デジタル大辞泉
「心」の意味・読み・例文・類語
こころ【心】
1人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。また、働きそのものをひっくるめていう。精神。心情。﹁心の豊かな人﹂﹁心に浮かぶ思い﹂﹁心と心の触れ合い﹂﹁心を痛める﹂﹁心の晴れる時もない﹂
㋐偽りや飾りのない本当の気持ち。本心。﹁心が顔に現れる﹂﹁心から感謝する﹂﹁心にもないほめ言葉﹂﹁口と心の違う人﹂
㋑身についた感じ方や考え方の傾向。性分。性根。﹁生まれついての心は変わらない﹂﹁ねじけた心﹂﹁心を入れ替える﹂
㋒物事について考え、判断する働き。考え。思慮。分別。﹁心を決めたら迷わず進む﹂﹁会社再建に心を砕く﹂
㋓他人の状況を察していたわる気持ち。思いやり。情け。人情味。﹁心のこもった贈り物﹂﹁心をこめて編んだセーター﹂
㋔あることをしようとする気持ち。意志。﹁やるしかないと心を決める﹂﹁行こうという心が起こらない﹂
㋕物事に対する関心や興味。﹁遊びに心を奪われる﹂
㋖自分と異なるものを認め受け入れる余裕。度量。﹁広い心の持ち主﹂﹁心の狭い人﹂
㋗物事の美しさやおもしろさのわかる感覚。風流心。﹁詩の心にふれる﹂﹁美を求める心﹂
㋘覚えていること。記憶。﹁心に深く刻まれた痛み﹂﹁心に残る名演技﹂
㋙気をつけること。注意。留意。﹁心が行き届く﹂﹁隅々にまで心を配る﹂
2
㋐物事の本質をなす意味。また、芸術上の理念。﹁演技の心を会得する﹂﹁能の心は幽玄にある﹂
㋑なぞ解きなどで、その理由。わけ。﹁田舎の便りとかけて豆腐ととく。心はまめ︵豆︶で稼いでいる﹂
3 全く異なる他の物事に見立てること。つもり。
﹁まだ蓬(ほう)莱(らい)は飾らねども、まづ正月の―﹂︿浄・阿波の鳴門﹀
4 おもしろくない思い。また、分け隔てする気持ち。
﹁かく親しき御仲らひにて、―あるやうならむも便なくて﹂︿源・若菜上﹀
[下接句]気は心・口は口心は心・犬馬の心・旅は情け人は心・二千里の外(ほか)故人の心・人は見(み)目(め)よりただ心
[補説]書名別項。→こころ
[類語]精神・内面・ハート・良心・意味・気・神経・胸・意義・意(い)・義(ぎ)・概念・謂(いい)・語意・語義・字義・文意・含意・含み・意味合い・旨・ニュアンス・語感・本義・広義・狭義
しん︻心︼
1精神。こころ。また、こころの奥底。﹁心、技、体のそろった力士﹂﹁心の強い人﹂→心(しん)から
2 ︵多く﹁芯﹂と書く︶もののなか。中央。中心。
㋐内部の奥深いところ。﹁からだの心まで冷える﹂
㋑中央にあって、重要な役割をになう部分。﹁鉛筆の心﹂﹁蝋(ろう)燭(そく)の心﹂﹁一家の心となって働く﹂
㋒火が通っていない飯粒や麺の、中央の硬い部分。﹁心のある御飯﹂
㋓物の形状を保つために、その内部に入れるもの。﹁襟に心を入れる﹂
3 ︽1が宿るとされたところから︾心の臓。心臓。﹁心不全﹂
4 二十八宿の一。東方の第五宿。蠍(さそ)座(りざ)のアンタレスほか二星をさす。なかごぼし。心宿。
5 ⇒真(しん)7
6 仲間。友だち。
﹁おいらも―に入れねえな﹂︿滑・浮世風呂・前﹀
[類語]中心・真ん中・中央・まん真ん中・ど真ん中・ただなか・まっただなか・正(せい)中(ちゅう)・中点・センター・あいだ・目玉・核・核心・基軸・心臓・髄
こころ︻心/こゝろ︼﹇書名﹈
︵心︶︽原題Kokoro︾小泉八雲の著作。明治29年︵1896︶刊。副題は﹁日本の内面生活の暗示と影響﹂。
︵こゝろ︶夏目漱石の小説。大正3年︵1914︶発表。罪悪感や孤独感、人間憎悪の念がついには自己否定に至るという、個人主義思想の極致を描く。
うら︻▽心︼
1 こころ。思い。内心。→心(うら)もなし
2 形容詞・動詞に付いて、心の中で、心の底からの意を表し、さらにその意が弱まって、何ということなく、何とはわからず、おのずからそのように感じられるの意を表す。﹁心悲しい﹂﹁心寂しい﹂﹁心荒(さ)ぶ﹂
けけれ【▽心】
「こころ」の音変化。東国方言。
「甲斐が嶺をさやにも見しが―なく横ほり伏せる小夜の中山」〈古今・東歌〉
ここり【▽心】
「こころ」の上代東国方言という。
「群玉のくるにくぎ鎖し固めとし妹が―は動くなめかも」〈万・四三九〇〉
[補説]例歌の原文「去去里」の「里」は「ろ」の乙類の仮名にも用いるので、「こころ」の誤読とする説がある。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
こころ【心・情・意】
(一)[1] 〘 名詞 〙 人間の理知的、情意的な精神機能をつかさどる器官、また、その働き。﹁からだ﹂や﹁もの﹂と対立する概念として用いられ、また、比喩的に、いろいろな事物の、人間の心に相当するものにも用いられる。精神。魂。
(一)[ 一 ] 人間の精神活動を総合していう。
(一)① 人間の理性、知識、感情、意志など、あらゆる精神活動のもとになるもの。また、そうした精神活動の総称。
(一)[初出の実例]﹁大君の 許許呂(ココロ)をゆらみ 臣(おみ)の子の 八重の柴垣 入り立たずあり﹂(出典‥古事記︵712︶下・歌謡)
(二)﹁大夫(ますらを)の聰(さと)き神(こころ)も今は無し恋の奴(やつこ)にあれは死ぬべし﹂(出典‥万葉集︵8C後︶一二・二九〇七)
(二)② 表面からはわからない本当の気持。精神・気持のありのままの状態。本心。
(一)[初出の実例]﹁然らば汝(いまし)の心の清く明きは何(いかに)して知らむ﹂(出典‥古事記︵712︶上)
(二)﹁人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける︿紀貫之﹀﹂(出典‥古今和歌集︵905‐914︶春上・四二)
(三)③ 先天的、または習慣的にそなわっている精神活動の傾向。性格。性分。気立て。
(一)[初出の実例]﹁高麗剣(こまつるぎ)己(わ)が景迹(こころ)からよそのみに見つつや君を恋ひ渡りなむ﹂(出典‥万葉集︵8C後︶一二・二九八三)
(二)﹁その人、かたちよりは心なんまさりたりける﹂(出典‥伊勢物語︵10C前︶二)
(四)④ 人知れず考えや感情などを抱くところ。心の中。内心。
(一)[初出の実例]﹁猶、願を果さむと、睠(かへり)みて常に懐(こころ)に愁ふ︿真福寺本訓釈 懐 心也﹀﹂(出典‥日本霊異記︵810‐824︶下)
(二)﹁人の方に行に、発句心に持行事在り﹂(出典‥俳諧・三冊子︵1702︶わすれ水)
(二)[ 二 ] 人間の精神活動のうち、知・情・意のいずれかの方面を特にとり出していう。
(一)① 物事を秩序だてて考え、行動を決定する精神活動。思慮分別。また、細かなところまで行きとどいた気の配り。周到な配慮。
(一)[初出の実例]﹁ま遠くの野にも逢はなむ己許呂(ココロ)なく里のみ中に逢へる背なかも﹂(出典‥万葉集︵8C後︶一四・三四六三)
(二)﹁心の至る限りは、おろかならず思ひ給ふるに﹂(出典‥源氏物語︵1001‐14頃︶薄雲)
(二)② とっさの気の配り。また、事に臨んで物事を処理してゆく能力。機転。気働き。臨機応変の心。
(一)[初出の実例]﹁さらば、かくなんと聞えよと侍りしかども、よも起きさせ給はじとてふし侍りにきと語る。心もなの事や、と聞く程に﹂(出典‥枕草子︵10C終︶八三)
(三)③ 自分の気持と異なったものを受け入れるときの精神的許容性。度量。
(一)[初出の実例]﹁我がいとよく思ひ寄りぬべかりし事を、譲り聞えて、心広さよ﹂(出典‥源氏物語︵1001‐14頃︶夕顔)
(四)④ 感情、気分など、外界の条件などに反応して心理内で微妙にゆれ動くもの。情緒。
(一)[初出の実例]﹁磐代の野中に立てる結び松情(こころ)も解けずいにしへ思ほゆ﹂(出典‥万葉集︵8C後︶二・一四四)
(二)﹁世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし︿在原業平﹀﹂(出典‥古今和歌集︵905‐914︶春上・五三)
(五)⑤ 他に対する思いやり。他人に対して暖かく反応する気持。情け。人情味。情愛。
(一)[初出の実例]﹁三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)有らなも隠さふべしや﹂(出典‥万葉集︵8C後︶一・一八)
(六)⑥ 詩歌、文学、芸術、情趣、もののあわれなどを理解し、それを生み出すことのできる感性。風流心。
(一)[初出の実例]﹁この在次君︿略﹀心ある者にて、人の国のあはれに心細き所々にては歌よみて書きつけなどしける﹂(出典‥大和物語︵947‐957頃︶一四四)
(二)﹁こころなき身にも哀はしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮﹂(出典‥山家集︵12C後︶上)
(七)⑦ ことばの発想のもとになる、人間の意識や感情。言語表現を支える精神活動。
(一)[初出の実例]﹁上古の時、言(ことば)意(こころ)、並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字に於きて即ち難し。已に訓に因りて述べたるは詞(ことば)心に逮ばず﹂(出典‥古事記︵712︶序)
(二)﹁やまと歌は、人のこころを種として、よろづのことの葉とぞなれりける﹂(出典‥古今和歌集︵905‐914︶仮名序)
(八)⑧ ある物事を意図し、その実現を望む気持。考え企てること。また、その考え。企て。意向。意志。
(一)[初出の実例]﹁結びてし 言(こと)は果さず 思へりし 心は遂げず﹂(出典‥万葉集︵8C後︶三・四八一)
(九)⑨ 気持の持ち方。心構え。また、意図を実現させるのに必要な意気ごみや精神力。
(一)[初出の実例]﹁心によりなん、人はともかくもある﹂(出典‥源氏物語︵1001‐14頃︶若菜下)
(十)⑩ 構えて、そういう気持になること。わざと、そのものとは違った見立てをすること。つもり。
(一)[初出の実例]﹁これかかまだ蓬莱はかざらね共、先正月の心三ばうかざってもっておじゃ﹂(出典‥浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡︵1712頃︶上)
(11)⑪ あらかじめ事の成りゆきを想定または予定しておくこと。また、その予想。予期。想像。覚悟。常識的想定。
(一)[初出の実例]﹁よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ﹂(出典‥枕草子︵10C終︶三一九)
(二)﹁われ心ありて来たれども、終に索め得ず。今心なくして鶴を見るこそうれしけれ﹂(出典‥読本・椿説弓張月︵1807‐11︶前)
(三)[ 三 ] 人間にある特定の分野に関わりの深い精神活動を特にとり出していう。
(一)① 相手に逆らうような気持をひそかに抱くこと、また、その気持。相手に反逆したり、分け隔てをするような気持。水くさい心。二心。異(こと)心。あだし心。隔意。
(一)[初出の実例]﹁人言を繁みこちたみ逢はざりき心あるごとな思ひ吾が背子﹂(出典‥万葉集︵8C後︶四・五三八)
(二)② 宗教の方面に進んでいる気持。道心。宗教心。信仰心。信心。
(一)[初出の実例]﹁などて、この月ごろ詣でで過しつらんと、まづ心もおこる﹂(出典‥枕草子︵10C終︶一二〇)
(二)﹁さばかり道心なき者の、はじめて心起る事こそ候はざりしか﹂(出典‥大鏡︵12C前︶六)
(三)③ 世俗的なものに執着する気持。迷いのままで悟れない心。雑念。妄念。我執。煩悩。俗情。
(一)[初出の実例]﹁ひとへに放埒を先として、身を軽くなす歌人世に多し。心を捨てたる人にまぎれ侍るべし﹂(出典‥ささめごと︵1463‐64頃︶下)
(四)[ 四 ] 事物について、人間の﹁心﹂に相当するものを比喩的にいう。
(一)① 人に美的感興などを起こさせるもの。事物の持つ情趣。風情。おもむき。
(一)[初出の実例]﹁橘の葉の濃くあをきに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし﹂(出典‥枕草子︵10C終︶三七)
(二)② あまりおおやけにされていない事情。また、詳しいいきさつ。内情。実情。
(一)[初出の実例]﹁門うちたたかせ給へば、心知らぬ者の開けたるに﹂(出典‥源氏物語︵1001‐14頃︶若紫)
(三)③ 物事の本質的なあり方。中心的なすじみち。物事の道理。
(一)[初出の実例]﹁ここに、古へのことをも、歌のこころをも知れる人、わづかにひとりふたりなりき﹂(出典‥古今和歌集︵905‐914︶仮名序)
(四)④ 内々でたくまれた、物事の趣向。くふう。
(一)[初出の実例]﹁九日の宴にまづ難き詩の心を思ひめぐらし、いとまなきをりに﹂(出典‥源氏物語︵1001‐14頃︶帚木)
(五)⑤ ことばの意味。わけ。語義。また、詩歌文章などの含んでいる意味内容。
(一)[初出の実例]﹁ちはやぶる神世には、歌の文字も定まらず、すなほにして、言の心わきがたかりけらし﹂(出典‥古今和歌集︵905‐914︶仮名序)
(二)﹁たとへば、此の朗詠の心は、昔、堯の御門に二人の姫宮ましましき﹂(出典‥平家物語︵13C前︶六)
(六)⑥ 事柄を成り立たせている根拠。物事の理由。また、謎ときなどの根拠。わけ。
(一)[初出の実例]﹁法師は詣らずと聞けば、其の心を尋ぬるに﹂(出典‥海道記︵1223頃︶逆川より鎌倉)
(七)⑦ 歌論・連歌論用語。
(一)(イ) 和歌や連歌の主題。表現の意図。意味内容。
(一)[初出の実例]﹁この歌、いかにいへるにかあらん、その心、えがたし﹂(出典‥古今和歌集︵905‐914︶仮名序)
(二)(ロ) 和歌や連歌の情趣、感動、余情などをいう。
(一)[初出の実例]﹁凡そ歌は心ふかく、姿きよげに、こころにをかしき所あるをすぐれたりといふべし﹂(出典‥新撰髄脳︵11C初︶)
(三)(ハ) 和歌や連歌の表現の上にみられる、すぐれた感覚。美的なセンス。
(一)[初出の実例]﹁末いまめかしく、こころありなど侍るは、ゆかぬことにぞ﹂(出典‥永承五年女御延子歌絵合︵1050︶)
(五)[ 五 ] 人体または事物について﹁心﹂にかかわりのある部位や﹁心﹂に相当する位置をいう。
(一)① 物の中心。物の中央。特に池についていうことが多い。まんなか。なかご。
(一)[初出の実例]﹁散りぬともかげをやとめぬ藤の花池のこころのあるかひもなき﹂(出典‥躬恒集︵924頃︶)
(二)② 人体で、心の宿ると考えられたところ。心臓。胸のあたり。胸さき。
(一)[初出の実例]﹁大猪子が 腹にある 肝向ふ 許許呂(ココロ)をだにか 相思はずあらむ﹂(出典‥古事記︵712︶下・歌謡)
(二)﹁こころときめきするもの。雀の子飼ひ。ちご遊ばする所の前わたる﹂(出典‥枕草子︵10C終︶二九)
(二)[2] ( こゝろ ) 小説。夏目漱石作。大正三年︵一九一四︶発表。友人Kを死に追いやった﹁先生﹂の心理的過程を、学生である﹁私﹂の目と、﹁先生﹂の遺書を通して描く。近代知識人のエゴイズムの問題を追究した作品。
しん︻心︼
(一)[1] 〘 名詞 〙
(一)① こころ。精神。
(一)[初出の実例]﹁たとひ衆生といふとも、心意の別称也。心を勝れたりとして、意を劣れりとすることなかれ﹂(出典‥伝光録︵1299‐1302頃︶伏駄密多尊者)
(二)﹁扨(さて)も扨もあの猟師といふ者は、疑ひのしんの深いものぢゃなあ﹂(出典‥集成本狂言・釣狐︵室町末‐近世初︶)
(三)[その他の文献]︹孟子‐告子・上︺
(二)② 心臓。心の臓。︹十巻本和名抄︵934頃︶︺ ︹礼記‐少儀︺
(三)③ 胸部。むね。︹荘子‐天運篇︺
(四)④ ( ﹁芯﹂とも書く ) 物の中央、また、中心を構成する部分。
(一)(イ) まん中にあるもの。物の中心。︹日葡辞書︵1603‐04︶︺
(一)[初出の実例]﹁桃のさねを 桃のみ又しん﹂(出典‥女重宝記︵元祿五年︶︵1692︶一)
(二)[その他の文献]︹南史‐孝義伝上・江泌︺
(二)(ロ) 生け花で、中心になる枝や花。
(一)[初出の実例]﹁藤をしんにたてべからず﹂(出典‥仙伝抄︵1445︶)
(三)(ハ) 衿や帯、また、屏風や襖(ふすま)などに入れて形を整えるもの。
(一)[初出の実例]﹁おむすさんのお聞(きき)の下帯(さげおび)といふのはネ。心(シン)の厚く這入た﹂(出典‥滑稽本・浮世風呂︵1809‐13︶三)
(四)(ニ) 飯などの煮えきらないで固い部分。
(一)[初出の実例]﹁尤も薩摩芋だけは、確かに鈴江君の手際と見へて大(おほい)に心(シン)があった﹂(出典‥思出の記︵1900‐01︶︿徳富蘆花﹀九)
(五)⑤ 中心となって活動するもの。一群の中での主要なもの。
(一)(イ) 行動の中心となるもの。主脳。
(一)[初出の実例]﹁おまへを今夜のしんにして、遊ぶのだ﹂(出典‥洒落本・多佳余宇辞︵1780︶)
(二)(ロ) =しん︵真︶⑭
(六)⑥ 根拠。基礎。
(二)[2] 二十八宿の東方第五宿。さそり座の中央部にあたる主星アンタレスほか二星をいう。心宿(しんしゅく)。商星。なかごぼし。︹文明本節用集︵室町中︶︺ ︹史記‐天官書︺
うら︻心︼
(一)[1] 〘 名詞 〙 ( ﹁裏﹂﹁浦﹂と同語源。上代では、﹁うらもなし﹂という慣用的表現の中に見られるにすぎず、多くは語素としての用法である ) 心。心のうち。
(二)[2] 〘 造語要素 〙 形容詞およびその語幹、動詞の上に付いて﹁心の中で﹂﹁心から﹂﹁心の底からしみじみと﹂の意を添える。﹁うらあう﹂﹁うらがなし﹂﹁うらぐわし﹂﹁うらごい﹂﹁うらさびし﹂﹁うらどい﹂﹁うらなき﹂﹁うらまつ﹂﹁うらもう﹂﹁うらやす﹂など。
心の語誌
(1)上代において同じく﹁心﹂の意をもつ﹁うら﹂と﹁した﹂のちがいは、﹁うら﹂が、意識して隠すつもりはなくても表面にはあらわれず隠れている心であるのに対し、﹁した﹂は、表面にあらわすまいとしてこらえ隠している心であるという。
(2)語素としての﹁うら﹂の結合範囲は、中古以後ほとんど形容詞に限られ、﹁うら﹂の意味も弱まって﹁おのずと心のうちにそのような感情がわいてくる﹂意となる。その結果﹁ものがなしい﹂などの﹁もの﹂と類似した意味にとれるが、﹁もの﹂は情意、状態の対象を漠然と示して外的であるのに対し、﹁うら﹂は内面的である。
(3)﹁古今集﹂をはじめ、和歌では、﹁うら﹂が﹁心﹂の意と﹁浦﹂や﹁裏﹂の意味を掛けて使われることがあるが、すでに﹁古事記‐上・歌謡﹂の﹁わが心浦渚(うらす)の鳥ぞ﹂や﹁万葉‐三三三六﹂の﹁いさなとり海の浜辺に浦も無くふしたる人は﹂などでも、﹁うら﹂に﹁心﹂と﹁浦﹂が掛けられている。
こり【心】
- 〘 名詞 〙 =こころ(心)
心の補助注記
「書紀‐神代上(水戸本訓)」の「所生(う)まるる神を号(なつ)けて田心姫(たコリひめ)と曰ふ」は、神名の一部として用いられている。
ここり︻心︼
(一)〘 名詞 〙 誤読によって﹁こころ︵心︶﹂の上代東国方言とされていた語。
心の補助注記
﹁万葉‐四三九〇﹂の﹁群玉のくるにくぎさし固めとし妹が去々里はあよくなめかも﹂の﹁去々里﹂を﹁ここり﹂と訓んだことによる。﹁里﹂は、﹁ろ﹂の乙類の仮名にも用いる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
心 (こころ)
知,情,意によって代表される人間の精神作用の総体,もしくはその中心にあるもの。︿精神﹀と同義とされることもあるが,精神がロゴス︵理性︶を体現する高次の心的能力で,個人を超える意味をになうとすれば,︿心﹀はパトス︵情念︶を体現し,より多く個人的・主観的な意味合いをもつ。もともと心という概念は未開社会で霊魂不滅の信仰とむすびついて生まれ,その延長上に,霊魂の本態をめぐるさまざまな宗教的解釈や,霊魂あるいは心が肉体のどこに宿るかといった即物的疑問を呼び起こした。古来の素朴な局在論議を通覧すると,インドや中国をはじめとして,心の座を心臓に求めたものが多いが,これは,人間が生きているかぎり心臓は鼓動を続け,死亡するとその鼓動が停止するという事実をよく理解していたためで,︿心﹀という漢字も心臓の形をかたどった象形文字にほかならない。心を心臓とほとんど同一視するという点ではヨーロッパでも同様で,英語のheart,ドイツ語のHerz,フランス語のcœurなどがすべて心と心臓の両方を意味するのも,そのなごりと思われる。ただし,医学思想の発展をみた古代ギリシア・ローマ期では,ヒッポクラテスが︿脳によってわれわれは思考し,見聞し,美醜を区別し,善悪を判断し,快不快を覚える﹀と記して以来,心の座を脳や脳室に求める考えが支配的になり,この系譜はルネサンス期をへて19世紀初頭のF.J.ガルの骨相学にまで及んでいる。
心の問題を身体的局在説の迷路から解き放ち,思惟を本性とする固有の精神現象として定立したのはフランスのデカルトで,彼がいわゆる松果腺仮説を提出したのも,心身の相関をそれで説明しようとしたものにほかならない。心が固有の精神現象であるなら,その成立ちや機能を改めて考える必要があり,17世紀後半からの哲学者でこの問題に専念した人は多い。心を︿どんな字も書かれていず,どんな観念もない白紙︵タブラ・ラサtabula rasa︶﹀にたとえた経験論のロック,心ないし自我を︿観念の束﹀とみなした連合論のD.ヒューム,あらゆる精神活動を︿変形された感覚﹀にすぎないと断じた感覚論のコンディヤックらが有名で,こういう流れのなかからしだいに︿心の学﹀すなわち心理学が生まれた。ただし,19世紀末までの心理学はすべて︿意識の学﹀で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。その後,ヒステリーなどの神経症で,意識されていない心のなかの傾向に支配されて行動することがS.フロイトらにより確かめられ,こうした臨床観察や夢の分析を契機として心の範囲は無意識の分野にまで拡大され,同時に,エス︵イド︶,自我,超自我といった層構造や,エディプス・コンプレクスなど各種の︿観念複合﹀,投影︵投射︶や抑圧などの防衛機制がつぎつぎと見いだされた。こういう視点に立つかぎり,現代の心の概念はひじょうに複雑化しているといえるが,心という素朴な主観的イメージそのものは未開人と文明人とでそれほど違っているとも思えない。
執筆者‥宮本 忠雄
哲学における︿心﹀の概念
ここでは主として哲学の観点から︿心﹀の概念の変遷と,この概念をめぐる今日の問題状況とを概観する。心とはふつう身や物と対照される言葉であるが,哲学の世界でも事情は変わらない。大観すれば古代以来の西洋哲学の展開を通じて,身-心あるいは物-心の関係をめぐって二つの考えかたが交錯し対立しながら現代に至っている。一つの傾向は心を身体や物体との連続あるいは親和の関係でとらえ,他方はその間の非連続と対立関係を強調し,身体的・感覚的な存在次元を超える理性的な精神活動にもっぱら注目する。発生的な順序では第1の見方が古く,心あるいは魂に相当するギリシア語の︿プシュケーpsychē﹀︵ラテン語ではアニマanima︶は,原義においては気息︵息︶を意味し,生きた人間の身体に宿ってこれを動かし,死に際してその身から離れ去る生気のごときものを指す言葉であった。しかしアテナイを中心とする古典期のギリシアでは,もうひとつ別の用法がすでに一般化している。すなわち,感覚,欲望,情念のような感性的機能とは異なる,まったく理性的な精神作用の主体を指す言葉としてもこれが用いられた。この意味のプシュケーは理性を表すヌースnousに近く,ラテン語でこれに対応するのはメンスmensあるいはアニムスanimusである。プラトンの諸対話編にはこの第2の型の霊魂観が典型的に表現されており,理性的な霊魂の不滅が真剣な哲学的議論の主題になっている。アリストテレスの︽霊魂論︾も,プラトンと同じく,心の理性的・超越的な存在性格を強調したが,それと同時に人間の心的生活が,たとえば栄養摂取や感覚-運動の機能に関して植物的・動物的な生命活動と連続するという一面も見逃さず,総合的・調和的な心理学説をつくり上げている。
こういう古典ギリシアの哲学的霊魂観がやがて霊肉二元のユダヤ教・キリスト教的な宗教思想と結びつき,西洋の思想的中核を形成するに至る。西洋近世における自然科学の勃興とその後の発展は,アニミスティックな自然観を退け,全物質界を法則認識の対象として客観化する認識態度によってもたらされたが,そういう思考法を培ったのもこの霊肉分離の宗教的・哲学的な伝統であったといわれる。この観点から見るとき,17世紀前半の代表的体系であるデカルト哲学の歴史的意義は大きい。それは伝統的存在論の物心二元の枠組みによって,科学的な世界観の基本構造を明確に表現している。ただしデカルトの場合も,感覚や意志行為を考察する場面では,心身の分離ならぬ合一が明らかな経験的事実として認められていた。そこで分離と合一という,心身関係ないし物心関係の一見矛盾する二側面を統一的に説明することがデカルト説を継承する人々の課題となり,ひいては近・現代を通じての哲学の重要問題となった。その間の注目すべき展開としてカントは,物質現象と実在的・因果的な関係に立つ︿経験的﹀な主観と,物的・心的な全現象をおのれの対象とする︿超越論的﹀な主観とを峻別し,これをもって彼の批判哲学の基本見解とした。この見解はもとより霊魂観の第2の類型に属するが,カントのあとをうけたドイツ観念論の哲学は精神主義ないし理性主義の傾向をさらに徹底させ,あらゆる現象の多様を超越論的主観のうちに吸収し,あるいはこの源泉から発出させる唯心論の形而上学として展開した。
しかし心に関する哲学説の第1類型もまた根強い伝統となって今日に及んでいる。ことに19世紀後半から20世紀はじめにかけては,実証主義ないし科学主義の立場をとる人々の間で心理現象の唯物論的説明や,進化論に基づく自然主義的解釈が盛んであった。現代の哲学的状況を見ても,これまで心の哲学の主流を形成してきたデカルト的二元論や超越論的観念論に対して,大勢としては批判的である。これら古典的学説の基礎仮定に対する批判の作業が重要な哲学的認識の確立につながった例として,まず挙げるべきはメルロー・ポンティの︽知覚の現象学︾︵1945︶であろう。これは超越論的哲学も経験主義哲学もひとしく閑却した身体の意義を,現象学的考察の対象として初めて主題化した労作である。意識の諸現象はみな身体という,客観であると同時に主観でもある両義的な存在の世界へのかかわりとして解釈されている。また言語分析の方法によるものとしては,G.ライルの︽心の概念︾︵1949︶がデカルト的二元論の批判に成果を収めたが,より根本的・持続的な意義をもつのはウィトゲンシュタインの︽哲学探究︾︵1953︶で,伝統的な心の概念の根底である私的言語の見解に徹底的な吟味を加え,︿言語ゲーム﹀や︿生活形式﹀を基本概念とする新たな哲学的分析の境地を開いている。これらに共通するのは心にまつわる理論的先入見を取り除き,生活世界の経験に立ち返って心の諸概念をとらえ直そうという態度である。これらを継承しつつ,関連する諸科学の研究成果をも踏まえた心の総合的認識に達することが現在の哲学的課題であろう。
→体︵からだ︶ →心身問題 →物
執筆者‥黒田 亘
日本語における︿こころ﹀
人間の精神活動の内容や動きをいう︿こころ﹀という日本語は,古くは身体の一部としての内臓︵特に心臓︶をさす場合が多かった。8世紀の︽古事記︾︽日本書紀︾︽万葉集︾には,︿こころ﹀の枕詞として︿肝︵きも︶むかふ﹀︿群肝︵むらぎも︶の﹀が用いられており,また︿心前︵こころさき︶﹀︵胸さきの意︶,︿心府︵こころきも︶﹀の語がみえる。いわゆる五臓六腑の総称が︿群肝﹀で,心臓がそれらの︿肝﹀に対して位置するところから︿肝むかふ﹀といい,また︿肝﹀の一類として︿心肝﹀と呼んだのであろう。︿肝稚︵きもわかし︶﹀︵精神的に未熟の意,︽日本書紀︾︶の例がみられるように,心の活動の源が身体の中心を占める臓器にあるとし,とりわけ鼓動を発する心臓が重視されて,精神の内容,はたらき全般を︿こころ﹀と称するにいたったらしい。したがってこの時期には,身体と精神の対立の意識はなお熟しておらず,むしろ︿こころ﹀の動きは身体活動の一部とみられていたことが,さきの語例からうかがえる。︿こころ﹀にかかわる言葉に,︿心痛し︵こころいたし︶﹀,︿心に乗る﹀︵心を占める意︶,︿穢心︵きたなきこころ︶﹀といった即物的表現が目につくのもそのためであろう。︽万葉集︾の歌にはおびただしい︿こころ﹀の用例があるが,その表記は︿許己呂﹀︿情﹀︿意﹀︿神﹀とさまざまである。当時はまだ︿なさけ﹀という語は発生しておらず,知,情,意にわたる精神活動が総じて︿こころ﹀と呼ばれたわけだが,なおそこに知,情,意を区別する意識もきざしつつあったとみられる。
︿こころ﹀に深くかかわる語に,︿こころ﹀のはたらきをいう︿思う﹀がある。︿思う﹀も︿こころ﹀と同様に多面的な精神作用を包括する語だが,しばしば︿恋う﹀と同義に用いられるように,情緒的な含意が強い。そこで11世紀前後から,より知的な思弁作用をさす語として︿考える﹀があらわれ,以後,文字の使用流通とともに普及をみるにいたる。こうした︿こころ﹀の作用を示す語の展開にともない,︿こころ﹀はしだいにその身体性を希薄にし,肉体に対する︿精神﹀の意味に傾いていった。たとえば,同じ︿心ある﹀とのいい方でも,古代ではおおむね人間以外の山川鳥獣についてそれらが︿感情を持つ﹀意を仮定形で示すのに対し,中世では人間の知性,教養をさすように変わってきている。現代においても,︿こころ﹀は︿気持﹀︿感じ﹀といった類義語に比べ,より主体的・能動的な精神状態にかかわって用いられるわけだが,しかし他方︿精神﹀の語に対してはなお原初の身体性をとどめているといえよう。
→気
執筆者‥阪下 圭八
心 (こころ)
1948年7月創刊された同人雑誌。第2次大戦後の急激な左翼的風潮にあきたりない安倍能成,武者小路実篤,天野貞祐,田中耕太郎,小泉信三,梅原竜三郎ら,いわゆるオールド・リベラリストが結成した︿生成会﹀の手で,当初向日書院から発行された。同人の自由な発言の場とすることを方針とし,エッセーのみならず,同人の研究成果や回想録などがかなり長期間連載され,そうしたゆったりした誌面作りが一種の風格となっていた。発行元は日本評論社,酣灯社と移り,53年4月号から終刊号︵81年7・8月合併号︶までは平凡社から刊行された。
執筆者‥海老原 光義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
心
こころ
心とはいわゆる感覚・知覚および知・情・意の働き、ないしはその座をいう。哲学のうえで心を特徴づけるとすれば、人間を人格たらしめる原理であるといえよう。しかし、いま少し具体的に心を規定するには、それが何と対立して考えられるかをみればよい。まず第一に、心は身体に対立させられる。この場合、心は、身体に受けた刺激を受容するもの、身体を動かすものなどと考えられる。第二に、心は行動、ふるまいに対立するものとして考えられる。表だった行動の背後にあり、行動とは独立に働くものとして、いわゆる思考、感情、意志などの座として心が設定される。第三に、人間同士が人間として異なるとすれば、それは異なる心をもつからであるとして、人間同士を異ならせるものとしての心が考えられる。そして第四に、この世界が見え、聞こえ、味わわれているのは、ほかならぬ自分にとってであるとして、世界いっさいに対立する﹁自分﹂としての心が考えられる。このように﹁心﹂はけっして単純な概念ではないが、そこに共通してみいだされるのは、人間を単なる﹁物﹂でない﹁者﹂︵人格︶とする原理だということである。
﹇伊藤笏康﹈
心理学者のだれもが承認するような心の定義はまだない。しかし多くの心理学者は、知覚、記憶、感情、意志、知的活動などの心理的過程を心と結び付けて考えている。心ということばは、次のような意味で用いられることが多い。(1)環境との間に相互作用を営む心理的過程の全体、(2)意識的経験の全体、(3)心理的活動や意識的経験を説明するための構成概念、(4)主体、自己、魂または霊魂、(5)行動または思考の特徴的様式︵たとえば、日本人の心、未開人の心などという場合︶。
経験的心理学が登場する以前の心理学は、心の本質︵物質との違いなど︶、霊性︵神との関係など︶、道徳性︵心の善悪︶などの問題を取り上げて論じていたが、とくに心の本質の問題は﹁心身問題﹂として長い間引き続き哲学や心理学の重要問題となってきた。心と身体との関係については、次のようないくつかの立場を区別することができる。(1)身体だけが実在すると主張する唯物論materialism、(2)身体および身体的過程は心の働きの所産であり、心の現象形態にすぎないと主張する唯心論spiritualism、(3)心は身体に作用し身体は心に作用すると主張する相互作用説interactionism、(4)心的過程と身体的過程とは相互に影響しあうことなく、まったく独立に並行して進行していると主張する並行説parallelism、(5)心に影響を与えるある種の事象は身体にも影響を与え、身体に影響を与えるある種の事象は、心にも影響を与えると主張する心理物理的並行説psychophysical parallellism、(6)ある見方からすれば心は身体であり、また別の見方からすれば身体は心であり、両者は基本的には一つの本体のもつ二つの特性であると主張する両面説double aspect theory、(7)心的過程は身体的活動の副産物であって、とくに重要な役割をもたないと主張する付随現象説epiphenomenalism、(8)意識的過程と脳の物理的過程とはまったく同一だというわけではないが、両者の間には一対一の対応関係があると主張する心理物理的同型説psychophysical isomorphism、(9)生物がある程度複雑になると、心的性質を示すようになると主張する発出説emergentism。
現代の心理学は行動主義の影響を受け、意識的経験を客観性に欠けるものとして研究対象から排除する科学的心理学の立場をとり、﹁心のない心理学﹂が主流を占めるようになったが、それによって心に関する問題そのものが解決されたわけではない。問題は心をどう定義するかであるが、心という概念が要求される理由は主体の同一性とか、認識の恒常性とか、身体との関係とかいったことが問題になるからである。そこで今日では、心にかわって﹁人﹂とか﹁パーソナリティー﹂とかいった概念が取り上げられている。また、心と身体との関係についても、脳損傷や薬物による心理的過程の障害の問題、身体症状の原因として心理的因子を重視する精神医学的な問題、脳の発達と心理的機能の発達との系統発生的・個体発生的関係の問題、脳活動とさまざまな意識水準との関係の問題、などの具体的研究課題が取り上げられ、電気化学・分子化学などの自然科学的な立場から研究されている。
﹇宇津木保﹈
﹃藤永保他著﹃心とは何か﹄︵﹃講座 現代の心理学1﹄所収・1981・小学館︶﹄
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
心
こころ
mind
常識的には,身体的なものないし物質的なものとは独立の存在として,自我,精神,霊魂などの言葉とほぼ同義に使われることが多い。一方,現代の心理学では,個体の示す複雑な行動を規定し,統御している機能についての一般的な言葉として用いられる。その場合,機械論的一元論の立場によれば,こうした行動を規定している脳の活動ないし過程といったものを漠然と示す用語であるとされるが,他方,生理的過程と区別されたあらゆる精神活動,精神過程の統合ないしまとまりの総体を示す用語とされたり,また単に行動を説明するために仮定されたいくつかの構成概念のシステムとして考えられたりしている。
心
しん
citta
仏教用語。仏教の経論では,肉体に対する精神のこと。精神には,心の本体と心の働きとがあると説いている。また心の説明については,経論によって種々の異説がある。 (1) 人の心臓の意。 (2) 阿頼耶 (あらや) 識のこと。 (3) 自我意識である末那識のこと。 (4) 意識のこと。 (5) 自性清浄心すなわち真如の意など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
心〔映画〕
1973年公開の日本映画。監督・脚本:新藤兼人、原作:夏目漱石による小説『こころ』、撮影:黒田清巳。出演:松橋登、辻萬長、杏梨、乙羽信子、殿山泰司、荒川保男、小竹外登美ほか。
心︹曲名︺
日本のポピュラー音楽。歌は男性演歌歌手、五木ひろし。1990年発売。作詞‥星野哲郎、作曲‥船村徹。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の心の言及
【心学】より
…中国思想史には,禅心学と陸王(陸象山と王陽明)の心学とがある。心,学の字は先秦の古典にすでに多くみられるが,心学と一語として使用されたのは仏教が中国に渡来してから以後のことである。…
【心臓】より
…動物の循環系の中枢的位置にあって,周期的な拍動によるポンプ作用で,血液循環の維持と調節に不可欠の器官。心臓が血液循環の原動力であることが17世紀にW.ハーベーによって明らかにされるまでは,心臓は肺からきたプネウマpuneuma(霊気)を身体に供給する器官であるとするガレノスの血液学説が一般に信じられていた。 なお,ラテン語のcorはギリシア語のkardiaに由来するが,cardi‐,coro‐の語は,たとえば心電図electron cardiogramのように,心臓に関する語中にしばしば用いられる。…
【心理学】より
…心理学とは文字どおり心の理︵ことわり︶の学であり,心理学を表す西欧語は,ギリシア語のプシュケーpsychē(心)とロゴスlogos(理法,学)の合成にもとづく。日本では,1878年西周によって︿mental philosophy﹀の訳語として用いられたのが最初とされる。…
【精神】より
…︿心﹀と同じ意味にも用いられるが,心が主観的・情緒的で個人の内面にとどまるのに対し,︿精神﹀は知性や理念に支えられる高次の心の働きで,個人を超える意味をはらみ,︿民族精神﹀︿[時代精神]﹀などと普遍化される。この点は語義の成立の過程からも明らかで,洋の東西を問わず心は心臓の動きと関連してできあがり,それゆえ身体内部に座をもつ概念である。…
【脳】より
…脊椎動物の神経系において神経作用の支配的な中心をなしている部位をいい,無脊椎動物では頭部背側にある食道上神経節を脳または頭神経節という。脊椎動物では,脳(頭蓋腔のなかにある)は[脊髄](脊柱管のなかにある)とともに中枢神経系を形造っているので,脳は中枢神経系の部分であるわけであるが,〈脳〉という言葉は,中枢神経系を代表するものとして〈中枢神経系〉の意味で用いられることもある。…
※「心」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」