デジタル大辞泉
「和与」の意味・読み・例文・類語
わ‐よ【和与】
1 中世の訴訟解決法の一。幕府の裁決に至る以前に訴訟の当事者間で和解すること。和談。
2 中世、相続人または他人に対する無償譲与。
3 折り合いをつけること。
「―して命は生きたれども」〈盛衰記・三七〉
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わ‐よ【和与】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 折り合いをつけること。和睦すること。和解。かよ。
(一)[初出の実例]﹁近江国田根庄務事。早随二領家使下知一、成二和与一、可二沙汰一之由﹂(出典‥吾妻鏡‐建久元年︵1190︶一〇月一二日)
(二)﹁和与(ワヨ)して命は生きたれ共﹂(出典‥源平盛衰記︵14C前︶三七)
(三)② 財物・権利を無償で譲与すること。中世の慣習ではいったん血縁の者以外の他人に譲与した財物は悔んでも返してもらうことができなかった。
(一)[初出の実例]﹁和二与一子一之物、無二悔返法一之故也﹂(出典‥光明寺古文書‐寿永元年︵1182︶一二月一九日・度会神主某譲状)
(四)③ 中世の訴訟解決法の一つ。幕府の裁許を得る以前に、当事者間で確認しあって和解するもの。和解が成立した際、当事者は各々和与状を作成して互いに交換して幕府裁判所に提出し、幕府の担当奉行はこれに裏封を加え、さらに和与裁許状を発給してこの和解を正式に認可した。和談。
(一)[初出の実例]﹁任二正嘉元年御教書一、擬二尋決之処一、両方令二和与一云々﹂(出典‥鰐淵寺文書‐弘長三年︵1263︶八月五日・関東下知状案)
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和与 (わよ)
︵1︶贈与を指す。中世において他の強制をうけない自発的な好意・志から,無償で動産・不動産などを与える行為を和与とよんだ。したがって神仏に対する寄進,血縁・非血縁者に対する譲与や充行︵あておこない︶なども広義の和与に属し,法的性格において共通するものがある。このうち非血縁者に対する贈与は他人和与とよばれ,他人和与の物は悔返︵くいかえし︶ができないという法理が公家法の中に生まれ,さらに鎌倉幕府法にも移入されて,ほぼ天下の大法として定着した。ただし幕府は︿他人﹀の範囲を限定し,またときには他人和与そのものを禁止するなど,この法理に対して強い嫌悪感を示している。これは御家人所領の散逸を防ぐという理由のほか,幕府主従制の根本である恩給所領が,この法理によって取りもどし︵収公︶不能となることを危惧したためとする説もある。
︵2︶和解を指す。中世の紛争解決手段としては裁判,自力救済,権力による一方的強制などのほかに,当事者間の和解が大きな部分を占めており,これを和与と称した。和解の条件もしくは結果として,自発的な無償贈与が含まれていたために,この言葉が用いられるようになったとされている。公権力の行う裁判と無関係に行われる和与は,中人︵ちゆうにん︶などとよばれた第三者の調停によって成立するものが多く,この場合和与の効力は中人を含む地域社会の強制力によって保証されていたと考えられる。なお,いったん裁判所に提訴された紛争で,判決以前の段階で和与が成立するものも多かった。とくに鎌倉幕府の裁判では積極的に和与が奨励され,裁判手続上のどの段階でも和与することが可能であった。この場合,和与条件を列挙し,その遵守を誓約する旨を記した和与状を交換し,さらに和与に公的な効力を付与するための下知状が下付されるのが普通であった。地頭と領家の間に成立した和与の結果,いわゆる下地中分︵したじちゆうぶん︶などが行われた例が多い。
→和与状
執筆者‥笠松 宏至
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和与【わよ】
中世の訴訟および紛争において,当事者同士が和解すること。公的な訴訟では鎌倉幕府が和与を積極的に奨励したことが知られ,私的な紛争では中人(ちゅうにん)などと称される第三者を調停者として和与が成立し,後者の場合はその効力を地域社会の強制力が保証した︵保証刀禰(とね)など︶。和解条件やその遵守(じゅんしゅ)を記して交換する文書を和与状という。領家と地頭との間に和与が成立した結果,下地中分(したじちゅうぶん)などが行われる例も多かった。なお中世では無償の贈与行為をも和与と呼んだ。
→関連項目安堵|金丸荘|櫛淵荘|国富荘|久留美荘|鳥飼荘|放生津|和佐荘
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和与
わよ
中世において、子孫妻妾(さいしょう)に対する贈与を譲与︵処分︶とよんだのに対して、それ以外の者に対する贈与を意味した。したがって、﹁他人和与﹂とよんだこともある。譲与はいつでも取り消せたが、和与は取り消せなかった。また中世では和与の語が和解の意味に用いられたことがあるが、これは、和解の場合には双方が譲歩するのであり、これを、たとえば土地の訴訟の場合、相論の土地の権利の一部を相手方に贈与するものと解したことによるものと思われる。
﹇石井良助﹈
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和与
わよ
一般的には自由意志による贈与,それも子孫以外の血縁関係のない者に対する贈与を意味し,これをとくに他人(たにん)和与と称した。また和解の意味にも用いられ,とくに鎌倉幕府では,地頭などの荘園侵略に起因して和与が行われるようになり,後期には盛行した。その方法には,地頭請(うけ)や下地中分(したじちゅうぶん)などがあった。訴訟の途中で和解が成立すると和与状が作成され,幕府はこれを保証する下知状を発給した。これがない私和与は,訴訟法上不利益をこうむった。
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和与
わよ
おもに鎌倉~室町時代に使用された言葉で,(1) 贈与,(2) 裁判上の和解,(3) 子孫妻妾に対する贈与の意がある。 (1) は (3) と区別して特に他人和与と称した。また (3) の意には処分または譲与の語を用いる場合が多かった。なおこれより以前,律令制では贈与の意味に用いられた。
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和与
わよ
中世の法律用語で,無償譲与および訴訟当事者の和解契約
元来は贈与を意味したが,鎌倉時代以後財産の相続人や他人などに対する無償譲与および訴訟当事者の一方または相互の譲歩による和解契約の意に使用された。
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世界大百科事典(旧版)内の和与の言及
【和与状】より
…中世において[和与],すなわち無償贈与や紛争和解にともなって作成された文書をいう。ただし前者の贈与(他人和与)にともなう和与状は避文︵さりぶみ︶との区別がつけがたく,きわめてまれで特殊な場合であり,普通,和与状というと後者を指す。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」