シュミット(英語表記)Schmitt, Carl

デジタル大辞泉 「シュミット」の意味・読み・例文・類語

シュミット(Helmut Schmidt)

 
191820151946SPD6974西82OB  

シュミット(Carl Schmitt)

[1888~1985]ドイツの政治学者・公法学者。全体主義的国家論を提唱し、ナチスに理論的基礎を与えた。政治的なものの本質が友と敵との対立にあるとする、友敵理論でも知られる。著「政治的なものの概念」「政治神学」など。

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精選版 日本国語大辞典 「シュミット」の意味・読み・例文・類語

シュミット

 

(一)[  ] ( Adolf Schmidt  ) 
(二)[  ] ( Isak Jakovljevičh Šmidt = ) 
(三)[  ] ( Ernst Schmidt  ) 便
(四)[  ] ( Florent Schmitt  ) 
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュミット」の意味・わかりやすい解説

シュミット(Carl Schmitt)
しゅみっと
Carl Schmitt
(1888―1985)


201936退

 ()195019501963

 191219141919192119221923192419271928192819311932193314

 ()

 ()

 48

 144819291933()193351

 

 40

 

19701971197419831992

シュミット(Brian P. Schmidt)
しゅみっと
Brian P. Schmidt
(1967― )


Missoula131989199320102011High-z Supernova Search Team

 Supernova Cosmology Project19981998a

 dark energy2012Sky Mapper



シュミット(Daniel Schmid)
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Daniel Schmid
(1941―2006)

スイスの映画監督。フリムス・ワルトハウスに生まれ、中・高等教育をスイスで受ける。ドイツに出て、ベルリン自由大学でマルクーゼなどの講義を聴いたのち、アメリカ各地を旅行。大学に戻り、文学や宗教史を学ぶ一方、映画・テレビアカデミーで演出を学ぶ。監督デビュー作は、ドイツのテレビ用につくった『キス・ミー・アゲイン』(1968)で、以後スイスやドイツで活躍した。作品には『ラ・パロマ』(1974)、『天使の影』(1976)、『ヘカテ』(1982)、『トスカの接吻(せっぷん)』(1984)などがあり、その多くにはオペラや演劇の要素が取り入れられ、デカダンな傾向が強い。日本文化にも大きな関心を寄せ、坂東(ばんどう)玉三郎を記録した『書かれた顔』(1995)や舞踊家大野一雄についての記録映画『ダニエル・シュミットの大野一雄』(1995)などを発表した。A・タネール、C・ゴレッタらとともにスイス映画の代表的監督であった。

[小松 弘]

資料 監督作品一覧

主人の蝋燭(ろうそく)を節約するためにすべてを暗闇のなかで行うこと Thut alles im Finstern, eurem Herrn das Licht zu ersparen(1970)
今宵かぎりは… Heute nacht oder nie(1972)
ラ・パロマ La Paloma(1974)
天使の影 Schatten der Engel(1976)
カンヌ映画通り Notre Dame de la Croisette(1981)
ヘカテ Hécate(1982)
人生の幻影 Mirage de la vie(1984)
トスカの接吻 Il bacio di Tosca(1984)
デ・ジャ・ヴュ Jenatsch(1987)
季節のはざまで Hors saison(1992)
ダニエル・シュミットの大野一雄 Kazuo Ohno(1995)
書かれた顔 Das geschriebene Gesicht(1995)
ベレジーナ Beresina oder Die letzten Tage der Schweiz(1999)

『蓮実重彦編著『リュミエール叢書9 光をめぐって――映画インタビュー集』(1991・筑摩書房)』『由良君美著『セルロイド・ロマンティシズム』(1995・文遊社)』


シュミット(Mike Schmidt)
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Mike Schmidt
(1949― )

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のフィラデルフィア・フィリーズで1972年から89年まで三塁手として活躍、力強い打撃と堅実な守備で、史上最高の三塁手ともいわれる。

 9月27日、オハイオ州のデイトンに生まれる。フィリーズに昇格した1972年のシーズン終盤と73年は、三塁のほかにも、内野の全ポジションを守るが、打撃は1割9分6厘の不振に終わり、367打数で136個の三振を喫した(ともに1973年の成績)。1974年は三塁に定着、ホームラン36本を放ち、初のホームラン王を獲得、次の2年間も連続して38本のホームランを打って、3年連続ホームラン王に輝いた。1980年には、ホームラン48本で4回目のホームラン王、打点121で初の打点王を獲得するとともに、初の最優秀選手(MVP)にも輝く活躍で、チームのリーグ優勝に貢献した。カンザスシティ・ロイヤルズとの間で行われたワールド・シリーズでも打率3割8分1厘、ホームラン2本、打点7を記録して優勝の立役者の一人になった。翌81年はストライキでシーズンが短縮されたが、ホームラン31本で2年連続MVPに選ばれた。打撃と同様に守備力も評価され、守備範囲の広さ、軽快なフットワーク、肩の強さは最高のレベルといわれ、1976年から9年連続ゴールドグラブ賞(守備の優れていた選手に贈られる賞)を受賞した。オールスター・ゲームには12回出場している。

 18年間の通算成績は、出場試合2404、安打2234、打率2割6分7厘、本塁打548本、打点1595。獲得したおもなタイトルは、本塁打王8回、打点王4回、MVP3回、ゴールドグラブ賞10回。1995年に野球殿堂入り。

[出村義和]


シュミット(Wilhelm Schmidt)
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Wilhelm Schmidt
(1868―1954)

主としてオーストリアで活躍したドイツ生まれの民族学者。いわゆるウィーン学派の総帥であり、また文化圏説の大成者。カトリック教神言会に属する神父で、多くの宣教師民族学者を養成し、民族学、言語学のための国際的な専門誌『アントロポス』を創刊した。ウィーン大学で講義をし、その後1941年からスイスのフリブール大学教授となった。初め言語学者として出発し、東南アジア、オセアニアにおける語族の分類、設定に功績があり、1926年には世界の言語の概説を著した。しかし、すでに1910年ごろから研究の主力は民族学に向かい、民族学の立場から人類の初期文化史の大綱を再構成することに努力した。F・グレープナーがオセアニアにおいて設定した文化圏の体系を全世界的に拡大発展させ、グローセErnst Grosse(1862―1927)が提唱した経済形態と家族形態の対応の説も受容し、さらに進化主義からは発展段階の概念を受け継いだ壮大な体系をつくったが、これは今日学問的には完全に崩壊している。宗教の起源を至高神崇拝に求める説は大著『神観念の起源』全12巻(1912~1955)で展開された。ほかにコッパースWilhelm Koppers(1886―1961)との共著『民族と文化』(1924)がある。

[大林太良 2018年6月19日]

『シュミット著、山田隆治訳『母権』(1962・平凡社)』『シュミット、コッパース著、大野俊一訳『民族と文化』上下(1970・河出書房新社)』


シュミット(Helmut Schmidt)
しゅみっと
Helmut Schmidt
(1918―2015)


西194619491946194719481949195319531962196519611965196519661966196919681969101972197281219745198210退OB198319851986退



1989

シュミット(Otto Yul'evich Shmidt)
しゅみっと
Отто Юльевич Шмидт/Otto Yul'evich Shmidt
(1891―1958)

ソ連の数学者、探検家、地球物理学者。ベロルシア(現、ベラルーシ)モギリョフに生まれる。ウクライナのキエフ(キーウ)大学卒業後、同大学数学講師、モスクワ大学数学教授などを務めた。1928年パミール高原探検隊に参加。1932年ソ連の北洋航路総局長となり、北極圏開発の責任者として数回の探検を行った。砕氷船による探検を指揮したほか、1937年からは、現在でも北極海観測の有力な手段である、漂流する氷盤上に建設された漂流観測所での長期観測を指揮した。晩年は太陽系起源の問題を研究し、1948年、惑星の起源は太陽に捕捉(ほそく)された冷たい星間物質の雲であるとする説を発表した。著書に『地球成因論に関する四つの講演』(1950)がある。

[吉井敏尅]


シュミット(Julius August Fritz Schmidt)
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Julius August Fritz Schmidt
(1882―1950)


19091909191019131924Zeitschrift für BetriebswirtschaftDie organische Tageswertbilanz31929調



19341954

シュミット(Bernhard Voldemar Schmidt)
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Bernhard Voldemar Schmidt
(1879―1935)

エストニア出身の光学器械製作者。ナイッサール島で生まれ、幼少時よりレンズ作りなど工作や実験に熱中していたが、15歳のときに火薬の実験中に右手のほとんどを失う事故にあう。スウェーデンのイョーテボリ工科大学、ドイツのミットバイダ大学で学ぶ。1904年に卒業後、ミットバイダにて天文学者用にレンズと鏡の製作を始めた。シュミットの製作したレンズ、鏡は非常に高い評価を得た。1909年にはのちにシーロスタット(当時はウラノスタットとよばれた)とよばれる水平望遠鏡と赤道儀式平面鏡を製作した。その後、1927年ハンブルグに行き、1931年にハンブルグ天文台の台長ショルRichard Schorr(1867―1951)のもとで明るく視野が広い画期的なシュミット・カメラを発明した。

[編集部 2023年5月18日]


シュミット(Johannes Schmidt)
しゅみっと
Johannes Schmidt
(1843―1901)

ドイツの言語学者。A・シュライヒャーの弟子で、1876年以降ベルリン大学教授。『印欧諸言語の親縁関係』(1872)という有名な論文で、インド・ヨーロッパ諸言語の関係を1本の樹木の枝分れ図で表したシュライヒャーの説を批判し、言語変化は、あたかも水面に生じた波紋のように、中心部から地理的に連続した周辺部へしだいに弱まりながら伝播(でんぱ)し、さまざまな形で発生したこのような改新波(=等語線)の累積によって方言分化が行われると主張した。これをシュライヒャーの「系統樹説」に対して「波動説」と称する。ほかに、インド・ヨーロッパ語の母音組織や形態論に関しても優れた研究を残したが、同時代のブルーグマンらに代表される青年文法学派の動きに対しては、終始批判的な立場をとった。

[松本克己 2018年6月19日]


シュミット(Adolf Friedrich Karl Schmidt)
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Adolf Friedrich Karl Schmidt
(1860―1944)

ドイツの地球物理学者。1884年からゴーダの高等学校の教師を務めながら地磁気を研究した。1902年からポツダム観測所の地磁気部長、1906年同所長となり、1904年からはベルリン大学教授も兼ねた。地磁気ポテンシャルの球関数展開、地磁気擾乱(じょうらん)の観測およびその統計的研究に関し多数の論文がある。1915年シュミット式磁力計を考案。取扱いが容易で性能が安定していることから、野外観測などで広く用いられた。

[吉井敏尅]


シュミット(Florent Schmitt)
しゅみっと
Florent Schmitt
(1870―1958)


190022242939()47190419071908



シュミット(Arno Schmidt)
しゅみっと
Arno Schmidt
(1914―1979)

ドイツの小説家。ハンブルク生まれ。生起と反復を繰り返す意識の諸現象をとらえるために、正確に対応する散文形式を目ざし、構文の独特な配置実験を試みる。代表作は『レビアータン』(1949)、『石の心』(1956)、『学者共和国』(1957)、『無神論者の学校』(1972)など。伝記、エッセイ、翻訳などの分野で、過去の文学や忘れられた作家の紹介にも情熱を傾けた。

[平井 正]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュミット」の意味・わかりやすい解説

シュミット
Schmitt, Carl

 
[]1888.7.11. 
[]1985.4.7. 
19151933193345219503Theorie des Partisanen1963Politische Romantik1919Politische Theologie1922Die geistgeschichtliche Lage des heutigen Parlamentarismus1923Der Begriff des Politischen1927Legalität und Legitimität1932Der Nomos der Erde1950  
 


Schmidt, Helmut

 
[]1918.12.23. 
[]2015.11.10. 
西 19748221946194953195361196519681969 CDU19697219727419745姿西西197619801982 CDUCDU退1987退  
 


Schmidt Karl Ludwig

 
[]1891.2.5. 
[]1956.1.10. 
 (1918)  (2125)  (25)  (2933)  (3335)  (35) 退 (53)  M."Theologische Blätter" (2237) "Theologische Zeitschrift" (4552) "Der Rahmen der Geschichte Jesu" (19) "Die Stellung des Evangeliums in der allgemeinen Literaturgeschichte" (23) "Die Polis in Kirche und Welt" (40) "Die Judenfrage im Licht des Kap. 911 des Römer" (43) "Kanonische und apokryphische Evangelium und Apostelgeschichten" (44) "Die Verkündigung der Kirche an die Welt" (44)  
 


Schmidt, Brian P.

 
[]1967.2.24. 
19891993 2010 1994 HZTIa199816 1998 SCP2011G.SCP  
 


Schmidt Fritz

 
[]1882.3.13. 
[]1950.2.1. 
 E.H.2 1914 Die organische Tageswertbilanz (31929) "Zeitschrift für Betriebswirtschaft" ("Der Betrieb im Kreislauf der Wirtschaft"︿2050)   
 


Schmidt Wilhelm

 
[]1868.2.16. 
[]1954.2.10. 
調 1906"Anthropos""Der Ursprung der Gottesidee" (191255) W. Völker und Kulturen (24) 14 Die Sprachfamilien und Sprachenkreise der Erde (26)   
 


Schmidt Isaac Jacob; Jakov Ivanovich

 
[]1779. 
[]1847
 17981812 (1827) 2729 ( )  (29)  (39)  Mongolisch-deutsch-russisches Wörterbuch (35)  Tibetisch-deutsches Wörterbuch (41)   
 


Schmidt Kurt Diertrich

 
[]1896.10.25. 
[]1964.7.27.
 (1924)  (2935)  (36) 2 (52) "Die Bekehrung der Germanen zum Christentum" (36) "Germanischer Glaube und Christentum" (48) "Grundriss zur Kirchengeschichite" (49) "Gesammelte Aufsätze" (67)  

シュミット
Schmid, Joseph

[生]1893.1.26. ホルツハウゼン
[没]1975.9.4. ミュンヘン
ドイツの新約聖書学者,カトリック司祭。ディリンゲン・ドナウ神学校教授 (1945) ,ミュンヘン大学新約聖書釈義学教授 (51) を歴任。著作活動のかたわら後進の養成に努め,現代ドイツ・カトリック聖書学の更新と発展に貢献した。主著は『マタイとルカ』 Matthäus und Lukas (30) ,『マルコとアラム語マタイ』 Markus und aramäische Matthäus (論文,53) ,『ギリシア語黙示録の史的研究』 Studien zur Geschichte des griechischen Apokalypsetextes (3巻,55~56) 。このほか共観福音書の注解,『新約聖書入門』などがある。

シュミット
Schmidt, Bernhard Voldemar

[生]1879.3.30. エストニア,ナイサー
[没]1935.12.1. ハンブルク
ドイツの光学技術者。 1898年まで電信技師,写真技師,設計士などの仕事をしていたが,1901年ドイツ,ミトワイダの工業学校に入り,卒業後そこで光学機械の製作所と天体観測所を開いた。 26年ハンブルク天文台に迎えられ,30年シュミット・カメラを発明。広角で収差がきわめて小さく,天体観測技術の飛躍的向上を促した。カリフォルニアのパロマ天文台には 48インチ (約 122cm) のシュミット望遠鏡が装備されている。
 


Schmidt Johannes

 
[]1843.7.29. 
[]1901.7.4. 
 A. Die Verwandtschaftsverhältnisse der indogermanischen Sprachen (1872)   

シュミット
Schmid, Karl Christian Erhard

[生]1761.4.24. ハイルスベルク
[没]1812.4.10. イェナ
ドイツの哲学者。 1791年ギーセン,93年イェナの各大学教授。カント哲学の信奉者で,『純粋理性批判概要』 Kritik der reinen Vernunft im Grundrisse zu Vorlesungen (1786) ,『カント哲学用語辞典』 Wörterbuch zum leichteren Gebrauch der kantischen Philosophie (88) を著わした。
 


Schmidt Arno

 
[]1914.1.18. 
[]1979.6.3. 
西2 Leviathan (1949)  Zettels Traum (70)   

シュミット
Schmitt, Florent

[生]1870.9.28. ムルトエモーゼル,ブラモン
[没]1958.8.17. ヌイイシュルセーヌ
フランスの作曲家。パリ音楽院で G.フォーレと J.マスネに学び,1900年ローマ大賞を受け,イタリアに留学。ドイツ,オーストリア,トルコに滞在して帰国。 21~24年リヨン音楽院院長。ドイツ・ロマン派の作風と E.シャブリエの才気,ドビュッシーの色彩感を融合して大編成の曲を書いた。代表作『サロメの悲劇』。

シュミット
Schmidt, Franz

[生]1874.12.22. プレスブルク
[没]1939.2.11. ウィーン近郊ペルヒトルツドルフ
オーストリアの作曲家。 1880年からウィーンでヘルメスベルガーに学ぶ。 96年ウィーン宮廷オペラ管弦楽団のチェロ奏者,のちウィーン音楽院のチェロとピアノの教授を経て,1925~27年院長をつとめた。主作品には4つの交響曲,弦楽四重奏曲,オルガン曲,オラトリオなどがある。

シュミット
Schmidt, Friedrich, Freiherr von

[生]1825
[没]1891
オーストリアの建築家。シュツットガルトで修業し,のちウィーンで活躍。 E.ツウィルナーの助手として,ケルン大聖堂の修復にたずさわった。またフュンフハウス聖堂 (1868~75) を設計。代表作にはウィーン市庁舎 (72~83) があり,ウィーンにおけるゴシック・リバイバルの主導者であった。

シュミット
Schmidt, Julian

[生]1818
[没]1886
ドイツのジャーナリスト,文学史家。著書に『ドイツ文学史』 Geschichte der deutschen Literatur (5巻,1886~96) など。

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百科事典マイペディア 「シュミット」の意味・わかりやすい解説

シュミット

 
190047190419061862-19281907190119081936194821958  

シュミット

オーストリアの作曲家。プレスブルク(現ブラチスラバ)出身。ウィーン音楽院でブルックナーらに学び,宮廷歌劇場管弦楽団のチェロ奏者を経て1925年母校院長に就任。シェーンベルクと同年生れながらブルックナー,マーラーなど後期ロマン派の流れを汲む作風を堅持。没後長らく半ば忘れられた作曲家となっていたが,高度な変奏技法や楽曲構成上の革新性が近年注目を集め,再評価が進んでいる。4つの交響曲(1896年−1899年,1911年−1913年,1927年−1928年,1932年−1933年)のほか,オペラ《ノートル・ダム》(1914年),オルガン曲《シャコンヌ》(1925年),オラトリオ《7つの封印の書》(1937年)などがある。→交響曲
 

 
1197219621974198219871984D.19841995  
 

 

 

シュミット

ソ連の探検家,地球物理学者,天文学者,数学者。キエフ大学を出て,モスクワ大学教授(1926年),地球物理学研究所長(1938年―1949年),ソビエト連邦科学アカデミー副総裁(1939年―1942年)等を歴任。初め数学,特に群論を研究。学術的北極探検の開拓者で,砕氷船セドフ号(1929年),シビリャコフ号(1932年),チェリュースキン号(1933年―1934年)等による調査を指導。1944年太陽系生成に関する隕石(いんせき)捕獲説を提唱。《ソビエト大百科事典》の編集等出版関係にも業績がある。
 

 
西194619531969197219741982
 
 

 
 

シュミット

ドイツの経営経済学者。フランクフルト大学教授。主著《有機的貸借対照表学説》(3版,1929年)で,企業を国民経済という有機体の一細胞としてとらえ,財産評価に再調達価格を用いて市場との関連を保った財産計算を唱えた。また再調達価格と原価との差は別勘定にして成果計算を示し,財産計算と損益計算を区別・統一する二元的学説を展開した。

シュミット

ドイツの作家。言語に関してきわめて急進的な実験を試みた前衛作家で,短編集《レビアータン》ほか多くの小説,またロマン派の作家フケーについてのすぐれた伝記がある。

シュミット

ドイツの光学技術者。1926年ハンブルク天文台に勤務,1929年コマ収差のない広視野の光学系であるシュミット望遠鏡を発明。

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改訂新版 世界大百科事典 「シュミット」の意味・わかりやすい解説

シュミット
Carl Schmitt
生没年:1888-1985

ドイツの公法学者,政治思想家。ウェストファーレンのカトリック系の家庭に生まれる。第1次大戦と戦後の混乱に衝撃をうけ,19世紀の自由主義的法治主義,議会制などがその歴史的基盤を失ったと主張した。彼によれば20世紀は法をこえて〈政治〉が発動する時代であり,その〈政治〉とは規範の拘束を受けない敵味方の関係である。〈政治〉が規範的拘束から解きはなたれて発現する場が〈非常事態〉であり,主権者とは〈非常事態の決断者〉である。その主著《憲法論》(1928)において,ワイマール憲法を〈政治的部分〉と〈法治国的部分〉に分け,大統領の非常大権を,非常事態における法治国原理の失効であると説明した。1930-33年の大統領内閣時代には,ベルリン商科大学教授として,政府の枢機に参与,ナチスと共産党の脅威からワイマール共和国を守ることを主張した。33年のナチス政権の成立後ナチスに転向,ゲーリングの保護のもとで当時の代表的法学者として,ドイツ法学の非ユダヤ化を唱え,〈具体的秩序思想〉によってナチス革命を正当化した。やがてかつての親ユダヤ的言動などがオポチュニズムとして非難をうけ,36年より主流の座を離れた。戦後はアメリカ軍に逮捕され,教職をおわれて,故郷で著述を続けた。黒田覚,丸山真男,清水幾太郎など,多くの日本の学者に注目され,《政治的なものの概念》《憲法論》など翻訳も多い。
執筆者:


シュミット
Franz Schmidt
生没年:1874-1939


1888901896-19111901-081425273134使4212151︿


シュミット
Bernhard Voldemar Schmidt
生没年:1879-1935


19262935cm1.7530-323


シュミット
Wilhelm Schmidt
生没年:1868-1954

ドイツに生まれ,スイスで没したが,おもにオーストリアで活躍した民族学者,言語学者。言語学者として出発し,東南アジア,オセアニアの言語分類に貢献したが,のち民族学を主とし,文化圏説の大成者,ウィーン学派の総帥となった。カトリック教,神言会派の神父で,宣教師の民族学的調査を奨励,指導した。神観念の起源をいわゆる原始一神教に求めたが,主著《神観念の起源Der Ursprung der Gottesidee》全12巻(1912-55)はその成果である。弟子のW.コッパースとの共著《民族と文化Völker und Kulturen》(1924)に示されたような彼の文化圏の体系は,第2次世界大戦後,決定的に崩壊した。
執筆者:


シュミット
Florent Schmitt
生没年:1870-1958

フランスの作曲家。パリ音楽院でマスネーやフォーレに師事し,1900年にカンタータ《セミラミス》でローマ大賞をうけた。あらゆるジャンルの作曲に手を染め,とりわけ合唱曲《詩篇47番》(1904),バレエ曲《サロメの悲劇》(1907),ピアノ五重奏曲(1901-08),弦楽四重奏曲(1948),《交響曲第2番》(1958)などが高い評価を得ている。その音楽は,力強さと優しさ,悲劇性とユーモア,記念碑的な偉大さと細密画風の装飾的な繊細さ,といった互いに相反するものが両立して均衡を目ざすところに,独特な個性を示す。1922-24年リヨン音楽院長,36年デュカースの後任として芸術アカデミー会員となる。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シュミット」の解説

シュミット
Helmut Schmidt


1918

(FDP)(SPD)(197482)調

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「シュミット」の解説

シュミット
Helmut Schmidt

1918〜  
ドイツ連邦共和国の政治家
1953年から連邦議会議員となり,ブラント政権の閣僚を歴任後,74年に首相。党首のブラントとともに社会民主党を指導したが,1982年の連邦議会で不信任を受け,キリスト教民主同盟のコールに政権を渡した。

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367日誕生日大事典 「シュミット」の解説

シュミット

生年月日:1891年9月30日
ソ連邦の数学者,地理学者,探検家
1956年没

シュミット

生年月日:1882年3月13日
ドイツの経営経済学者
1950年没

シュミット

生年月日:1860年7月23日
ドイツの地磁気学者
1944年没

シュミット

生年月日:1843年7月29日
ドイツの言語学者
1901年没

シュミット

生年月日:1761年4月24日
ドイツの哲学者
1812年没

シュミット

生年月日:1845年7月13日
ドイツの薬学者
1921年没

シュミット

生年月日:1864年8月6日
ドイツの考古学者
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のシュミットの言及

【シュミット望遠鏡】より

…B.シュミットが考案した光学系をもつ望遠鏡。この光学系を利用した天体写真儀をシュミットカメラSchmidt cameraという。…

【アウストロネシア語族】より

… アウストロネシア語族の故地は,1889年オランダのケルンH.Kernによってインドシナ半島北東部沿岸であったろうと推定され,多くの学者によって支持されているが,アメリカのダイエンI.Dyenは,アウストロネシア諸語の現在における分布状態から推測し,ニューギニアが故地であった可能性を示唆している(1956,65)。
[他語族との関係]
 オーストリアのW.シュミットは,アウストロネシア語族とアウストロアジア語族が親縁関係にあったとし,両者を合わせてアウストリック語族なる名称を与えたが,科学的に証明されたわけではない。近年アメリカのベネディクトP.K.Benedictは,アウストロネシア語族がコーチシナや海南島の非漢語系の言語(カダイ諸語と呼ばれる)を介してタイ諸語と親縁関係があるとし,アウストロ・タイ語族を提唱しているが,いまだ定説とはなっていない。…

【文化圏説】より


Kulturkreis1898L.1904F.H.1911W.W.(1924)

【議会】より

…そうしたなかで,ワイマール共和国期のドイツでは,ひときわはげしく議会制論がたたかわされた。カール・シュミットは,〈議会制〉と〈民主主義〉のむすびつきをきりはなし,それどころか,その二つを相互排斥的なものとして位置づけ,議会主義への信念は民主主義でなく自由主義の思想界に属するとし,民主主義の名において議会主義を否定した。彼によれば,民主主義は議会によってではなく,国民の歓呼とアクラマチオAkklamatio(喝采)によって支持される独裁によってこそ,よりよく実現されるというのである。…

【憲法改正】より


 ()(C.)︿C.()

【憲法制定権力】より

…シエイエスの母国でも,近代憲法の確立期であった第三共和政期の憲法学は,pouvoir constituantという言葉を,もっぱら憲法所定の形式に服する憲法改正権という意味で使用し,本来の憲法制定権を法的思考の外に締め出したのであった。その後,憲法の現代的危機の時代になって,この観念は,C.シュミットによって,ふたたび意義づけを与えられた。彼は,基本的な政治的諸決定を実体とする〈憲法〉と,普通の〈憲法律〉を区別し,〈憲法律〉に基づいて規律される憲法改正権の上位に,みずから〈憲法〉を制定する憲法制定権力の存在を考える。…

【国家緊急権】より

…第3に,憲法の規定によらずに,国家緊急権が行使される場合である。 C.シュミットは,第2のものを委任的独裁,第3のものを主権的独裁とよぶ。第2のものの基礎には,緊急権の濫用を防止するためには,それを実定法上認めたうえで,条件,期間,手続等の点で制限を加えた方がよいとする考え方がある。…

【戦争】より

…革命の戦争化である。 実際,第1次世界大戦は〈ヨーロッパ国際法の在来的な国家間の戦争として始まり,革命的な階級敵対関係の世界内戦で終わった〉(C.シュミット)。そして1918年のドイツとハンガリーでの革命は,ヨーロッパ社会の伝統的な枠組みを破壊し,国際体制を基礎づけていたイデオロギー的合意の否定を意味するほどの衝撃力をもっていた。…

【代表】より

…ヨーロッパ語でこの言葉の原型にあたるラテン語のrepraesentareは,あるものを現前させる(目の前にあらわれさせる),ということを意味する。C.シュミットが,〈代表するとは,ひとつの目に見えぬ存在を,公然と現存する存在によって目に見えるようにし,現前させることである〉と述べ,〈目に見えないものが現存しないと前提され,しかも同時に現存するとされる〉という〈弁証法〉について語るのは,そのような言葉の系譜をふまえながら,憲法上の代表論のなかに,一定の形而上学的含意をもちこもうとするものであった。 私法の分野では,講学上,法人の機関の行為が法律では法人の行為としてあつかわれることを指して,機関が法人を代表するという。…

【独裁】より




 C.(2)(3)︿konkrete Ausnahme

※「シュミット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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