竹中駅
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竹中駅 | |
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駅舎(2005年3月) | |
たけなか Takenaka | |
◄中判田 (5.5 km) (5.6 km) 犬飼► | |
所在地 |
大分県大分市大字端登[1] 北緯33度7分17.53秒 東経131度38分58.35秒 / 北緯33.1215361度 東経131.6495417度座標: 北緯33度7分17.53秒 東経131度38分58.35秒 / 北緯33.1215361度 東経131.6495417度 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
所属路線 | ■豊肥本線 |
キロ程 | 17.2 km(大分起点) |
電報略号 | ケナ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
36人/日(降車客含まず) -2016年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)9月1日[2][3] |
備考 | 無人駅[2](自動券売機 有) |
竹中駅︵たけなかえき︶は、大分県大分市大字端登にある、九州旅客鉄道︵JR九州︶豊肥本線の駅である。
歴史[編集]
●1916年︵大正5年︶9月1日‥鉄道院︵後に日本国有鉄道︶犬飼軽便線が中判田駅から延伸された際の終着駅として開業[2][3][4]。 ●1917年︵大正6年︶7月20日‥犬飼軽便線が犬飼駅まで延伸され、途中駅となる[4]。 ●1928年︵昭和3年︶12月2日‥路線名改称に伴い、豊肥本線の駅となる[4]。 ●1962年︵昭和37年︶10月1日‥貨物取扱廃止[3][5]。 ●1983年︵昭和58年︶11月30日‥下郡信号場 - 南熊本間CTC化に伴い、無人化[2][5]。荷物扱い廃止[6]。 ●1987年︵昭和62年︶4月1日‥国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承[3][4]。駅構造[編集]
島式ホーム1面2線を有する地上駅[1]。古くからの木造駅舎は撤去され、互いのホームは構内踏切で連絡している[1]。無人駅となっている[1]のりば[編集]
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | ■豊肥本線 | 上り | 豊後竹田・熊本方面 |
下り | 大分方面 |
利用状況[編集]
- 2012年度の1日平均乗車人員は45人(前年度比-3人)である。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2000 | 81 |
2001 | 72 |
2002 | 69 |
2003 | 70 |
2004 | 64 |
2005 | 61 |
2006 | 57 |
2007 | 47 |
2008 | 49 |
2009 | 43 |
2010 | 44 |
2011 | 48 |
2012 | 45 |
駅周辺[編集]
駅正面の道路を挟んですぐに大野川があり、裏手は山になっている。竹中地区の中心部からは南へ1km以上離れていて、駅周辺は山の手に小規模な集落があるのみである。
その他[編集]
- 南こうせつとかぐや姫のシングル『僕は何をやってもだめな男です』(1972年)のB面の「ひとりきり」で当駅周辺のことが歌われている。
- 中判田駅が1面2線であり、待機線が無い関係上、中判田駅から当駅間において回送列車が運行されている。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcde﹃週刊JR全駅・全車両基地﹄ 38号 大分駅・由布院駅・田主丸駅ほか、朝日新聞出版︿週刊朝日百科﹀、2013年5月12日、25頁。
(二)^ abcd﹁ご苦労さま竹中駅 心尽くしのお別れ式﹂﹃大分合同新聞﹄大分合同新聞社、1983年11月28日、朝刊、15面。
(三)^ abcd石野哲 編﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄JTB、1998年、746-747頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(四)^ abcd朝日新聞出版分冊百科編集部 編﹃週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR﹄ 27号・豊肥本線/久大本線、曽根悟︵監修︶、朝日新聞出版︿週刊朝日百科﹀、2010年1月24日、14-15頁。
(五)^ ab荘田啓介﹃豊肥線物語﹄大分合同新聞社、1987年2月、313-314頁。
(六)^ ﹁日本国有鉄道公示第115号﹂﹃官報﹄17038号、1983年11月18日。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 竹中駅(駅情報) - 九州旅客鉄道