デジタル大辞泉
「貧乏物語」の意味・読み・例文・類語
びんぼうものがたり〔ビンボフものがたり〕【貧乏物語】
載。翌年刊。貧困の現状、原因、救済策を論じた3編からなる。後年、救済策が不徹底として、著者みずから絶版とした。
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びんぼうものがたりビンバフ‥【貧乏物語】
(一)評論。河上肇(はじめ)著。大正五年︵一九一六︶大阪朝日新聞に連載され、翌年刊。貧困を社会問題としてとらえ、その実情と原因と救済策を論述した日本の経済学史上の古典的名著。救済策の不徹底を理由に同八年著者自身が絶版とし、マルクス主義の立場から昭和五年︵一九三〇︶﹁第二貧乏物語﹂を書いた。
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貧乏物語 (びんぼうものがたり)
河上肇︵かわかみはじめ︶の代表作の一つ。1916年︽大阪朝日新聞︾に︿貧乏物語断片﹀の題で連載,17年京都の弘文堂書房から出版。第1次大戦後の繁栄の裏側にある社会問題の所在を示した警世の書として多数の読者を得,中国語にも訳された。3部から成り,上編︿如何に多数の人が貧乏して居る乎﹀で,先進諸国における貧困の実態とその悪影響を解明,中編︿何故に多数の人が貧乏して居る乎﹀で,貧困が生ずるのは,奢侈︵しやし︶品の生産に資本や労働がまわされる結果必需品の生産が不十分となるからだとし,下編︿如何にして貧乏を根治し得べき乎﹀で,制度改造より人心改造が根本だという見地から,富豪に奢侈品消費の自制を訴える。この内容にその後マルクス主義へ近づいた河上自身不満をもち,30版で絶版としたが,そのヒューマニズムと名文とで今も︿岩波文庫﹀などで広く読まれている。なお,彼の︽第二貧乏物語︾︵1930︶はマルクス主義思想の解説書である。
執筆者‥杉原 四郎
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貧乏物語
びんぼうものがたり
河上肇(はじめ)の代表的著書。1916年︵大正5︶9月から12月まで﹃大阪朝日新聞﹄に連載され、翌年一冊にまとめて出版された。﹁如何(いか)に多数の人が貧乏しているか﹂﹁何故(なにゆえ)に多数の人が貧乏しているか﹂﹁如何にして貧乏を根治しうべきか﹂の三編からなり、第一次世界大戦を機とする資本主義の急激な発展に伴って顕在化した貧困問題を真正面から取り上げたものとして絶賛を博し大きな反響をよんだ。しかし奢侈(しゃし)の道徳的抑制という貧乏根治策には限界があり、河上は道徳問題ではなく社会問題としてとらえ直し、社会主義の研究へと進んだ。本書はその転回点ともなっており、19年絶版に付し、30年にはマルクス主義の立場から﹃第二貧乏問題﹄を著した。
﹇和田 守﹈
﹃﹃貧乏物語﹄︵岩波文庫︶﹄
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貧乏物語【びんぼうものがたり】
年︽大阪朝日新聞︾に掲載されて絶賛を博し1917年弘文堂から単行出版。貧乏の現状と原因を論じ奢侈(しゃし)の廃止などマルサス主義的解決策を提示,日本の経済学が社会政策から社会主義研究へ転回する契機となった。河上は1919年これを絶版に付し,1930年雑誌︽改造︾の別冊付録としてマルクス主義に基づいて︽第二貧乏物語︾を出版。
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貧乏物語
びんぼうものがたり
河上肇著。 1917年刊。初め『大阪朝日新聞』に連載 (1916) ,のちに刊本。下層社会の貧困を解決する方法として,富者の奢侈禁止,社会政策の採用と社会主義への移行をあげている。この時期の河上は民主主義の域を脱しきっていないが,大正期の被抑圧階層の経済的解放に一定の理論的指針を与えることにより,吉野作造の「憲政の本義」と並んで,大正デモクラシーの理論的支柱となった。
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貧乏物語
びんぼうものがたり
河上肇(はじめ)の著書。1917年(大正6)3月弘文堂刊。「大阪朝日新聞」連載の単行本化で,当時のベストセラーの一つ。上編「如何に多数の人が貧乏して居る乎」,中編「何故に多数の人が貧乏して居る乎」,下編「如何にして貧乏を根治し得べき乎」の3編からなる。河上は貧乏根治策として社会改造より人心改造を優先させていたため,19年に河上自身の手で絶版としたが,その後のマルクス主義への接近の起点となった。
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貧乏物語
びんぼうものがたり
大正時代,河上肇の経済評論
1917年刊。『大阪朝日新聞』に連載。貧乏人の現状,原因・救済などを論じたもので,まだマルクス主義の立場をとっておらず,イギリス経済学のマルサス主義により,貧乏の根絶は奢侈の廃止によって達成できると主張している。のちマルクス主義の立場から『第二貧乏物語』が書かれた。
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世界大百科事典(旧版)内の貧乏物語の言及
【河上肇】より
…08年京大講師に招かれ,15年教授に昇進。《大阪朝日新聞》に連載後公刊した《[貧乏物語]》(1917)で文名大いにあがる。19年個人雑誌《社会問題研究》を創刊してマルクス主義の研究と普及に努め,さらに《資本主義経済学の史的発展》(1923)に対する櫛田民蔵の批判を機に,マルクス主義哲学に研究を進めるとともに,漸次実践運動とのかかわりも生じる。…
【経済学】より
…この経済学のもつ二面性が,経済学の内容をいっそう複雑なものとするとともに,数多くの,そしてときとしては矛盾するような学説を生み出してきた主要因であるといってよい。日本での経済学入門書として最も優れた書物の一つに河上肇の︽[貧乏物語]︾(1917)がある。この書物を読むと,貧困の問題が現在もなお経済学の中心的な課題であることをつよく感じざるをえない。…
※「貧乏物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」