第2リヨン公会議
第2リヨン公会議︵だい2リヨンこうかいぎ︶は、1274年にリヨン︵現在のフランス南東部の都市︶で行われたキリスト教の公会議。十字軍の派遣、正教会との和解、教皇選挙︵コンクラーヴェ︶制度の見直しが話し合われた。イスラム教徒への対抗上招かれたクビライの使節が参加していたことが、後にフランシスコ会員ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノが大都へ赴いて中国に初めてカトリックを伝えるきっかけとなった。
公会議として承認する教派 |
各公会議(括弧内は年度) |
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西方教会および正教会 カトリック教会・復古カトリック教会 および正教会 |
第1ニカイア公会議 (325) · 第1コンスタンティノポリス公会議 (381) · エフェソス公会議 (431) · カルケドン公会議 (451) · 第2コンスタンティノポリス公会議 (553) · 第3コンスタンティノポリス公会議 (680–81) · 第2ニカイア公会議 (787) |
正教会 一部からの承認 |
トゥルーリ公会議 (692) · 第4コンスタンディヌーポリ公会議(第4コンスタンティノポリス公会議) (879–80) · 第5コンスタンディヌーポリ公会議(第5コンスタンティノポリス公会議) (1341–51) · エルサレム公会議 (1672) |
カトリック教会のみ承認 |
第4コンスタンティノポリス公会議 (869–70) · 第1ラテラン公会議 (1123) · 第2ラテラン公会議 (1139) · 第3ラテラン公会議 (1179) · 第4ラテラン公会議 (1215) · 第1リヨン公会議 (1245) · 第2リヨン公会議 (1274) · ヴィエンヌ公会議 (1311–12) · コンスタンツ公会議 (1414–18) · フィレンツェ公会議 (バーゼル公会議も参照・1431–45) · 第5ラテラン公会議 (1512–14) · トリエント公会議 (1545–63) · 第1バチカン公会議 (1869–70) · 第2バチカン公会議 (1962–65) |
改革派教会のみ |
ドルト会議 (1618–19) · ウェストミンスター会議 (1643–49) |
全般 |
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国立図書館 |
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