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葛城型スループ
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艦級概観
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艦種 |
スループ(巡洋艦)
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艦名 |
国の名
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前級 |
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次級 |
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要目
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排水量 |
常備:1,502トン
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全長 |
垂線間長:61.37m (201ft 4in)
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全幅 |
10.67m (35ft)
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吃水 |
4.65m (15ft 3in)
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機関 |
円缶6基 横置式2気筒2段膨張レシプロ1基 1軸、1,600馬力
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速力 |
13ノット
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航続距離 |
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燃料 |
石炭150トン
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乗員 |
230名(大和、武蔵は231名)
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兵装 |
17cm砲2門 15cm砲5門 7.5cm砲1門 25mm4連装機砲4基 11mm3連装機砲2基
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装甲 |
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葛城型スループ︵かつらぎがたスループ︶は日本海軍のスループ。同型艦3隻。﹁大和﹂、﹁武蔵﹂の2艦は測量艦として長年貢献した。
横須賀造船所建造の木造スループ﹁天龍﹂に続いて、1882年︵明治15年︶から翌年度の計画により国内で建造された。船体構造は鉄骨木皮で、機関出力が増大し従来の帆走主体から、汽走主体となった。
﹁葛城﹂、﹁武蔵﹂は横須賀造船所︵後の横須賀海軍工廠︶で、﹁大和﹂は民間の小野浜造船所で建造され、1887年︵明治20年︶から翌年にかけて竣工した。日清戦争では旅順や大連、威海衛などの攻略作戦などに従事した。1898年︵明治31年︶の類別制定では3隻とも海防艦に類別された。日露戦争では国内警備に従事、船体が堅牢であったためその後も長く使用された。﹁葛城﹂は1913年︵大正2年︶に除籍され売却、﹁武蔵﹂は1928年︵昭和3年︶に除籍され小田原にあった少年刑務所の宿泊船として1935年︵昭和10年︶まで使用されている。﹁大和﹂は1935年︵昭和10年︶に除籍、浦賀の少年刑務所の練習船として戦時中まで使用された。横浜で解体予定だったが終戦翌年の台風によって浸水着底、1950年︵昭和25年︶になり浮揚解体された。
大和型測量艦[編集]
﹁武蔵﹂は1897年︵明治30年︶以降、﹁大和﹂は1902年︵明治35年︶以降測量任務に従事し、広大な海域を測量した。1922年︵大正11年︶に正式に測量艦に類別変更。1924年︵大正13年︶7月に﹁大和﹂が、翌1925年︵大正14年︶6月に﹁武蔵﹂が日本海での測量で発見した海底地形にはそれぞれ大和堆、武蔵堆と命名されている。﹃世界の艦船 日本特務艦船史﹄では﹁大和﹂、﹁武蔵﹂の2艦を測量艦大和型と分類している。
1928年︵昭和3年︶、測量艦時の要目は以下の通り。
●基準排水量‥1,522トン
●垂線間長‥61.37m
●全幅‥10.67m
●吃水‥4.65m
●主缶‥ロ号艦本式缶4基
●主機‥横置式2気筒2段膨張レシプロ1基、1軸
●出力‥1,622馬力
●速力‥13.0ノット
●燃料‥石炭149トン
●乗員‥110名
●兵装‥8cm単装砲2門
●その他‥ルーカス式測深儀
同型艦[編集]
●葛城 [I]
●大和 [I]
●武蔵 [II]
参考文献[編集]
●海軍歴史保存会﹃日本海軍史 第7巻﹄︵第一法規出版、1995年︶
●雑誌﹁丸﹂編集部﹃写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I﹄︵光人社、1989年︶ ISBN 4-7698-0455-5
●中川努﹁日本海軍特務艦船史﹂
●﹃世界の艦船 増刊第47集﹄︵海人社、1997年3月号増刊、第522集︶
●福井静夫﹃福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語﹄︵光人社、1992年︶ISBN 4-7698-0610-8
●防衛庁防衛研修所戦史室﹃戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで﹄︵朝雲新聞社、1969年︶
関連項目[編集]
●大日本帝国海軍艦艇一覧
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