芦川いづみ
あしかわ いづみ 芦川 いづみ | |
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『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より | |
本名 | 伊藤 幸子 |
生年月日 | 1935年10月6日(88歳) |
出生地 |
日本 東京市滝野川区田端町 (現:東京都北区田端) |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1953年 - 1968年 |
配偶者 | 藤竜也 |
主な作品 | |
『洲崎パラダイス赤信号』 『幕末太陽傳』 『乳母車』 『硝子のジョニー 野獣のように見えて』 『日本列島』 『あいつと私』 |
芦川 いづみ︵あしかわ いづみ、1935年10月6日 - ︶は日本の元女優。本名‥伊藤 幸子︵旧姓‥芦川︶。日活の黄金期を代表する女優として知られる[1]。
来歴[編集]
東京市北区滝野川田端町で生まれる[2]。1952年に法政大学潤光女子高校を中退し[3]、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する[2]。同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた[3]。このとき芸名を﹁芦川いづみ﹂とする[3]。 1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ[3]、川島監督の﹃東京マダムと大阪夫人﹄でデビューする[2]。1955年に川島監督の推薦で[3]、松竹歌劇団を退団して日活に入社する[2]。市川崑監督の﹃青春怪談﹄で日活映画に初出演する[3]。 ﹃幕末太陽傳﹄など川島監督の作品をはじめ[3]様々な役に挑み、松竹から移籍した北原三枝とともに日活を代表する女優となった[3]。浅丘、吉永小百合、中原早苗、笹森礼子と合わせて﹁パールライン﹂と愛称された[4][5]。 1956年に田坂具隆監督の﹃乳母車﹄で石原裕次郎と初共演して[3]爽やかな演技で人気を確かにすると[3]、北原とともに裕次郎映画のヒロインとして欠かせない存在となり[3]、北原の引退後も裕次郎の相手役として活躍した[3]。浅丘ルリ子にそのポジションを譲ってからも、日活を代表する女優として活躍した[3]。1958年の﹃美しい庵主さん﹄で、尼僧を演じるために坊主頭となった[6]。1961年に映画﹃激流に生きる男﹄製作中、共演者の赤木圭一郎が他界して製作が中止された[7]。1962年の﹃硝子のジョニー 野獣のように見えて﹄で、これまで演じたことがない﹁男たちを魅了してやまない流浪の女[3]﹂を演じて新たな魅力を見せた。 1968年に藤竜也と結婚して[2]映画﹃孤島の太陽﹄が引退作となった[2][3]。以後は映画やテレビなどに女優としては出演していない[8]。 2007年11月17日に京王プラザホテルで開催された日活出身の俳優で構成する﹁俳優倶楽部﹂とスタッフらで構成する﹁旧友会﹂の合同パーティーに、渡哲也・浅丘ルリ子・宍戸錠・川地民夫・沢本忠雄・鈴木清順・井上梅次・齋藤武市・舛田利雄らと共に出席して、久々に公の場に姿を見せた。2009年に石原裕次郎の二十三回忌、と南田洋子の死去に際してスポーツ新聞にコメントを寄せる。2018年にデビュー65周年企画として出演した10作品のDVD販売にあたり、DVDで音声解説した[1]。エピソード[編集]
●映画俳優として﹁和製オードリー・ヘップバーン﹂﹁日活の原節子﹂[1]、松竹歌劇団時代は、有馬稲子に顔立ちが似ているが彼女よりもたくましいことから﹁稲﹂ではなく﹁麦﹂だと洒落で﹁おムギ﹂、それぞれ愛称された[9]。 ●1959年︵昭和34年︶3月2日から6日まで開催された﹁ベルリン日本映画芸術の日﹂と3月6日から11日まで開催された﹁ミュンヘン日本映画見本市﹂に出席のため、3月1日に山梨稔︵新東宝専務︶、池広利夫︵大映営業渉外部長︶や大川恵子︵東映︶、大空眞弓︵新東宝︶、小山明子︵松竹︶、司葉子︵東宝︶、若尾文子︵大映︶ら他の映画会社各社代表女優たちと共に、日活代表女優としてプロモーションした。 ●スタジオジブリ作品における宮﨑駿のヒロイン像は、芦川が原点になっている[10][5]。 ●石原裕次郎がプライベートでスキー中に負傷して﹃激流に生きる男﹄に出演不可能となり、代役した赤木圭一郎が撮影中に他界すると、日活は所属俳優らにスキー禁止令を出した。芦川が休みを利用して秘密裏にスキーへ出掛けたことを知る石原は、﹁いずみちゃんスキーしているんだって﹂とからかった[11]。出演歴[編集]
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
●青い怒濤︵1956年︶ ●ひこばえショー 愛すべき狂人たち︵1956年︶ ●拾い育て失う ︵1964年︶ ●おねえさん︵1964年︶ ●信子︵1964年︶ ●結婚について︵1964年︶ ●あした来る人︵1964年︶ ●青春の素顔︵1964年︶ ●陽のあたる坂道︵1965年︶ ●あした来る人︵1965年︶ ●判決︵第172回︶負け犬の遠吠え︵1966年、NET︶ ●結婚記念日︵1966年︶ ●しあわせ︵1966年︶ ●愛妻くん︵第1回︶男らしさ︵1966年︶ ●遠い︵1966年︶ ●愛妻くん︵第7回︶おまかせします︵1966年︶ ●ナショナルゴールデン劇場 ﹁愛しき哉﹂ - 主演︵1966年、NET︶ ●ライオン奥様劇場 ﹁永遠に答えず﹂ - 主演・藤川由美子 役︵1967年、フジテレビ・日活︶ ●東京物語︵1967年︶ ●愛妻くんこんばんは︵第7回︶男の秘密とは… ︵1967年︶ ●志都という女 - 主演︵1967年、TBS・日活︶ ●空に真赤な雲のいろ︵1967年、NET︶ ●日産スター劇場 ﹁京都で逢った人﹂︵1968年、日本テレビ︶ ●大丸名作劇場︵毎日放送制作︶ ●若草物語 - 主演・丹埼かすみ 役︵1968年、日活︶ ●花の恋人たち︵1968年、日活︶ ※最後のドラマ出演バラエティー番組[編集]
●スター千一夜︵フジテレビ︶ ●ズバリ!当てましょう︵フジテレビ︶ ●ジェスチャー︵NHK︶CM[編集]
●サンキョーアルミ ●エルモ社8ミリカメラ文献[編集]
●﹃芦川いづみ 愁いを含んで、ほのかに甘く﹄ 高崎俊夫・朝倉史明編、文藝春秋、2019年。回想インタビューほか注釈[編集]
(一)^ abc“芦川 いづみ”. 日活. 2022年7月18日閲覧。
(二)^ abcdef“<芦川いづみインタビュー>﹃硝子のジョニー﹄では、台本の台詞を色分けして撮影に臨みました”. 文春 (2019年12月3日). 2022年7月3日閲覧。
(三)^ abcdefghijklmno“芦川いづみ”. 映画DB. 2022年7月3日閲覧。
(四)^ “第五回 日活﹁倒産危機を救った元ホテルマン社長の奇策﹂”. 講談社. 2022年7月3日閲覧。
(五)^ ab“芦川いづみ 宮崎駿監督もファン!ジブリの女性像のモデル 和製オードリ・ヘプバーンといわれたことも”. zakzak. 2022年12月7日閲覧。
(六)^ “恋する女優 芦川いづみ アンコール”. 神保町シアター. 2022年7月7日閲覧。
(七)^ “赤木圭一郎生誕80周年、ファンの心の中で生き続ける和製ジェームズ・ディーン”. シネマトゥディ (2019-71-11). 2022年7月18日閲覧。
(八)^ “芦川いづみ 略歴”. Cinenouveau. 2022年7月3日閲覧。
(九)^ 朝日新聞2014年3月2日付﹁日活100年﹂
(十)^ ジブリ映画のヒロイン像は宮さんが大ファンだった芦川いづみが原点︵スタジオジブリ 鈴木敏夫 日刊ゲンダイDIGITAL、2021年4月21日閲覧。
(11)^ 映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.35
(12)^ “青春を返せ | 映画”. 日活. 2020年6月18日閲覧。