郷ひろみの宴ターテイメント
郷ひろみの宴ターテイメント | |
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ジャンル | 特別番組(音楽番組) |
企画 | 皇達也 |
構成 | 塚田茂 / スタッフ東京、他 |
ディレクター | 岩城利明、石黒正人 |
演出 | 疋田拓 |
出演者 |
郷ひろみ ほか(#ゲストを参照) |
音楽 | 広瀬健次郎 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
プロデューサー | 疋田拓(総合) / 中村元一 |
制作 | テレビ朝日 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1989年4月19日 - 同年10月25日 |
放送時間 | 水曜19:30 - 20:53 (10月25日のみ水曜19:00 - 20:53) |
放送枠 | 水曜スーパーテレビ |
放送分 | 83 or 113分 |
回数 | 6回 |
﹃郷ひろみの宴ターテイメント﹄︵ごうひろみのえんターテイメント︶は1989年4月19日からテレビ朝日で制作、放送された郷ひろみが初めて司会をつとめた音楽番組である。郷ひろみの冠番組。
概要[編集]
1989年4月19日から毎月1回﹁水曜スーパーテレビ﹂の企画の1つとして全6回放送された。収録は当時のテレビ朝日六本木センターの第7スタジオで第1回~第3回は生放送、第4回以降は事前収録の形式でそれぞれ行われた。 制作スタッフのプロデューサー・演出はフジテレビで﹃夜のヒットスタジオ﹄のプロデューサー・演出をしていた疋田拓が担当[1]。番組の構成作家やスタジオを飾るオーケストラバンド、音楽監督など主要スタッフは﹃夜のヒットスタジオ﹄のスタッフをそのまま起用していた。 当時音楽番組に弱かったとされるテレビ朝日は、同時期に﹃アイドル共和国﹄︵こちらも担当は疋田拓︶も毎週土曜日に生放送することとなった。﹁司会・ホスト役が郷ひろみ﹂﹁番組担当者が疋田拓﹂﹁90分の音楽番組﹂の3点から開始時には他局の音楽番組担当者も注目し、﹁できることなら自分の番組の裏ではやってほしくない﹂などのコメントまで出た[2]。また第4回、第5回の放送には郷ひろみの司会パートナーとして芳村真理も出演、疋田の古巣であったフジテレビからは﹁もう勘弁してくれ﹂などの声が出たと噂が飛び交った[2]。 しかし、期待したほどの視聴率は取れず放映は半年間に止まり、最終回の10月25日には﹁特集美空ひばり追悼番組﹂として30分の拡大枠で放送された[3]。番組テーマ曲[編集]
●郷ひろみ﹁最終便にまにあえば﹂ 作詞‥郷ひろみ 作曲‥塩塚博 編曲‥難波正司 発売‥CBS・ソニー (10EH-3295) ※タイトルバック、オープニングで毎回この曲を郷ひろみが生歌披露で始まるというパターンだった。ゲスト[編集]
●第一回︵1989年4月19日︶‥森進一、沢田研二、八代亜紀、中山美穂、長山洋子 ●第二回︵1989年5月24日︶‥谷村新司、布施明、テレサ・テン、荻野目洋子 ●第三回︵1989年6月21日︶‥都はるみ、岩崎宏美、小泉今日子、野口五郎、大川栄策、※衛星中継テレサ・テン ︵下記︶ ●第四回︵1989年7月19日︶‥五木ひろし、小柳ルミ子、柏原芳恵、西城秀樹、中森明菜 ●第五回︵1989年8月23日︶‥西城秀樹、野口五郎、峰さを理、宮川泰︵ゲスト指揮︶ ※赤坂プリンスホテル内にあるクリスタル・パレスから生放送[4] ●第六回︵1989年10月25日︶‥︵美空ひばり特集︶特別衛星中継‥テレサ・テン[編集]
1989年6月21日、テレサ・テンのセグメントは香港ヴィクトリア公園に鄰接するホテルのスイートルームで衛星中継した。同年5月と6月に北京の六四天安門事件による、テレサ・テンは6月24日に最新アルバム﹃浪漫主義﹄を日本へ宣伝をキャンセルして、6月21日に香港で最新曲﹃香港 Hong Kong﹄を﹃郷ひろみの宴ターテイメント﹄音楽番組で演出した。衛星中継のディレクターは岩城利明。[5]スタッフ[編集]
- 企画:皇達也
- 構成:塚田茂、玉井貴代志、鈴木桂、和山泰明、山賀淳子 / スタッフ東京
- 音楽:広瀬健次郎
- 振付:西条満
- 踊り:スクールメイツ
- 演奏:三原綱木とザ・ニューブリード / エンターテイメント'89
- 技術(TD):宮崎輝夫、杉村俊明
- カメラ:宮田一、黒川祐治、松野功夫、辻井明、江原淳一
- 技術アシスト:生沼登
- 映像:城口順、松村清
- 音声:大塚良一、宮沢庸介
- 照明:鈴木秀、高見光平 / バリライトアジア
- 照明アシスト:春山勝
- 音響:西村光二、伊藤泰久
- 美術:妹尾河童 / 高見和彦、石上久、池上隆
- 美術装置:フジアール / クリエイティブトウキョウ / 佐藤松子、大谷重正
- 大道具:川村盛博 / テルミック
- 電飾:岩城一康
- 視覚効果:渡部宏一、藤原憲之 / 東京特殊効果
- タイトル:安田達夫
- 花師:高橋永順
- 楽器:タバタ音楽事務所
- スタイリスト:梅原久沙永 / SUNデザイン研究所
- ディレクター:岩城利明、石黒正人
- プロデューサー:中村元一
- 総合プロデューサー・演出:疋田拓[4]
関連項目[編集]
脚注[編集]
(一)^ ﹃週刊テレビガイド﹄︵東京ニュース通信社︶1989年4月7日号﹁CATCH・UP!﹂25頁 閲覧
(二)^ ab﹃週刊宝石﹄1989年5月18日号﹁ライバル局の特番を演出した名物プロデューサーのモラル﹂208 - 211頁 閲覧。
(三)^ ﹃噂の真相﹄1989年11月号﹁フジテレビのプロデューサーに賭けたテレビ朝日の誤算﹂66-67頁 閲覧
(四)^ ab﹃オリジナルコンフィデンス﹄年鑑︵1989年下半期版︶第24号 閲覧。
(五)^ “﹃テレサ・テン没後20年メモリアル﹄” (2016年4月11日BS朝日放送). 2018年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月30日閲覧。