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●嘉永4年︵1851年︶1月の備中松山藩﹁御家中席帳﹂には、父三治郎と共に﹁切符銀三枚弐人扶持 谷三十郎﹂の記載が確認される。
●谷家断絶の理由として、三十郎による藩主の姫君との密通説、家老の奥方との不倫などの説が伝えられている。また、不祥事案を起こしたのは三十郎ではなく万太郎とする説もある。
●通説では、種田流槍術の師範で原田左之助にも指導したとされる。しかし、子孫に伝わる話では剣術一筋で、神明流剣術の指南役であったと伝わっている。槍術の達人とする説があるが、これは弟万太郎と混同された可能性もある。
●禁門の変で三十郎が捕縛した中田九一郎に対し、﹁新選組には見かけほど強い隊士はいないので、いつも自分が先頭に立たされる﹂と話をしている。
●通説では、弟の周平を近藤の養子に送り込んだことを鼻にかけ、隊内で嫌われていたとされる。
●死について新選組は会津藩に対して﹁七番組頭谷三十郎儀、祇園石段下に於て頓死相遂げ候﹂と報告している。死因については、斎藤一による暗殺説、過度の飲酒による脳卒中説などがあるが、詳細は不明である。
●司馬遼太郎の﹃新選組血風録﹄︵およびその最初のテレビドラマ版︶では、末弟・谷周平について、三十郎の弟ではなく、息子と描写されている。また、次弟の万太郎は登場しない。
(一)^ ﹃井汲恭平関係文書 自明治2年11月至同3年正月﹄東京大学史料編纂所蔵
関連項目[編集]
●新選組#新選組を主題にした作品
●﹃新選組!﹄︵2004年、NHK、演‥まいど豊︶ - 最期について、介錯の失敗から孤立したことによって脱走するも失敗し粛清されたと描いている。
●﹃壬生義士伝﹄︵浅田次郎︶ - 最期について、斎藤一によって斬殺されたと描いている。
●燃えよ剣︵1970年版︶︵演‥桑山正一︶ - 第11話に登場、槍の名手で原田左之助の師匠。藤堂平助により暗殺されるも、事故死として会津藩に報告された。なお土方歳三の指示であり、見届け人は原田。