清水三男(読み)しみずみつお

改訂新版 世界大百科事典 「清水三男」の意味・わかりやすい解説

清水三男 (しみずみつお)
生没年:1909-47(明治42-昭和22)


193138︿姿調19553

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20世紀日本人名事典 「清水三男」の解説

清水 三男
シミズ ミツオ

 

 





42(1909)12



22(1947)127







= 



6



7101314231718221(3 )


 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「清水三男」の意味・わかりやすい解説

清水三男
しみずみつお
(1909―1947)

第二次世界大戦前の日本中世史研究者。京都に生まれる。1931年(昭和6)京都帝国大学文学部卒業。中世史、とりわけ東寺(とうじ)文書を史料とした東寺領の個別荘園(しょうえん)研究に従事する。『日本中世の村落』(1942)、『上代の土地関係』(1943)などの著書で、それまでの中世史研究で荘園が過大視されていることを批判、国衙(こくが)領の相対的重要性を論じるとともに、日本の荘園が西欧のマナーmanorのように独立した経済体をなさず、経済体としての村落が別に存在することを主張、戦後の中世史研究に大きな影響を与えた。38年、京都の「世界文化」グループへの弾圧事件に連座。その後43年に召集を受け、千島で終戦を迎えたが、抑留中の47年(昭和22)シベリアで病死した。

[千々和到]

『『清水三男著作集』全3冊(1974~75・校倉書房)』

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百科事典マイペディア 「清水三男」の意味・わかりやすい解説

清水三男【しみずみつお】

日本中世史研究者。京都生れ。1931年京都帝国大学卒業後,共産主義運動に入り,1938年に逮捕され,翌年釈放。《日本中世の村落》に代表される研究では,荘園制を国制としてとらえる観点を確立するとともに,村落生活に農民の真の姿を追究し,戦後歴史学の先駆的な成果となった。敗戦後,シベリアに抑留され,病死した。《清水三男著作集》全3巻がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水三男」の解説

清水三男 しみず-みつお

1909-1947 昭和時代前期の日本史学者。
明治42年12月生まれ。和歌山商業でおしえるかたわら,荘園研究をつづける。昭和13年雑誌「世界文化」グループの治安維持法違反事件に連座。のち「日本中世の村落」「上代の土地関係」を発表。18年召集され,千島で終戦をむかえる。シベリア抑留中の昭和22年1月27日病没。39歳。京都出身。京都帝大卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清水三男」の意味・わかりやすい解説

清水三男
しみずみつお

[生]1909. 京都
[没]1947. シベリア
歴史家。京都大学文学部史学科卒業。唯物史観に立ち日本荘園史を研究,かつ中世村落のもつ文化的役割を重視したが,1943年陸軍補充兵として召集され,45年千島列島守備の任についているときソ連に抑留され,37歳で死去したと伝えられる。主著『日本中世の村落』 (1942) 。

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世界大百科事典(旧版)内の清水三男の言及

【荘園】より


西

【中世社会】より


西︿ 

※「清水三男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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