デジタル大辞泉
「真理」の意味・読み・例文・類語
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しん‐り【真理】
(一)〘 名詞 〙
(二)① ほんとうのこと。まことの道理。真実のこと。︹落葉集︵1598︶︺
(一)[初出の実例]﹁各自見を逞うせしも多けれども、又皆其本明らかならざる事を基とせし故、真理を精詳にする事を得ざると知らる﹂(出典‥形影夜話︵1810︶上)
(三)② 特に哲学でいう。
(一)(イ) 古代・中世には、認識が実在の事物に一致すること。スコラ哲学では、この認識の真理をささえる絶対の真理として神を考え、神は信仰によって啓示されるとした。
(二)(ロ) 近代では、判断が思惟法則に一致するという形式的真理と、判断が経験の先天的原理である悟性の法則に一致するという認識の真理がとりあげられた︵カント︶。
(三)(ハ) 現代では、命題の性質とみなされ、論理学におけるトートロジー︵恒真式︶群とその変形という形式的真理と、命題と事実の一致という認識の真理、命題が絶対とみなされた一貫した体系全体の必然的な一部分であると認められることという筋道一貫の真理、命題が有効であるというプラグマチックの真理、意識から独立に存在する物質とその運動を認め、物質を正しく反映する意識をさす唯物論的真理などに分かれて研究されている。
(四)③ 仏教で、真如(しんにょ)のこと。真実で永遠不変の理法をいう。
(一)[初出の実例]﹁山静俗塵寂、谷間真理専﹂(出典‥懐風藻︵751︶和藤江守詠裨叡山先考之旧禅処柳樹之作︿麻田陽春﹀)
(二)﹁文々に悲涙の玉詞を瑩き、句々に真理の法義を宣られしかば﹂(出典‥太平記︵14C後︶四〇)
(三)[その他の文献]︹方干‐遊竹林詩︺
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
真理 (しんり)
truth
真理についての考え方には大きくいって三つある。第1は存在論的真理観である。︿この絵はレンブラントの真作である﹀︿これこそ真の勇気である﹀︿この神は真なる神である﹀というような例において,︿真﹀という形容詞は,絵,勇気,神といった存在者に付加されている。このように︿真理﹀とは存在者に対して付加される特質だとするのが存在論的真理観である。ところでいまの例において絵の場合はそれが真かどうかを決定するのは比較的簡単だが,勇気や神の場合にはその判定が難しく,そこからいろいろの哲学的・神学的議論が出てくる。
第2は対応説的真理観である。そこでは,︿真﹀という語はつぎのような仕方で使われる。︿“地球は丸い”が真であるのは地球が丸い場合であり,そうでない場合は偽である﹀。この例で︿真﹀という形容詞は︿地球は丸い﹀という命題の述語となっている。そしてこの命題が真であるのは,地球が丸いとき,すなわち地球が丸いという事態が成立しているときである。つまりここでは︿地球は丸い﹀という命題が,地球は丸いという事態と対応しているからその命題は真なのである。したがって対応説的真理観は,命題と事態との対応・不対応によってその命題の真偽を決めるという考え方だといえる。この真理観を,第1の存在論的真理観と比べると,存在論的真理観が存在のレベルだけしか考慮していないのに対し,対応説的真理観は,命題つまり言語レベルと,事態つまり存在レベルの両方を考慮に入れているという点で,一段と優れているといえる。こうした対応説的真理観は,アリストテレスにその萌芽がみられるが,その完成した姿は14世紀のスコラ論理学者の著作の中に発見できる。そしてこのスコラ論理学者の考えは近世の哲学者や論理学者の間では無視されたが,20世紀になって論理学者タルスキーによってより広範な理論に仕立てあげられた。
第3は整合説的真理観である。︿“直線l上にない点Pを通ってlと交わらない直線が1本だけ引ける”が真なら,“三角形の内角の和が2直角である”も真である﹀。︿“直線l上にない点Pを通ってlと交わらない直線が2本以上引ける”が真なら,“三角形の内角の和は2直角より小さい”は真であり,“三角形の内角の和は2直角である”は真でない﹀。以上二つの例において,︿真﹀という語は命題と事態との関係において述べられているのではなくて,命題と命題との整合・不整合の関係において述べられている。こうした整合説的真理観では,言語のレベルだけで真理を語っているのであり存在のレベルは問題にされていない。こうした真理観は近世になって生まれた新しい考え方である。
執筆者‥山下 正男
真理概念の歴史
真理を意味するギリシア語alētheiaは,︿忘却→隠蔽﹀という意味のlēthēに︿欠如・否定・剝奪﹀の機能をもつ接頭詞aが付されたものであり,︿脱-隠蔽性﹀といった感じの言葉である。こうした言葉をつくった古代ギリシア人にとって真理の原体験は︿隠蔽・仮象を打ち破って,あるがままの存在を顕現させる﹀という一種破壊的な体験であったらしい。オイディプス王が平穏な日常的現実の仮象を突き破って,父を殺害し母を辱めていたおのれのあるがままの姿を,身の破滅をも恐れずどこまでも追及し暴き出していくあの激情的行為にその原体験を見てとる学者︵K. ラインハルト︶もいる。ここで︿真﹀であるのは,そうして露呈される存在者そのものである︵存在論的真理観︶。しかし,古代ギリシアも古典時代になると真理のそうした否定的原義は忘れられ,たとえばプラトンにあっては,眼前の存在者を通してそのイデアに魂の眼を正しく向けるその︿正しさorthotēs﹀ないしその視線の正しさによって得られるイデアとイデイン︵見る働き・認識︶の︿合致homoiōsis﹀が真理と考えられるようになる︵対応説的真理観︶。
alētheiaがラテン語でveritasと訳されたとき,接頭詞aにこめられていた真理体験の否定的性格は決定的に見失われ,中世スコラ哲学にあっては真理は︿知性と物との合致adaequatio﹀と定義されて,一貫して︿合致・対応﹀の視点からとらえられる。もっとも,この定義も二様に解され,一方ではそれは︿物が︵神の︶知性︵観念︶に合致すること﹀を意味し,他方では︿人間の知性が物に合致すること﹀を意味する。存在者が︿真﹀であると言われるのは︵真の作品,真の勇気︶,前者の真理概念にもとづくものであり,ここには存在論的真理観の残欠が見られる。一方,認識や命題が︿真﹀であると言われるのは,後者の真理概念にもとづく。
近世に入ると,真理はもっぱら後者の意味でのみ理解され,対象に合致した人間認識の属性と見られた。しかし,よく考えてみれば,認識の一致・不一致が測られる対象に,われわれは当の認識を通じて以外近づきえないのであり,カントの主張するように︿経験の可能性の条件が,そのまま経験の対象の可能性の条件でもある﹀のだとしたら,この真理概念は無意味になる。こうしてカント以降,経験相互の整合性,命題相互の整合性を真理と見る整合説的真理観が生まれてきた。︿全体が真理である﹀と説くヘーゲルの真理概念も,弁証法的に統合されたあらゆる経験の整合的全体を究極的真理と見るわけであるから,やはり整合説に属すると考えてよい。
しかし,今日では述定判断の真理性の根拠を追求し,それが前述定的経験の明証性に基礎を置くと見るフッサールやハイデッガーのような考え方もある。彼らは,存在者がそれにふさわしい経験においてあらわに立ち現れていることを根源的真理と見るのであり,これは原初のalētheia的真理概念の復権と見てよい。なお,ニーチェのように︿真理とは,それなくしては特定の種類の生物︵人間︶が生きることができないような一種の誤謬である﹀といった思いきった真理観を提出した哲学者もいる。
執筆者‥木田 元
インド
インドで真理・真実を表す語はさまざまであるが,その代表はタットバ,サティヤである。タットバtattvaは字義どおりには︿それであること﹀を意味し,ものごとの本質というニュアンスをもち,サーンキヤ学派では︿原理﹀と訳しうるような用い方をする。サティヤsatyaは︿必ずや実現される﹀︿絶対に違わない﹀という意味での真理・真実である。例えば仏教などの重要な戒のひとつ︿サティヤ・バチャナsatya vacana﹀は︿不妄語﹀と巧みに漢訳されている。また初期仏教の教法は四聖諦︵ししようたい︶としてまとめられているが,この︿諦﹀もサティヤの漢訳語である。一般に,悟りへの道を示す教えはサティヤと称しうるが,ベーダーンタ学派などでは,窮極的なサティヤはブラフマン︵梵︶であるとされる。また,タタターtathatā︵真如︶,ヤターブータyathābhūta︵如実︶は仏教でとくに愛好される語で,悟りの境地で体得される真実の世界を示している。
→虚偽
執筆者‥宮元 啓一
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真理
しんり
truth 英語
vérité フランス語
Wahrheit ドイツ語
虚偽とともに、そのいずれかが命題または判断に付着する性質である。すなわち﹁或(あ)るものが或るものである︵たとえば﹁人間は植物である﹂﹁この花は白色である﹂などで、一般に﹁SはPである﹂と表記される︶﹂という命題または判断は、かならず真であるか偽であるかのいずれかである。真なる命題の把握または真なる判断が知識であり、知識は真であることによって知識となるのであるから、真理は認識に関する超越的価値であり、知性が目ざす目的としての超越的対象である。
真理の基準が何であるかについては、いろいろな説がある。伝統的な形而上(けいじじょう)学は﹁思考と存在との合致﹂adaequatio rei et intellectusが真理であるとした。ギリシア語のalētheia︵真理︶の語義は、本来、﹁覆われていないこと、顕(あらわ)なこと﹂であると考えられる。すなわち、真理とは存在そのものの姿が顕になっていることであり、そのように存在そのものを顕ならしめるもの、または存在の真実相がそこで顕となる場所が理性であると考えられる。
このように、真理が存在そのものについて語られるとき、それは存在論的真理とよばれる。これに反して、真理が知性の分析と総合の作用である判断について語られるとき、それは認識論的真理である。中世では、いろいろな真理は、唯一の真理である神に基づくものとされた。神の真理は事物を創造する真理である。したがって、これは存在の真に関係づけられて成立するものではなく、むしろ、存在の真がそれに関係づけられて成立するものとされた。
知性が知性の外にある存在そのものに、いったい、いかにして達しうるであろうかという問いによって、懐疑論が生まれる。ゴルギアスや古代懐疑派では、そこから真理の認識は不可能であるという結論が導き出された。プロタゴラスでは﹁真理とは各人にとってそう思われるものである﹂という相対主義が主張された。これは、人間を真理の尺度とする点で﹁人間尺度説﹂homo-mensura-theoryとよばれる。懐疑論の主張に対して、﹁万民の一致﹂consensus gentiumが真理の基準として主張されることもあった。知性は、知性の外にある﹁物自体﹂には達しないが、知性の内部において真偽を弁別する、と考えるとき、近代の主観主義が生まれた。この場合、真理の基準は観念の明証性または知性の法則との整合性に置かれ、知性内の基準が真理の基準となる。また、真理の基準を知識の有効性にありとするプラグマティズムの真理説も、主観主義の一形態である。
﹇加藤信朗﹈
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真理【しんり】
一般に認識と存在,命題と現実の事態,命題相互が正しく一致・整合していること。虚偽の対。ギリシア語アレテイアの原義は〈隠蔽性の否定〉,存在者の立ち顕れで,たとえばハイデッガーはこれを根源的な真理観として採用する。基準の置き方で真偽は相対的になるが,真理性の根拠のあくなき追求が西洋哲学史を性格づけている。〈それなくしては特定の種類の生き物〔人間〕が生きえないようなある種の誤謬〉(ニーチェ)。→虚偽
→関連項目根拠律|二重真理
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普及版 字通
「真理」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の真理の言及
【二重真理】より
…後期スコラ学に現れた真理観。真理は多数あっても究極的には一つの真理(根拠)によって成立するというのがギリシア哲学の真理観であるが,これに対しキリスト教とイスラム教では,〈啓示(信仰)の真理〉と〈理性の真理〉とを区別する傾向があった。…
【光】より
…光は神的なものの顕現,臨在であり,それによって霊界,精神界が自覚され,自己認識が生ずる。アレテイアalētheia(真理)とは〈隠れなきこと〉の意であり,真理と光は同一視される。光を重視したパルメニデスとプラトンの哲学およびそれを受け継いだ形而上学の伝統は〈光の形而上学〉と呼ばれる。…
※「真理」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」