宍戸錠
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ししど じょう 宍戸 錠 | |
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![]() キネマ旬報社『キネマ旬報』第284号(1961)より | |
本名 | 宍戸 錠 |
生年月日 | 1933年12月6日 |
没年月日 | 2020年1月18日(86歳没) |
出生地 |
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死没地 |
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身長 | 174 cm |
血液型 | B型 |
職業 | 俳優・タレント・司会者 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ |
活動期間 | 1955年 - 2020年 |
活動内容 |
1954年:日活ニューフェース 1955年:『警察日記』でデビュー 1959年:『ギターを持った渡り鳥』 1960年:『拳銃無頼帖 抜き討ちの竜』、『海から来た流れ者』 1961年:『ろくでなし稼業』 1994年:『私立探偵濱マイク』シリーズ |
配偶者 |
宍戸游子(本名・宍戸昌子) (2010年死別) |
著名な家族 |
郷鍈治(実弟) ちあきなおみ(義妹) 宍戸史絵(紫しえ、長女) 宍戸開(長男) |
公式サイト | 宍戸錠オフィシャルウェブサイト |
主な作品 | |
テレビドラマ 『国盗り物語』 『勝海舟』 『葵 徳川三代』 『ゆうひが丘の総理大臣』 『あさひが丘の大統領』 『武田信玄』 映画 『渡り鳥シリーズ』 『拳銃無頼帖シリーズ』 『私立探偵濱マイク』シリーズ バラエティー番組など 『なんでもやりまショー』 『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』 『カリキュラマシーン』 『くいしん坊!万才』 |
宍戸 錠︵ししど じょう、︵英‥Joe Shishido︶1933年︿昭和8年﹀12月6日 - 2020年︿令和2年﹀1月18日[1][2][3]︶は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は﹁エースのジョー﹂。
郷鍈治は実弟、宍戸開は長男、宍戸史絵︵現・紫しえ︶は長女、ちあきなおみは義妹︵実弟・郷鍈治の妻︶。大阪府桜宮︵現在の大阪市都島区︶出身[4][5]。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/73/Shishido-Jo-1.jpg/160px-Shishido-Jo-1.jpg)
﹃警察日記﹄︵1955年︶
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8e/Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1961-May-1.jpg/180px-Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1961-May-1.jpg)
﹃ヒッチコック・マガジン﹄1961年5月号より
1955年、﹃警察日記﹄での若い巡査役で銀幕デビュー。この頃は線の細い美青年だったが、1956年にトレードマークとなる豊頬手術を受ける。本人は﹁それはそれでいいんですが、一方ではもし整形しなかったら、もっとすごい俳優になれていたかもしれないっていう意識も常にあったんですよ﹂と述懐するが、これを機に﹁アクの強い役=悪役﹂への転向を見事に果たした。
1962年に一才歳上の女性[注釈 3]と結婚、3人の子供がいて、長男が宍戸開である。
1966年、鈴木恂の設計で邸宅を建てる。
1992年、弟の郷鍈治が病死。
2001年、豊頬の際に注入された異物︵オルガノーゲン︶を摘出手術で取り除いた[注釈 4]。摘出手術に踏み切った理由を﹁理由の一つに、僕は70歳を前にして普通のジジイの顔になりたくてやっただけ﹂と語っていた[8]。
映画や創生期のテレビドラマ﹃事件記者[注釈 5]﹄などに出演。タフでハードボイルドな役柄で小林旭らとともに名を知られ、日活アクション映画の需要もあって、﹁エースのジョー﹂と呼ばれて親しまれた。エースのジョーのニックネームは日活の宣伝部員によって名付けられ、これは宍戸が﹁ハリウッドの3流ギャング映画的な﹃殺し屋ジョー﹄でやりたい﹂というリクエストに応えたものだった[9][注釈 6]。
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宍戸が考案した﹁チッチッチッ﹂のジェスチャー[10]︵他人の発言 や行動をたしなめる仕草︶
映画の衰退と共にテレビへと活動の場を移し、テレビドラマの他に﹃巨泉・前武ゲバゲバ90分!﹄に出演したり息子と﹃くいしん坊!万才﹄のレポーターを務めた。
2006年、息苦しさを感じ、心臓血管研究所付属病院での検査の結果、虚血性心不全と診断されて即入院。冠状動脈カテーテル・バルーン手術を受けた。
2010年4月16日、妻と死別。
2013年2月4日、1966年に建築した自宅が全焼[11][12]、妻の死去後は独り暮らしで外出時の出火だった[13]。直後のホテル住まいを経て、翌月からは賃貸マンションで暮らした。消防署の調べでは古い電熱器のコードが原因だと判明。この火事で思い出の品々や過去の衣装、日用の衣類までほぼすべて失い[14]、本人は﹁しょうがない、今後の衣服はユニクロで我慢するか﹂と語った[15]。
2020年1月18日、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去[1]。86歳没[2][3]。1月21日未明に東京都世田谷区にある自宅で倒れている宍戸が発見され、警察や救急隊により死亡が確認された。
2021年、第44回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞。
来歴[編集]
父親は現在の福島県伊達市の出身[4]。母親は神奈川県横浜市の出身と錠は話していたが[4]、錠の母親自身の話では、父が台湾総督の副官で台湾で生まれて[6]、父の転勤で日本に戻り、静岡県浜松市で育ったと話している[6]。横浜高女時代に関東大震災に遭い、一家で滋賀県大津市に逃げたが、田舎暮らしが嫌で、20歳のとき、単身大阪に行き、海上火災という会社に勤めていたとき、同じく関東大震災で大阪に居を移して、大阪の商社・アーサー・バルファーに勤めていた父が、同じビルで働いていて知り合い結婚したという[4][6]。父はその後工作機械を扱う会社を起業して独立し[4][6]、満州事変の特需で250万円[注釈 1]儲けた[4]。この後、﹁錠﹂は大阪で出生[4]。﹁錠﹂という名前の由来は宍戸家が子沢山だったため、﹃この子を最後の子にしたい︵子作りに錠前を掛ける︶﹄という両親の思いがあったからだという[注釈 2][7]。家のあった桜宮は下請けの町工場と温泉マークがあったため、環境に悪いと3歳[4]から5歳の頃[5]、家族で東京滝野川へ移り住み[6]、父は仕事を辞めその後は亡くなるまで定職に就かず、1300坪くらいの家を建て、一家は裕福な生活を送る[4][5][6]。当時は300円で家が一軒買えた時代だったが、滝野川の家は10万円で買った[6]。1970年頃持っていたら、5~6億円はしたという[6]。 小学6年生の頃に東京大空襲で敷地に焼夷弾240発が落とされて自宅が全焼し[6]、跡地はドサクサに紛れた何者かに居座られ、奪われてしまう。遠い親戚を頼り宮城県斎川村︵現在の白石市︶に疎開[4][6]。当地に父が家を建て[4]、高校卒業まで当地で育つ。 勉強もスポーツもよく出来、高校ではバスケットボール部に所属。映画もよく見て、プロ野球選手か、実業団で野球をやるか俳優をやるか考え、1952年高校卒業後、早稲田で演劇をやろうと試験を受けたが落ち[4]、日本大学藝術学部に進む[4]。同期にケーシー高峰、砂塚秀夫、赤江瀑、嵐徳三郎ら[4]。 大学へ入学するが、2年のときに日活に合格したために中退[4]。 1954年、日活ニューフェイス︵第1期生︶として入社[4]。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/73/Shishido-Jo-1.jpg/160px-Shishido-Jo-1.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8e/Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1961-May-1.jpg/180px-Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1961-May-1.jpg)
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人物[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d9/Japanese-Edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1961-Special-May-Issue-3.jpg/180px-Japanese-Edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1961-Special-May-Issue-3.jpg)
出演作品[編集]
映画[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fa/Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1962-Special-January-Issue-2.jpg/200px-Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1962-Special-January-Issue-2.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Kinema-Junpo-1961-March-late-2.jpg/200px-Kinema-Junpo-1961-March-late-2.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/24/Shishido-Jo-2.jpg/200px-Shishido-Jo-2.jpg)
テレビドラマ[編集]
●ダイヤル110番︵1957年 - 1964年、日本テレビ︶ ●見事な娘︵1957年、日本テレビ︶ ●人命︵1957年、KRテレビ︶ ●坊っちゃん︵1957年、日本テレビ︶ ●東芝日曜劇場︵KRテレビ→TBS︶ ●鴎︵1958年︶ ●清吉の女︵1976年、毎日放送︶ ●新世界裏町・妹よ泣くな︵1978年、毎日放送︶ ●通天閣横丁 たびだち︵1979年、毎日放送︶ ●うちの嫁さんちょっと秘密や︵1981年、毎日放送︶ ●六十歳のシンデレラ︵1990年︶ ●スリラー劇場︵日本テレビ︶ ●狙われた女︵1959年︶ ●日産スター劇場︵日本テレビ︶ ●今晩わドロボーです︵1965年︶ ●美人にモテル方法︵1966年︶ ●おおわが悪妻︵1966年︶ ●お妾さん整理します︵1966年︶ ●マリア様と浪花節︵1966年︶ ●夫が外で酒をのむとき︵1966年︶ ●女の振り子が止まるとき︵1966年︶ ●おゝわが愚兄︵1966年︶ ●花の新入社員︵1967年︶ ●夫が突然消えるとき︵1967年︶ ●男は女で勝負する︵1967年︶ ●十年目の再会︵1968年︶ ●奥さまはホステスがお嫌い︵1968年︶ ●宮本武蔵︵1965年 - 1966年、日本テレビ︶ ●判決︵NET︶ ●第193話﹁失われた腕の痛み﹂︵1966年︶ ●特ダネ記者︵1966年 - 1967年、日本テレビ︶ ●眠狂四郎︵1967年、フジテレビ︶ ●とく妻さん︵1967年、日本テレビ︶ ●近鉄金曜劇場︵朝日放送︶ ●天まであがれ︵1967年︶ ●喜劇 はいから鯉さん︵1967年、日本テレビ︶ ●三匹の侍︵フジテレビ︶ ●第5シリーズ 第9話﹁鶴之助参る﹂︵1967年︶ - 関良白 ●第5シリーズ 第24話﹁殺生封印切り﹂︵1968年︶ - 玄海和尚 ●みんな世のため︵NET︶ ●鶴亀先生上京す︵1967年︶ ●百年目の田舎っぺ︵1968年、TBS︶ ●花くれないに︵1968年、フジテレビ︶ ●裸の町︵1968年、NET︶ ●三人の母︵1968年 - 1969年、TBS︶ - 金太 ●お金がこわい!︵1969年、TBS︶ ●もうれつ大家族︵1969年、フジテレビ︶ ●キイハンター︵TBS / 東映︶ ●第119話﹁殺人免許貸します﹂︵1970年︶ - ゴロー ●第228話﹁女忍者対ギャング変身大作戦!﹂︵1972年︶ - 鬼丸 ●ザ・ガードマン 第310話﹁女子学園スキャンダル殺人﹂︵1971年、TBS=大映テレビ室︶ - 岡野学長 ●プレイガールシリーズ ︵東京12チャンネル=東映︶ ●プレイガール ●第121話﹁夢を追う殺し屋﹂︵1971年) - エースのジョー ●第141話﹁男殺し裸のハンター﹂︵1971年︶ - エースのジョー ●第152話﹁女の寝技師﹂︵1972年︶ - 伊井譲二 ●第167話﹁男命を殺しに賭けて﹂︵1972年︶ - 梶山丈二 ●第181話﹁ヌードダンサー殺人事件﹂︵1972年︶ - 伊井丈二 ●第223話﹁女の鍵は夜開く﹂︵1973年︶ - ロックのジョー ●プレイガールQ 第50話﹁女の魔性は花ひらく﹂(1975年︶ - 白石哲男 ●天下御免︵1971年、NHK︶ ●ターゲットメン 第5話﹁こぶら男の大逆襲﹂︵1971年、NET=東映︶ ●荒野の素浪人 第3話﹁必殺 帰らざる街道﹂︵1972年、NET=三船プロ) - 熊木鉄心 ●太陽にほえろ!︵NTV / 東宝︶ ●第39話﹁帰って来た裏切り者﹂︵1973年︶ - 白木剛 ●第117話﹁父と子の再会﹂︵1974年︶ - 梶大作 ●第489話﹁帰って来たボス -クリスマスプレゼント-﹂︵1981年︶ - 赤沢警部 ●ぶらり信兵衛 道場破り 第3話﹁大当り千両長屋﹂︵1973年、フジテレビ=東映︶ ●大河ドラマ︵NHK︶ ●国盗り物語︵1973年︶ - 柴田勝家 ●勝海舟︵1974年︶ - 山岡鉄太郎 ●風と雲と虹と︵1976年︶ - 鹿島玄道 ●武田信玄︵1988年︶ - 原虎胤 ●秀吉︵1996年︶ - 本多正信 ●葵 徳川三代︵2000年︶ - 本多忠勝 ●天地人︵2009年︶ - 直江景綱 ●電撃!!ストラダ5︵1974年、NET=日活︶ - 高村輝次郎 ●特捜記者 第20話﹁帝国陸軍ラッパ集﹂︵1974年、フジテレビ=松竹︶ ●おしどり右京捕物車 第25話﹁櫛﹂︵1974年、朝日放送=松竹︶ - 風間源十郎 ●夜明けの刑事 第14話﹁理由あるプレイボーイ﹂︵1975年、TBS=大映テレビ︶ ●TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿 第7話﹁戦後30年の逆さ吊り﹂︵1975年、朝日放送=大映テレビ︶ ●大都会 闘いの日々︵1976年、日本テレビ=石原プロ︶ - 毎朝新聞社・松川 ●愛が見えますか︵1976年、NTV=東京映画︶ ●必殺シリーズ︵朝日放送=松竹︶ ●必殺仕業人 第3話﹁あんたあの娘をどう思う﹂︵1976年︶ - 花輪東十郎 ●必殺仕事人ワイド 大老殺し︵1987年︶ - 久蔵 ●ベルサイユのトラック姐ちゃん 第3話﹁ベルトラ姐ちゃん大進撃!﹂︵1976年、NET=東映︶ - 石橋警部 ●河内まんだら︵1977年、NHK︶ - 総十郎 ●華麗なる刑事 第15話﹁暴走!父ちゃんのダンプ﹂︵1977年、フジテレビ=東宝︶ - 小山ゲンジ ●大都会 PARTII 第45話﹁白昼の市街戦﹂︵1978年、日本テレビ=石原プロ︶ - 針尾組長 ●大追跡︵1978年、日本テレビ=東宝︶ ●第1話﹁ハイエナが集まった﹂ ●第8話﹁必死の追走﹂ ●オレの愛妻物語︵1978年、日本テレビ=ユニオン映画︶ - 倉田寅男 ●スターウルフ︵1978年、日本テレビ=円谷プロ︶ - キャプテン・ジョウ ●ゆうひが丘の総理大臣︵1978年、日本テレビ=ユニオン映画︶ - 東剛教頭 ●木曜座 ●あした泣く︵1978年、TBS︶ ●熱中時代シリーズ︵日本テレビ=ユニオン映画︶ ●熱中時代・刑事編︵1979年︶ - 菅谷一平刑事 ●熱中時代 第2シリーズ 第14話﹁北野先生をやめさせないで﹂︵1980年︶ - 父親・藤森忠次 ●あさひが丘の大統領︵1979年 - 1980年、日本テレビ=ユニオン映画︶ - 高岩巌 ●手錠をかけろ! 第2話﹁ハードパンチャー強盗事件 -伊勢志摩-﹂︵1979年、フジテレビ=国際放映︶ ●ぼくら野球探偵団︵1980年、東京12チャンネル=円谷プロ︶ - 荒名堂郎警部 ●猿飛佐助︵1980年、日本テレビ=国際放映︶ - 三好清海入道 ●ぼくとマリの時間旅行︵1980年、NHK︶ - ムタイ所長 ●旅がらす事件帖 第19話﹁道中奉行を殺せ!﹂︵1981年、KTV︶ - 山崎九兵衛 ●プロハンター︵1981年、日本テレビ=セントラル・アーツ︶ - 菊島雄三 ●クルクルくりん︵1984年、フジテレビ︶ - 東森くりんの父 ●西部警察 PART-III 第68話﹁愛の旅立ち﹂︵1984年、テレビ朝日=石原プロ︶ - 大河内 ●ママ、大変だァ!︵1985年、テレビ朝日︶ ●あぶない刑事 第13話﹁追跡﹂︵1986年、日本テレビ=セントラル・アーツ︶ - 沢村 ●黒い仮面の美女 江戸川乱歩の﹃凶器﹄︵1987年、テレビ朝日=松竹︶ - 佐藤猛雄 ●連続テレビ小説︵NHK︶ ●君の名は︵1991年︶ - 角倉勘次 ●走らんか!︵1995年︶ ●甘辛しゃん︵1997年︶ - 恩田慎作 ●静かなるドン︵1994年、日本テレビ︶ - 大久保竜造 ●名古屋お金物語︵1995年、NHK︶ - 森谷考輔 ●鬼平犯科帳 第6シリーズ 第7話﹁のっそり医者﹂︵1995年、フジテレビ=松竹︶ - 荻原宗順 ●お嬢様は名探偵︵1998年、NHK︶ ●勇気をだして︵1998年、TBS︶ ●遠い親戚 近くの他人?︵1999年、NHK︶ ●億万長者と結婚する方法︵2000年、日本テレビ︶ - 金丸有造 ●金田一少年の事件簿 第3シーズン 第8・9話﹁露西亜人形殺人事件﹂︵2001年、日本テレビ︶ - 田代富士夫 ●アートの遺伝子Z︵2001年、日本テレビ︶ ●剣客商売4第2話﹁約束金二十両﹂ ︵2003年、フジテレビ=松竹︶ - 平内太兵衛 ●月曜ドラマシリーズ﹁ねばる女﹂︵2004年、NHK︶ - 根本元治 ●ダイヤモンドの恋︵2005年、NHK︶ - 田端廉太郎 ●新はんなり菊太郎︵2007年、NHK︶ - 田村次右衛門 ●キイナ〜不可能犯罪捜査官〜 第8回︵2009年3月、日本テレビ︶Vシネマ[編集]
●ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜︵1990年、東北新社=東映ビデオ︶- 水田順一 ●コードネーム348 女刑事 サシバ︵1990年、原作‥篠原とおる、SHVシネマ第1回作品、松竹ビデオ事業部=獅子プロ︶ ●野獣駆けろ︵1990年、東映ビデオ︶ - 佐伯 ●汚れし者の伝説︵1991年、日本ビデオ映画︶ ●ネオチンピラ 続・鉄砲玉ぴゅ〜︵1991年、東映ビデオ︶ ●神様のピンチヒッター︵1991年、にっかつビデオ︶ ●DANGER POINT 地獄への道︵1991年、東映ビデオ︶ ●狼たちの賭け JACK KNIFE︵1993年、東映ビデオ︶ - 平田(ジャズピアニスト) ●雀鬼3治外法権麻雀︵1994年、竹書房︶鈴銀グループ会長 鈴木銀次郎 ●組織暴力 流血の抗争2︵1999年、東映ビデオ︶ - おでん屋台の主人 ●日本極道史 仁義絶叫 シリーズ︵1999年・2000年、シネマパラダイス/SHV︶ - 天馬大瀬組組長 大瀬直次郎 ●日本極道史 仁義絶叫︵1999年1月︶ ●日本極道史 仁義絶叫2修羅の仁義︵1999年8月︶ ●日本極道史 仁義絶叫3仁義関東嵐︵1999年9月︶ ●日本極道史 仁義絶叫4仁義の挽歌︵2000年2月︶ ●渋谷ミッドナイト・ウォー 暗黒街︵2001年、ミュージアム︶ - 神尾重光の実父 ●誇り高き野望 1 - 5︵2005年、2006年 アネック︶ - 森田組 徳丸房次郎舞台[編集]
●﹁サーカス殺人事件﹂ ●﹁リリーとリリー﹂ ●﹁シュガー﹂ ●﹁マジック狂時代﹂ ●﹁馬喰一代﹂ ●﹁花咲ける騎士道﹂吹き替え[編集]
担当俳優[編集]
● デニス・ウィーヴァー ●警部マクロード︵サム・マクロード︶ ●激突!︵デイヴィッド・マン︶ ●遥かなる西部/わが町センテニアル︵R・J・ポティート︶ ● バート・ランカスター ●OK牧場の決斗︵ワイアット・アープ︶ ●プロフェッショナル︵ビル・ダルワース︶ ●真紅の盗賊︵ヴァロ船長︶映画・ドラマ[編集]
●戦略大作戦︵オッドボール軍曹/ドナルド・サザーランド︶[注釈 8] ●B.L.ストライカーシリーズ︵B.L.ストライカー/バート・レイノルズ︶バラエティ[編集]
●遊々専科︵NHK総合︶ ●なんでもやりまショー︵日本テレビ︶ ●愛情ゼミナール︵フジテレビ、月曜日︶ ●お昼のゴールデンショー︵フジテレビ︶ ●にっぽんの歌︵NET︶ ●元祖どっきりカメラ︵日本テレビ︶※司会者。 ●巨泉・前武ゲバゲバ90分!︵日本テレビ︶ ●カリキュラマシーン(日本テレビ︶ ●くいしん坊!万才︵フジテレビ︶※4代目くいしん坊レポーター。 ●午後は○○おもいッきりテレビ︵日本テレビ︶ ●SHARPワールドクイズ・カンカンガク学︵日本テレビ︶ ●それいけ!実験クイズ︵フジテレビ︶ ●つるまげどん︵MBS︶ ●バリキン7賢者の戦略︵TBS︶※大魔王ゾナバウト 役。 ●3000万円クイズ︵フジテレビ︶ラジオ[編集]
●ヤングパンチシリーズ︵1968年、東京放送︻現‥TBSラジオ︼︶[24] ●わが人生に乾杯! ︵2010年1月21日、NHKラジオ第1放送︶CM[編集]
●霧島酒造 焼酎 くつろぎの霧島︵1984年︶ ●資生堂 男性用化粧品 -﹃プロ野球ニュース﹄で長年インフォマーシャルを担当していた ●プリンス・ライター ●太田胃散 ●日産・サニー ●明星食品 ラーメンめん吉︵一家で出演︶ ●セブンイレブン ●ジャノメミシン ●トヨタ・セリカ ●トヨタL&F ●フランソア熟麗 ●ミズノ ゴルフ300R ●旭松食品 こうや豆腐 ●パナソニック ︵ナショナル︶充電ゾリット・電動ひげ剃りその他[編集]
●アートの遺伝子Z︵日本テレビ︶ ●カリキュラマシーン︵日本テレビ︶ ●ケーキーズお菓子抗争︵テレビ東京︶ ●ウルフルズ﹁かわいいひと﹂のPVにゲスト出演 ※1997年10月8日に発売されたウルフルズ15枚目のシングル著作[編集]
●シシド 小説・日活撮影所 単行本‥2001年・新潮社 ISBN 9784104443017、文庫版‥2012年・角川文庫 ISBN 9784041005606 ●シシド 完結編 小説・日活撮影所 単行本‥2012年・角川書店 ISBN 9784041103401脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 1978年頃の貨幣価値で60億円。
(二)^ その後に実弟の郷鍈治が生まれることとなる。
(三)^ 生年は1933年だが3月生まれのため学年は一つ上。
(四)^ 摘出までの過程はテレビ放送され、話題となった。
(五)^ 現存するわずか数本のうち、2本︵1958年7月放送︶に出演していた。これらの映像は現在、横浜市中区日本大通にある放送ライブラリーなどで見ることができる。
(六)^ 古くから海外ミステリーの熱心な愛読者でもあり、日活の路線も相まって、比較的趣味と近い部分で役柄やイメージを展開していた。
(七)^ 最後の出演映画。
(八)^ 没後にムービープラスでカット部分を追加吹替して再放送された際は咲野俊介が追加部分を担当[23]。
出典[編集]
(一)^ ab“宍戸錠さん死因は虚血性心疾患、本人希望すでに密葬”. 日刊スポーツ新聞社. (2020年1月23日) 2020年1月23日閲覧。
(二)^ ab""エースのジョー"宍戸錠さん死去、86歳﹁渡り鳥﹂﹁流れ者﹂シリーズ敵役で人気". Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. 21 January 2020. 2020年1月21日閲覧。
(三)^ ab俳優 宍戸錠さん︵86︶が死去,毎日放送,2020年1月21日
(四)^ abcdefghijklmnop高平哲郎﹁宍戸錠インタビュー﹂﹃ムービーマガジン Vol.18﹄1978年10月1日発行、ムービーマガジン社、12–21頁。
(五)^ abc大阪弁を使えと言われたら、今でも使えまっせ。| 宍戸 錠
(六)^ abcdefghij毒蝮三太夫﹁シリーズ おふくろ 第30回 宍戸錠五郷鍈治兄弟の母 宍戸文さん﹂﹃週刊平凡﹄1972年7月27日号、平凡出版、150–153頁。
(七)^ "エースのジョー由来﹁3流殺し屋﹂求めた宍戸錠さん". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 21 January 2020. 2020年1月22日閲覧。
(八)^ 宍戸錠さん死去 トレードマークの両頰 3度の整形手術に踏み切った理由とは 毎日新聞2020年1月21日19時25分︵2020年1月22日閲覧︶
(九)^ “エースのジョー由来﹁3流殺し屋﹂求めた宍戸錠さん”. 日刊スポーツ (2020年1月21日). 2020年1月21日閲覧。
(十)^ “宍戸錠さん死去 優れたアイデアマン…立てた指を左右に動かし﹁チッチッチッ﹂を発明”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2020年1月21日) 2020年1月21日閲覧。
(11)^ “宍戸錠宅全焼79歳ひとり暮らしけがなし”. nikkansports.com. (2013年2月5日) 2013年2月5日閲覧。
(12)^ “宍戸錠さん宅が全焼 外出中でけが人なし”. msn産経ニュース. (2013年2月4日). オリジナルの2013年2月5日時点におけるアーカイブ。
(13)^ “宍戸錠怒りあらわ﹁捕まえてやりたい﹂”. nikkansports.com. (2013年2月6日) 2013年3月24日閲覧。
(14)^ ﹁エースのジョー﹂宍戸錠さん、自宅でひっそり死す…86歳、日活支えた昭和の大スター2020年1月22日 スポーツ報知
(15)^ “宍戸錠全焼豪邸更地にして3億円土地売却”. nikkansports.com. (2013年3月20日) 2013年3月24日閲覧。
(16)^ 小原乃梨子﹃声に恋して声優﹄p95〜95より。
(17)^ ab﹁エースのジョー﹂宍戸錠さんが死去、86歳 13年には自宅全焼 2020年1月21日16時11分スポーツ報知︵2020年1月22日閲覧︶
(18)^ 自宅全焼直後に記者を圧倒した79歳 放火疑い激怒、すさまじかった迫力…宍戸錠さんを悼む 2020年1月22日6時0分スポーツ報知︵2020年1月22日閲覧︶
(19)^ 整形手術で大ブレイク!? エースのジョーこと宍戸錠の伝説とは? シネマトゥデイ 2010年6月16日9時00分︵2020年1月22日閲覧︶
(20)^ 宮根誠司 宍戸錠さんから﹁一番の名優﹂と名指しされ﹁ビビりまくった﹂と告白 デイリースポーツ 2020.01.22︵2020年1月23日閲覧︶
(21)^ “宍戸錠さん2次会の店を率先して予約する腰の低い人だった”. NEWSポストセブン (2020年12月21日). 2020年12月21日閲覧。
(22)^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, ﹁主要特撮作品配役リスト﹂
(23)^ “戦略大作戦︻吹替完全版︼ムービープラスオリジナル” (2023年8月1日). 2023年8月1日閲覧。
(24)^ "TBSラジオ番組表︵昭和43年10月7日︶" (PDF). TBSラジオ&コミュニケーションズ. 7 October 1968. 2013年12月19日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年1月21日閲覧。
参考文献[編集]
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
外部リンク[編集]
- 宍戸錠オフィシャルウェブサイト - 宍戸錠事務所
- 宍戸錠 - テレビドラマデータベース
- 宍戸錠 - 日本映画データベース
- 宍戸錠 - allcinema
- 宍戸錠 - KINENOTE
- Jô Shishido - IMDb(英語)
- 宍戸錠 - NHK人物録
- 宍戸錠×矢作俊彦 対談──かつてこの国には「殺し屋」がいた 2016年12月 - GQ JAPAN