アルジェリア
- アルジェリア民主人民共和国
- الجمهورية الجزائرية الديمقراطية الشعبية(アラビア語)
ⵜⴰⴳⴷⵓⴷⴰ ⵜⴰⵎⴳⴷⴰⵢⵜ ⵜⴰⵖⵔⴼⴰⵏⵜ ⵜⴰⴷⵣⴰⵢⵔⵉⵜ(ベルベル語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:من الشعب و للشعب
(アラビア語: 人々により、そして人々のために) - 国歌:قسما(アラビア語)
誓い -
公用語 アラビア語・ベルベル語派 首都 アルジェ 最大の都市 アルジェ 独立
- 日付フランスより
1962年7月5日通貨 アルジェリア・ディナール(DZD) 時間帯 UTC(+1) (DST:なし) ISO 3166-1 DZ / DZA ccTLD .dz 国際電話番号 213
概要 編集
国名 編集
正式名称は、اَلْجُمهُورِيَّة اَلْجَزَائِرِيَّة اَلدِّيمُقرَاطِيَّة اَلشَّعبِيَّة ︵ラテン文字転写: al-Jumhūrīya al-Jazā'irīya al-Dīmuqrātīya al-Shaʿbīya︶。アラビア語における通称はアル=ジャザーイルالجَزَائِرُ (al-Jazā'ir)。 日本語表記は、アルジェリア民主人民共和国。通称アルジェリアで、英語名 Algeria に由来する。漢語表記は、阿爾及利亜または阿爾及。 アラビア語の国名は、首都アルジェのアラビア語名 الجزائر (アル=ジャザーイル) に由来する。両者ともに同じ綴り・発音で、国名については﹁アルジェがある国﹂のような意味合いを持つ。オスマン帝国時代にアルジェ含む一帯を都市と同名で呼んだのが起源で、南方の砂漠地帯と共にフランス領となった際にもその呼び名が引き継がれた。 英語名 Algeria は、アルジェのフランス語名である Alger に地名語尾の -ia を付して作られたもので、﹁アルジェの国﹂のような意味合いを持つ。 末尾に﹁人民共和国﹂とあるが、これはかつて社会主義を標榜していたからであって、現在は実質的に社会主義を放棄している。歴史 編集
古代アルジェリア 編集
イスラーム帝国期 編集
8世紀にウマイヤ朝などアラブ人イスラーム勢力が侵入し、イスラーム化した。アルジェリアには内陸部にルスタム朝が栄え、イスラーム化と共に住民のアラブ化も進み、11世紀のヒラール族の侵入によって農村部でのアラブ化が決定的になった。 イスラーム化した後もある程度の自治は保ち続けた。西から進出したムラービト朝、ムワッヒド朝の支配を経た後に、1229年にハフス朝が成立。1236年にトレムセンを都としたザイヤーン朝が成立した。オスマン帝国領アルジェリア期 編集
フランス領アルジェリア期 編集
独立 編集
1962年7月5日にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成し、8月4日に誕生した初代のベン・ベラ大統領は社会主義政策を採り、キューバ革命後のキューバと共に非同盟運動と世界革命路線を推進した。一方、独立によってトゥアレグ族居住地がアルジェリアとマリ、ニジェールに分割されていたが、域内アガデス州のアーリットとアクータ鉱山から産出する、冷戦下で重要性が高まっていたウランを巡って、第1次トゥアレグ抵抗運動︵1962年-1964年︶が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。1963年10月、西サハラ国境︵ティンドゥフ県、ベシャール県︶をめぐる砂戦争でモロッコと交戦した。 1965年にウアリ・ブーメディエンが軍事クーデターでベン・ベラ政権を打倒し、ベン・ベラを幽閉した。ブーメディエンは、現実的な国造りを進め、社会主義政策に基づいて経済成長を達成した。1976年1月、西サハラのアムガラでモロッコと交戦︵第1次アムガラの戦い (1976年)︶し、西サハラ戦争︵1975年 - 1991年︶にサハラ・アラブ民主共和国︵1976年2月独立︶側で参戦した。1978年にブーメディエンが死去した後、1980年代に入ると民族解放戦線︵FLN︶の一党制によるアラブ人主導の国造りに対して、ベルベル人からの反発が高まった。 進行していた経済危機の影響もあって1989年に憲法が改正され、複数政党制が認められた。1980年代後半からシャドリ・ベンジェディード政権でのFLNによる一党制や経済政策の失敗に不満を持った若年層を中心にイスラーム主義への支持が進み、1991年の選挙でイスラム原理主義政党のイスラム救国戦線︵FIS︶が圧勝したが、直後の1992年1月に世俗主義を標榜した軍部主導のクーデターと国家非常事態宣言によって、選挙結果は事実上無効になった。このクーデターにより国内情勢は不安定化し、軍とイスラム原理主義過激派の武装イスラム集団︵GIA︶とのアルジェリア内戦︵1991年12月26日 - 2002年2月8日︶により10万人以上の犠牲者が出た。内戦末期の1998年9月にはGIAから﹁説教と戦闘の為のサラフィー主義者集団﹂︵GSPC、2007年以降はイスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構︶が誕生した。 1995年に大統領に就任したリアミール・ゼルーアル大統領は2000年の任期満了を待たずに辞任したため、1999年4月に行われた大統領選挙でアブデルアジズ・ブーテフリカ大統領が選出された。一時、国情が沈静化しつつあったものの、北部や東部ではAQIM︵イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ組織︶によるテロが頻発し、犠牲者が多数出ており、その後も国家非常事態宣言は発令されたままの状況が続いた。 2004年、トランス・サハラにおける不朽の自由作戦に加わった。2009年4月9日大統領選挙が行われ、ブーテフリカ大統領が90.24%で3選されたと同国内務省が10日発表した。任期は5年。投票率は70.11%であった。 2010年-2011年アルジェリア騒乱が発生したこともあり、発令より19年が経過した2011年2月24日になってようやく国家非常事態宣言が解除された[3]。 2013年1月16日、イリジ県イナメナスにある天然ガス関連施設でアルジェリア人質事件が起こった。 2019年、5回目の再選を目指すブーテフリカ大統領に対する大規模抗議運動︵en:2019 Algerian protests︶が起き、ブーテフリカは続投を断念することとなった。その結果、同年の大統領選に立候補していた元首相のアブデルマジド・テブンが当選を果たした。 2021年8月24日、カビリー地方の独立運動やアルジェリア国内の山火事にモロッコが関与しているとして、アルジェリアはモロッコとの国交断絶を宣言した[4]。断交の背景には、西サハラの領有権を主張するモロッコと、サハラ・アラブ民主共和国としての独立を主張するポリサリオ戦線を支援しているアルジェリアの対立がある[5]。政治 編集
元首 編集
行政 編集
行政府の長は首相で、大統領が任命する。首相は各大臣を任命する権限がある。1995年以降は複数候補による大統領選挙が行われている。
立法 編集
国際関係 編集
基本政策は非同盟中立、アラブ連帯であり、1960年代から1970年代まではキューバや北ベトナムと共に第三世界諸国の中心的存在だったが、1979年のシャドリ政権以降は現実主義・全方位外交を基調としている。近年はG8諸国を中心に先進国との外交活動を積極的に推進している。これはここ数年のアルジェリアはテロのイメージが強く、それを払拭するためである。この努力の結果、アルジェリアへのイメージも改善されてきている。
アフリカ諸国、アラブ諸国の中心的存在にある国の一つであり、アフリカ連合(AU)、アラブ・マグレブ連合、アラブ連盟に加盟している。2005年にはアラブ連盟の議長国を務め、国連の非常任理事国にも度々選出されている。
モロッコとの関係 編集
日本との関係 編集
日本との関係においては、独立戦争を全学連[12] や宇都宮徳馬、北村徳太郎らが支援したことをきっかけに、独立後も友好的な関係が築かれた。アルジェリアは日本企業に多くの開発事業を発注し、1978年には日本人在留者(在アルジェリア日本人)が3,234人に達するなど[13]、日本にとって最も関わりの深いアラブの国となったが、1990年代の内戦勃発以後日本人在留者の数は急速に減少した。
2011年東日本大震災において8億3510万円(世界6位)の義援金を日本に贈る。
国家安全保障 編集
地理 編集
気候 編集
地方行政区分 編集
アルジェリアは58のウィラーヤ(県)、547のダイラ(郡)と1,541のバラディヤ(基礎自治体)に分けられている。各県の県名は、最大都市の名前からとられている。
主要都市 編集
経済 編集
観光 編集
交通 編集
国民 編集
人口の約90%は、北部の地中海沿岸地域に住んでいる。また、人口の約半分が都市部に住んでいる。人口の30%が15歳以下である。義務教育は6歳から16歳までで、全て無料である。人口増加率はアフリカ諸国の中では比較的少ない。平均寿命は73.26歳であり、内訳は男性は71.68年、女性は74.92年となっている。独立後イスラーム法に基づいた家族法の下で、アルジェリアでは一夫多妻制が継続された。2005年の新家族法公布によって女性の地位は以前に比べれば向上したが、それでも一夫多妻制は一定の条件の下で合法のままとされた。
民族 編集
言語 編集
婚姻 編集
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宗教 編集
国民が信仰する宗教は、99%がイスラム教で、そのほとんどがスンナ派である。イバード派もわずかに存在し、ムザブ人などのベルベル人がこれに属す。また、キリスト教徒やユダヤ教徒もわずかに存在する。キリスト教最大の教父ヒッポのアウグスティヌスはアルジェリアの生まれだった。
教育 編集
保健 編集
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医療 編集
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治安 編集
アルジェリアの治安は不安定となっている。2019年4月から2度にわたり延期されていた大統領選挙が同年12月12日に実施された結果、テブンが当選し同月19日に大統領へ就任したが、その際の組閣後も金曜日の民衆デモ及び火曜日の学生デモは継続される見込みとなっていて緊張状態が続いている。それに伴い、デモなどの抗議行動が予定されている地域は非常に危険な状況にあり、安全面の確保からもその地域に近付かないよう努めなければならない。
傍らで一般犯罪は引き続き多発しており、侵入盗(強盗、窃盗)や自動車盗、車上狙いや引ったくりの他、誘拐や薬物犯罪などが増加していることから注意する必要が求められている。さらに最近の原油の国際価格低迷による経済悪化が同国の治安に及ぼす影響も懸念されている。
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人権 編集
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マスコミ 編集
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文化 編集
食文化 編集
アルジェリア料理は他のマグレブ諸国の料理と同様、地中海沿岸産の果物や野菜、さらには幾つかの熱帯の果物や野菜を生産している為、バリエーションが非常に豊かなものとなっている。同国料理で使用されるスパイスは多種多様で、一部には乾燥させた赤唐辛子が用いられている。
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文学 編集
哲学 編集
古代において、最大の教父と呼ばれ、キリスト教思想や西欧哲学に大きな影響を与えたアウグスティヌスは現アルジェリアの生まれだった。 中世においてはアルジェリア生まれではないが、チュニス生まれでイスラーム世界最大の学者と呼ばれるイブン=ハルドゥーンは﹃歴史序説﹄をイブン・サラーマ城︵現ティアレット県ティアレット︶で著した[28]。また、20世紀後半において脱構築というシニフィアンを初めて唱えたジャック・デリダもアルジェリア生まれのユダヤ人だった。ポストコロニアリズムの先駆者となったマルティニーク生まれのフランツ・ファノンもまたアルジェリアで書いた。音楽 編集
映画 編集
アルジェリア出身の代表的な映像作家としては、モハメド・ラフダル・ハミナ、メフディ・シャレフ、メルザック・アルアーシュなどが挙げられる。
アルジェリア人によるものではないがアルジェリアを舞台にし、アルジェリア戦争を描いた映画として、イタリアのジロ・ポンテルコロポによる『アルジェの戦い』(1966年)やフランスのフローラン=エミリオ・シリによる『いのちの戦場 -アルジェリア1959-』(2007年)などが挙げられる。
世界遺産 編集
アルジェリア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、複合遺産が1件存在する。
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ベニ・ハンマードの城塞 -(1980年)
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ムザブの谷 -(1982年)
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ジェミラ -(1982年)
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ティムガッド -(1982年)
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アルジェのカスバ -(1992年)
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タッシリ・ナジェール -(1982年)
祝祭日 編集
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | رأس السنة الميلادية | |
5月1日 | メーデー | عيد العمّال | |
7月5日 | 独立記念日 | عيد الاستقلال والشباب | |
11月1日 | 革命記念日 | ذكرى الثورة الجزائرية |
この他にイスラーム教の祝祭日がある。
スポーツ 編集
サッカー 編集
アルジェリア国内では植民地時代にフランスからもたらされたサッカーが、1番人気のスポーツとなっている。サッカーアルジェリア代表はFIFAワールドカップには1982年大会、1986年大会、2010年大会、2014年大会の4度出場している。中でも、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督に率いられた2014年大会では、初めてグループリーグを突破しベスト16に進出した。
アルジェリアで人気のサッカー選手であり、世界的にも有名なドリブラーのリヤド・マフレズは、マンチェスター・シティの中心選手として活躍している。また、レスター・シティ所属時代の2016年にはジェイミー・ヴァーディや岡崎慎司らと、クラブ創設132年目にして初のプレミアリーグ優勝という歴史的なメンバーの一員となった。
オリンピック 編集
著名な出身者 編集
脚注 編集
参考文献 編集
●シャルル=ロベール・アージュロン 著、私市正年、中島節子 訳﹃アルジェリア近現代史﹄白水社、東京︿文庫クセジュ857﹀、2002年11月。ISBN 4-560-05857-1。 ●川田順造﹃マグレブ紀行﹄中央公論社、東京︿中公新書246﹀、1971年1月。 ●私市正年編﹃アルジェリアを知るための62章﹄明石書店、東京︿エリア・スタディーズ﹀、2009年4月。ISBN 978-4-7503-2969-7。 ●日本長期信用銀行調査部﹃アルジェリアの経済開発──新五ケ年計画の現状と今後の展望﹄勁草書房、東京、1984年3月。 ●福井英一郎 編﹃アフリカI﹄朝倉書店、東京︿世界地理9﹀、2002年9月。ISBN 4-254-16539-0。 ●宮治一雄﹃アフリカ現代史V﹄︵2000年4月第2版︶山川出版社、東京︿世界現代史17﹀。ISBN 4-634-42170-4。関連項目 編集
●アルジェリア関係記事の一覧外部リンク 編集
政府
- アルジェリア民主人民共和国大統領府 (アラビア語)(フランス語)
日本政府
- 日本外務省 - アルジェリア (日本語)
- 在アルジェリア日本国大使館 (日本語)(フランス語)
観光その他
- アルジェリア政府観光局 (英語)
- JCCME - アルジェリア
- 日本-アルジェリアセンター
- 『アルジェリア』 - コトバンク
- アルジェリアに関連する地理データ - オープンストリートマップ
- ウィキトラベル旅行ガイド - アルジェリア (日本語)
- アルジェリアのウィキメディア地図 (英語)
- ウィキボヤージュには、アルジェリア(英語)に関する旅行情報があります。
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