町エコミュージアムセンター ●滑川町立体育館 ●滑川町総合運動公園 ●福田両表集会所 ●福田馬場集会所 ●福田下向古姓集会所 ●福田小川谷集会所 ●中在家集会所 ●福田円正寺集会所 ●滑川町シルバー人材センター ●高根カントリークラブ脚注[編集]
(一)^ ab“統計資料<ひと>”. 滑川町. 2017年11月2日閲覧。
(二)^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月2日閲覧。
(三)^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
(四)^ abcdefghijkl﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄角川書店、1987年7月再版、PP748-749。
(五)^ abcd﹃埼玉大百科事典 第四巻﹄埼玉新聞社、1975年3月、pp318-319。
(六)^ ab地学団体研究会埼玉支部日曜地学ハイキングの記録・第351回~第360回︵2001年8月~2002年7月︶,2011-05-31閲覧。
(七)^ 区長名簿-滑川町,2011-05-31閲覧。
(八)^ abcde﹃新編武蔵風土記稿巻之百九十四 比企郡之九﹄福田村の条。﹃大日本地誌大系︵十︶新編武蔵風土記稿 第十巻﹄、雄山閣、1957年11月所収。
(九)^ 吉田東伍﹃大日本地名辞書 巻六 坂東﹄、冨山房、1992年9月新装第1刷、p464。
(十)^ “小・中学校の通学区域について”. 滑川町. 2017年11月2日閲覧。
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
菅田 | 熊谷市小江川 | 土塩 | ||
和泉 | 山田 | |||
福田 | ||||
伊古/滑川 | 中尾 | 羽尾 |