吉村虎太郎

幕末の土佐藩出身の志士

  84181837522 - 39271863118[1]
吉村 虎太郎
生年 天保8年4月18日1837年5月22日
生地 土佐国高岡郡芳生野村
没年 文久3年9月27日1863年11月8日
没地 大和国吉野鷲家谷
活動 倒幕
土佐藩脱藩
所属 天誅組
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土佐藩の庄屋であったが尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋騒動で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇大和行幸の先駆けとなるべく京都で中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変

生涯 編集

脱藩まで 編集


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史跡等 編集

  • 「吉村虎太郎生誕之地碑」- 高知県高岡郡津野町北川
  • 「吉村虎太郎宅跡」- 高知県高岡郡津野町北川
  • 「吉村虎太郎像」- 高知県高岡郡津野町新田
  • 「吉村虎太郎邸」- 高知県高岡郡津野町芳生野、ガイダンス施設[6]
  • 「掛橋和泉邸(吉村虎太郎庄屋跡)」 - 高知県高岡郡梼原町梼原[7]
  • 「天誅組 吉村寅太郎寓居跡」 - 京都府京都市中京区三条木屋町上る上大阪町[8]
  • 「吉村寅太郎辞世句碑」- 奈良県吉野郡東吉野村鷲家
  • 「吉村寅太郎原瘞処(げんえいしょ)」- 奈良県吉野郡東吉野村鷲家、吉村寅太郎が最初に葬られた場所

その他 編集

吉村虎太郎最期の地である奈良県東吉野村は、吉村の出身地である高知県津野町と姉妹村提携を結んでおり、所縁の地である高知県檮原町とは友好町村となっている。

登場作品 編集

小説
漫画
テレビドラマ
テレビアニメ

脚注 編集

  1. ^ 没後に親族が宮内庁に「寅太郎」と届け出て贈位されたため。生前の自筆文書などではほとんど「虎太郎」と記載されている。(舟久保藍、『実録 天誅組の変』)
  2. ^ この時、吉村は大和国の剣の達人杉野素郎助一騎討ちの末に討ち取ったとされるが、杉野は後に十津川文武館の教師となっているので誤りである。
  3. ^ 高知県護国神社
  4. ^ 「南山踏雲録」
  5. ^ 「生きている歴史 P74」
  6. ^ 土佐四傑 吉村虎太郎邸
  7. ^ 雲の上の町ゆすはら観光情報
  8. ^ 京都観光Navi
  9. ^ 近藤長次郎の青年期役も兼任

参考文献 編集

  • 大岡昇平 『天誅組』『吉村虎太郎』(『大岡昇平全集 (8) 』収録、筑摩書房、1995年)ISBN 4480702687
  • 福地重孝 『幕末維新人物100選』 (秋田書店、1972年)
  • 坂本犬之介『天誅組』(『歴史群像 2006年12月号』、学研)
  • 舟久保藍 『実録 天誅組の変』淡交社

関連項目 編集

外部リンク 編集