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陸軍技術研究所︵りくぐんぎじゅつけんきゅうじょ︶は、陸軍関係兵器の調査研究・試験を行う日本陸軍の機関である。
1942年︵昭和17年︶10月、陸軍兵器機関の整理統合が実施され、陸軍兵器行政本部が設置された。それに伴い陸軍技術本部が廃止され、その隷下の第1から第9研究所が第1から第9陸軍技術研究所となり、陸軍兵器行政本部に属することとなった。
1943年︵昭和18年︶6月、第5・第7・第9の各陸軍技術研究所と第4陸軍航空技術研究所の電波兵器研究部門を統合し、多摩陸軍技術研究所が新設された。
1945年︵昭和20年︶5月、陸軍大臣に直隷していた各所長は陸軍航空本部長の隷下となった。
各研究所概要[編集]
第1陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第1研究所
●所在地‥東京府北多摩郡小金井町︵現・東京都小金井市。跡地は小金井市営競技場︶
●担当‥銃砲・弾薬・馬具
●所長
●村木竹雄 少将 1941年6月15日 -
●相馬癸八郎 少将 1942年8月1日 -
●桑田小四郎 少将 1944年3月1日 -
第2陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第2研究所
●所在地‥東京府北多摩郡小平町野中新田與右衛門組字南︵現・小平市花小金井1丁目。拓殖大学予科の校舎・敷地を接収、戦後は同第一高校を経て現在は集合住宅、店舗︶
●担当‥観測・指揮連絡兵器
●所長
●小池国英 少将 1941年6月15日 -
●天晶恵 少将 1942年10月15日 -
第3陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第3研究所
●所在地‥東京府北多摩郡小金井町︵跡地は東京学芸大学︶
●担当‥工兵器材・爆破用火薬具
●所長‥立花章一 少将 1941年6月15日 -
第4陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第4研究所
●所在地‥神奈川県高座郡相模原町︵現・相模原市中央区。相模陸軍造兵廠内。跡地は米軍相模総合補給廠︶
●担当‥戦車・自動車
●所長
●原乙未生 少将 1941年6月15日 -
●土岐鉾治 少将 1945年4月16日 -
第5陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第5研究所
●所在地‥東京府北多摩郡小平町︵現・小平市。跡地は郵政省通信総合研究所→情報通信研究機構および東京サレジオ学園︶
●担当‥通信兵器
●所長‥河野健雄 少将 1941年6月15日 -
●1943年6月、電波兵器部門を多摩陸軍技術研究所へ移管。
第6陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第6研究所
●所在地‥東京市淀橋区百人町︵跡地は建築研究所を経て現・東京都健康安全研究センター︶
●担当‥化学兵器
●所長
●︵兼︶尾藤加勢士 中将 1941年6月15日 -
●小柳津政雄 少将 1942年10月15日 -
●秋山金正 少将 1945年7月28日 -
第7陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第7研究所
●所在地‥東京市淀橋区百人町
●担当‥物理的基礎研究
●所長
●長沢重五 中将 1941年6月15日 -
●︵兼︶野村政彦 少将 1944年8月30日 -
●1943年6月、電波兵器部門を多摩陸軍技術研究所へ移管。
第8陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第8研究所
●所在地‥東京府北多摩郡小金井町︵跡地は東京学芸大学︶
●担当‥兵器材料
●所長
●松崎陽 軍医大佐 1941年 -
●尾藤加勢士 中将 1941年6月15日 -
●田村宣武 中将 1942年10月15日 -
●長尾武雄 中将 1945年2月22日 -
第9陸軍技術研究所[編集]
●前身‥陸軍技術本部第9研究所
●通称‥登戸研究所
●所在地
●本部 長野県上伊那郡宮田村
●生田分室 神奈川県川崎市︵現・川崎市多摩区︶東三田︵跡地は明治大学生田キャンパス︶
●北安分室 長野県北安曇郡松川村
●中沢分室 長野県上伊那郡中沢村︵現・駒ヶ根市︶
●小川分室 兵庫県氷上郡小川村︵現・丹波市︶
●担当‥秘密兵器・資材
●所長‥篠田鐐 少将 1941年6月15日 -
●1943年6月、電波兵器部門を多摩陸軍技術研究所へ移管。
第10陸軍技術研究所[編集]
※1944年5月新設。
●所在地‥兵庫県姫路市︵跡地は市立琴丘高校︶
●担当‥海運器財・燃料
●所長‥田中収 少将 1944年5月25日 -
多摩陸軍技術研究所[編集]
※1943年6月新設。