野村万之介
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野村 万之介︵のむら まんのすけ、本名・野村悟郎、1939年︵昭和14年︶5月2日 - 2010年︵平成22年︶12月25日︶は、狂言方和泉流能楽師。
人物[編集]
六世野村万蔵の五男。本名‥野村悟郎。中央大学文学部中退[1]。兄に野村萬︵七世野村万蔵︶、野村万作、観世流能楽師の野村四郎がいる。八世野村万蔵、九世野村万蔵、野村萬斎は甥。野村太一郎、六世野村万之丞、野村拳之介︵長兄・萬の孫︶は姪孫。 ﹁万作の会﹂の重要メンバーとして国内外で活躍。兄・万作や甥・萬斎には知名度の点では劣るものの、万作一門を支える重要な屋台骨の一人であり、型にとらわれない、鷹揚で自由奔放な芸風で知られた。 また、万作の後を受け、1968年から2010年まで東京大学・早稲田大学、1991年まで東京女子大学・お茶の水女子大学の狂言サークルを指導していた。 2010年12月25日に肺炎のため東京都港区の病院で死去したことが、2011年1月11日に公となった。71歳没[2]。年譜[編集]
●1944年 ﹁鉢叩﹂︵アド・瓢の神︶で初舞台 ●1970年 ﹁釣狐﹂を披く ●1972年 山本則直、善竹十郎と﹁新の会﹂を結成。1985年まで続ける。 ●1980年 芸術選奨新人賞受賞 ●1982年より 日本能楽会会員 ●1989年より 万之介狂言の会を主宰 ●2010年に死去。最後の舞台は﹁謀生種﹂の伯父であった。脚註[編集]
- ^ “野村万之介(のむらまんのすけ)プロフィール”. 画数と良運 赤ちゃんの命名・名付 (2024年4月26日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ 和泉流狂言師の野村万之介氏死去 時事通信 2011年1月11日閲覧