白柳秀湖(読み)シラヤナギシュウコ

デジタル大辞泉 「白柳秀湖」の意味・読み・例文・類語

しらやなぎ‐しゅうこ〔‐シウコ〕【白柳秀湖】

 
18841950  

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精選版 日本国語大辞典 「白柳秀湖」の意味・読み・例文・類語

しらやなぎ‐しゅうこ【白柳秀湖】

 

(一)()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白柳秀湖」の意味・わかりやすい解説

白柳秀湖
しらやなぎしゅうこ
(1884―1950)


1717()()()()()()()190740()()1905()()1910()西()()195025119



1971

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改訂新版 世界大百科事典 「白柳秀湖」の意味・わかりやすい解説

白柳秀湖 (しらやなぎしゅうこ)
生没年:1884-1950(明治17-昭和25)

社会主義文学の先駆者,在野の史論家。本名武司。静岡県引佐郡気賀町(現浜松市,旧細江町)に生まれる。早稲田大学文学部哲学科に在学中から社会主義運動に接近,1904年には加藤時次郎主宰の〈直行団〉に参加したり,週刊《平民新聞》などにも執筆。翌年プロレタリア文学運動のさきがけと評される火鞭会(かべんかい)を山口孤剣らと結成。大逆事件後,《週刊サンデー》の編集のかたわら売文社員となり,堺利彦らの《へちまの花》創刊に参加したが,以後はしだいに史論や社会講談に力点を移した。《親分子分俠客篇》《親分子分浪人篇》《大日本閨閥史》《財界太平記》《社会展開の動力》《維新革命前夜物語》等の史論は,アカデミー史学に拮抗する白柳史学を形づくるとさえいわれた。26年社会民衆党結成に参加,42年日本文学報国会理事となり,戦後公職追放になった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「白柳秀湖」の意味・わかりやすい解説

白柳秀湖【しらやなぎしゅうこ】

 
()1905︿()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白柳秀湖」の意味・わかりやすい解説

白柳秀湖
しらやなぎしゅうこ

 
[]1884.1. 
[]1950.11.9. 
 ( ) 西  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白柳秀湖」の解説

白柳秀湖 しらやなぎ-しゅうこ

1884-1950 明治-昭和時代の小説家。
明治17年1月7日生まれ。社会主義運動に共感し,明治38年中里介山らと火鞭(かべん)会を結成。40年「駅夫日記」を発表。大逆事件後は在野史家として史論や大衆文学を発表した。昭和25年11月9日死去。66歳。静岡県出身。早大卒。本名は武司。筆名はほかに哲羊生。著作に「財界太平記」など。

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世界大百科事典(旧版)内の白柳秀湖の言及

【火鞭】より

…1905年(明治38)9月~06年5月まで9号発行され,《ヒラメキ》に合併。火鞭会発起人の児玉花外,小野有香,山田滴海,山口孤剣,中里介山,原霞外,白柳秀湖のほか,内田魯庵,木下尚江,徳田秋声などが執筆している。文学作品としては,かならずしも質の高いものばかりとはいえないが,〈批評を以て創作の隷属となすを弾劾し〉として批評のもつ意味を高めた。…

※「白柳秀湖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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