茨城県立つくば工科高等学校
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茨城県立つくば工科高等学校 | |
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過去の名称 |
谷田部町立筑波実習学校 茨城県谷田部実業学校 茨城県谷田部農学校 茨城県立谷田部高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 茨城県 |
併合学校 |
谷田部女子農業補習学校 谷田部家政女学校 |
校訓 | 至誠・勤労・協和 |
設立年月日 | 1927年(昭和2年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
機械科 ロボット工学科 電気電子科 建築技術科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D108222000030 |
高校コード | 08181H |
所在地 | 〒305-0861 |
茨城県つくば市谷田部1818番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
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茨城県立つくば工科高等学校︵いばらきけんりつつくばこうかこうとうがっこう︶は、茨城県つくば市谷田部に所在する公立の工業高等学校。略して工科と呼ばれる。校歌は、土井晩翠の作詞、田村虎蔵の作曲。
設置学科[編集]
●機械科 ●ロボット工学科 ●電気電子科 ●建築技術科 令和5年︵2023年︶度より以下の学科に改編 ●科学技術科︵校名も茨城県立つくばサイエンス高等学校に変更︶沿革[編集]
前身は農業を教える学校であり、谷田部地域で初めてトマトやタマナの栽培が行われたほか、二毛作の試行、養豚・養鶏の奨励といった先進的な農業指導が行われた[1]。1980年代初頭には、3学年合わせて生徒数708人︵普通科9学級、農業科3学級、園芸科3学級、家政科3学級︶であった[2]。 ●1926年︵大正15年︶4月1日 - 谷田部町立補習学校として開校[3]。谷田部尋常高等小学校︵現在のつくば市立谷田部小学校︶に併設され[3]、修業年限は2年であった[1]。谷田部女子農業補習学校を女子部として統合[4]。 ●1927年︵昭和2年︶ ●4月1日 - 谷田部町立筑波実習学校に改称[1][注 1]。修業年限は3年となった[1]。 ●4月15日 - 仮校舎を煙草収納所︵現在のつくば市谷田部公民館︶に置いて開校[1]。 ●11月5日 - 現在の位置に校舎が竣工[1]。 ●1931年︵昭和6年︶ - 筑波実習学校の白レグ二番︵ニワトリの1品種︶を昭和天皇飼育の種禽として献上[1]。 ●1934年︵昭和9年︶4月1日 - 茨城県谷田部実業学校に改称[1]。 ●1935年︵昭和10年︶9月14日 - 谷田部町外11か村組合立茨城県谷田部農学校に改称[1]。 ●1941年︵昭和16年︶4月1日 - 茨城県谷田部農芸学校に改称[1]。 ●1943年︵昭和18年︶4月1日 - 茨城県谷田部農学校に改称し、茨城県に移管される[1]。 ●1946年︵昭和21年︶4月1日 - 茨城県谷田部農学校が男女共学に移行する[5]。 ●1948年︵昭和23年︶4月1日 - 茨城県立谷田部高等学校に改称[1]。全日制普通科・家政科および定時制課程を設置する[2]。 ●1962年︵昭和37年︶ - 定時制課程を廃止する[2]。 ●1991年︵平成3年︶4月 - 工業高校への移行を開始[6]。 ●1997年︵平成9年︶4月 - 茨城県立つくば工科高等学校に改称[6]。 2014年︵平成26年︶4月学科改編により、機械科・ロボット工学科・電気電子科・建築技術科に改編︵改編前は電子機械科、情報技術科、建築デザイン科の3学科[7]︶ ●2020年︵令和2年︶1月 - さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャルに出演。2年生の数人が広瀬すずと共演。統合校[編集]
校史上、以下の2校を統合している。谷田部女子農業補習学校[編集]
谷田部女子農業補習学校︵やたべじょしのうぎょうほしゅうがっこう︶は、1923年︵大正12年︶4月1日に開校した農業系の女子校。修業年限は2年で、初年度入学生のみ1年であった[5]。谷田部町立補習学校の開校までの3年間のみ独立校であったが、補習学校の開校後は女子部として統合され[4]、女子部は1946年︵昭和21年︶に共学化するまで存続した[5]。 沿革 ●1923年︵大正12年︶4月1日 - 谷田部女子農業補習学校として開校。谷田部尋常高等小学校に併設される[4]。家政学・実習・一般教養の授業が行われた[4]。 ●1926年︵大正15年︶4月1日 - 谷田部町立補習学校女子部となる。 ●1927年︵昭和2年︶4月1日 - 谷田部町立筑波実習学校女子部に改称。 ●1934年︵昭和9年︶4月1日 - 茨城県谷田部実業学校女子部に改称。 ●1935年︵昭和10年︶9月14日 - 谷田部町外11か村組合立茨城県谷田部農学校女子部に改称。 ●1938年︵昭和13年︶4月1日 - 茨城県谷田部農学校の敷地に移転[5]。同時に谷田部家政女学校を統合[5]。 ●1941年︵昭和16年︶4月1日 - 茨城県谷田部農芸学校に改称[1]。 ●1943年︵昭和18年︶4月1日 - 茨城県谷田部農学校女子部に改称。 ●1946年︵昭和21年︶4月1日 - 茨城県谷田部農学校の男女共学化により廃部。谷田部家政女学校[編集]
谷田部家政女学校︵やたべかせいじょがっこう︶は、茨城県筑波郡谷田部町にあった私立の女学校。修業年限3年の本科と季節開設の裁縫科の2学科を設置していた[5]。木村伊助が創立し、東京商科大学︵現在の一橋大学︶教授の峯間信吉を兼任校長に迎えた[5]。 開校当初から本科の生徒集めに苦しみ、1938年︵昭和13年︶に茨城県谷田部農学校女子部が移転するのを機に同校に統合された[5]。 沿革 ●1926年︵大正15年︶ - 谷田部家政女学校が開校。 ●1933年︵昭和8年︶ - 創立者の木村伊助が死去。長谷川敏太郎が学校を継ぐが、経営は好転せず[5]。 ●1938年︵昭和13年︶ - 茨城県谷田部農学校女子部に統合され、閉校。学科改編[編集]
令和5年︵2023年︶度より、﹁茨城県立つくばサイエンス高等学校﹂に改称し、﹁科学技術科﹂の1学科に学科改編をする。[8]2022年度入学の1年生が卒業するまで、つくば工科高等学校とつくばサイエンス高等学校は同じ校舎を併用する形となる。部活動[編集]
運動部 ●硬式野球部 ●硬式テニス部 ●卓球部 ●バレーボール部 ●サッカー部 ●男子バスケットボール部 ●女子バスケットボール部 ●ハンドボール部 ●バドミントン部 ●柔道部 ●剣道部 ●弓道部 ●陸上競技部 ●自転車競技部 文化部 ●吹奏楽部 ●美術部 ●漫画研究部 ●書道部 ●機械工作部 ●ロボット研究部 ●建築研究部 ●電気電子研究部谷田部の不動松並木[編集]
谷田部の不動松並木︵やたべのふどうまつなみき︶は、茨城県立つくば工科高等学校の脇にあった[9]約700メートルにおよぶマツの並木である[2]。1958年︵昭和33年︶に茨城県指定天然記念物となった[10]が、マツが枯れてしまったため、指定は解除されている[9]。つくば工科高等学校の校章は、この松並木にちなんでいる[2]。 谷田部藩の2代藩主細川興昌が1618年︵元和4年︶に下野国・茂木から陣屋を移して町を整備した際に、江戸へ至る街道沿いに植えたものだという[10]。クロマツが中心であったが、アカマツやスギも数本見られた[10]。﹁谷田部にすぎたるもの3つあり、不動並木に広瀬周度、飯塚伊賀七﹂と呼ばれ、谷田部の象徴的な存在だった[10]。交通[編集]
●つくばエクスプレスみらい平駅、みどりの駅、常磐線取手駅から関東鉄道バス、﹁つくばサイエンス高校︵旧 つくば工科高校︶﹂下車。 ●常磐線牛久駅、土浦駅、関東鉄道常総線水海道駅から関東鉄道バス、﹁谷田部四ツ角﹂下車、徒歩約10分。 ●つくばエクスプレスみどりの駅、万博記念公園駅、研究学園駅からつくバス谷田部シャトル、﹁つくばサイエンス高校︵旧 つくば工科高校︶﹂下車。脚注[編集]
- 注釈
- ^ 公式サイトの沿革では「谷田部町立筑波実修学校として創立」と記載されている。
- 出典
(一)^ abcdefghijklm谷田部の歴史編さん委員会︵1975︶‥140ページ
(二)^ abcde茨城新聞社︵1981︶‥1034ページ
(三)^ ab谷田部の歴史編さん委員会︵1975︶‥139ページ
(四)^ abcd谷田部の歴史編さん委員会︵1975︶‥141ページ
(五)^ abcdefghi谷田部の歴史編さん委員会︵1975︶‥142ページ
(六)^ ab茨城県立つくば工科高等学校"沿革"︵2010年11月4日閲覧。︶
(七)^ 文部科学省 茨城県立つくば工科高等学校長 橋本清明氏 インタビュー概要︵2022年7月10日閲覧。︶
(八)^ 茨城県立つくばサイエンス高等学校ホームページ 2022年10月16日12:11 JST 閲覧
(九)^ abつくば新聞"筑波研究学園都市の遊歩道・街路・道路"︵2010年12月18日閲覧。︶
(十)^ abcd茨城新聞社︵1981︶‥1035ページ
参考文献[編集]
- 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.
- 谷田部の歴史編さん委員会『谷田部の歴史』谷田部町教育委員会、昭和50年9月15日、222pp.