「オイゲン・ヨッフム」の版間の差分
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'''オイゲン・ヨッフム'''︵{{lang|de| |
'''オイゲン・ヨッフム'''︵{{lang|de|Eugen Jochum}}、[[1902年]][[11月1日]] - [[1987年]][[3月26日]]︶は、[[ドイツ]]の[[指揮者]]。[[ドイツ帝国]]、[[バイエルン王国]]{{仮リンク|バーベンハウゼン (シュヴァーベン)|de|Babenhausen (Schwaben)|label=バーベンハウゼン}}︵現在は[[バイエルン州]]・[[シュヴァーベン行政管区]]︶生まれ、[[ミュンヘン]]郊外トゥッツィングで死去。{{没年齢|1902|11|1|1987|3|26}}。[[日本放送協会|NHK]]で演奏が紹介される際には、'''オイゲン・ヨーフム'''と表記されていた。
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== 人物・来歴 == |
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== レパートリー == |
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[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]から[[カール・オルフ|オルフ]]までのドイツ・[[オーストリア]]音楽を得意としており、オーソドックスでありながら常に新鮮さを失わない演奏を聴かせた。特に[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の権威([[レオポルト・ノヴァーク|ノヴァーク]]版を使用)で、国際ブルックナー協会の会長もつとめた。ブルックナー交響曲全集を2度完成したほか(ただし[[交響曲第0番 (ブルックナー)|第0番]]は両方とも含まれていない)、ミサ曲全曲などの宗教曲集の録音もある。最晩年の[[1986年]]には、かつて首席指揮者を務めていたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]])を指揮して、同管弦楽団本拠地のコンセルトヘボウにおいて、自身得意としていたブルックナーの[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]で、自身のブルックナー演奏の総決算とも言える演奏を遺している。また、 |
[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]から[[カール・オルフ|オルフ]]までのドイツ・[[オーストリア]]音楽を得意としており、オーソドックスでありながら常に新鮮さを失わない演奏を聴かせた。特に[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の権威([[レオポルト・ノヴァーク|ノヴァーク]]版を使用)で、国際ブルックナー協会の会長もつとめた。ブルックナー交響曲全集を2度完成したほか(ただし[[交響曲第0番 (ブルックナー)|第0番]]は両方とも含まれていない)、ミサ曲全曲などの宗教曲集の録音もある。最晩年の[[1986年]]には、かつて首席指揮者を務めていたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]])を指揮して、同管弦楽団本拠地のコンセルトヘボウにおいて、自身得意としていたブルックナーの[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]で、自身のブルックナー演奏の総決算とも言える演奏を遺している。また、今や第一級の人気曲である[[カール・オルフ]]の『[[カルミナ・ブラーナ]]』の名録音を残し、この曲の魅力を天下に知らしめたのもヨッフムの大きな功績である。[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]や[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の交響曲全集、[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]の[[ロンドン交響曲 (ハイドン)|ロンドン交響曲]]集などの録音も高く評価されている。しかし、同時代のドイツ語圏の指揮者である[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]や[[カール・ベーム|ベーム]]に比べると生前の人気はふるわなかった。前半生は北ドイツを、後半生は南ドイツを中心に活躍したが、生地でもあるバイエルン~オーストリアの特質を反映した、明るい伸びやかさを湛えた南ドイツ風サウンドを持ち味とした。 |
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レコード会社としては[[ドイツ・グラモフォン]]と[[EMI]]に多くの録音を残したほか、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]])との録音などが[[フィリップス・レコード|フィリップス]]に、最晩年の[[バンベルク交響楽団]]との[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]や[[リヒャルト・シュトラウス]]の録音が[[RCA]]に行われた。ドイツ・グラモフォンには上記の1回目のブルックナー交響曲全集、ブルックナー宗教曲集、『カルミナ・ブラーナ』、ロンドン交響曲集のほか、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』、モーツァルトの『[[レクイエム (モーツァルト)|レクイエム]]』などの録音がある。[[エドワード・エルガー|エルガー]]の『[[エニグマ変奏曲]]』、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の『[[大地の歌]]』の録音も存在する。EMIには2回目のブルックナー交響曲全集、ベートーヴェン及びブラームスの交響曲全集を録音。 |
レコード会社としては[[ドイツ・グラモフォン]]と[[EMI]]に多くの録音を残したほか、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]])との録音などが[[フィリップス・レコード|フィリップス]]に、最晩年の[[バンベルク交響楽団]]との[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]や[[リヒャルト・シュトラウス]]の録音が[[RCA]]に行われた。ドイツ・グラモフォンには上記の1回目のブルックナー交響曲全集、ブルックナー宗教曲集、『カルミナ・ブラーナ』、ロンドン交響曲集のほか、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』、モーツァルトの『[[レクイエム (モーツァルト)|レクイエム]]』などの録音がある。[[エドワード・エルガー|エルガー]]の『[[エニグマ変奏曲]]』、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の『[[大地の歌]]』の録音も存在する。EMIには2回目のブルックナー交響曲全集、ベートーヴェン及びブラームスの交響曲全集を録音。 |
2019年11月4日 (月) 12:16時点における版
オイゲン・ヨッフム Eugen Jochum | |
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オイゲン・ヨッフム(1982年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1902年11月1日 |
出身地 | ドイツ帝国・バイエルン王国 バーベンハウゼン |
死没 |
1987年3月26日(84歳没) 西ドイツ・バイエルン州 トゥッツィング |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
人物・来歴
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生い立ち
年譜
- 1926年 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー
- 1927-1929年 キール歌劇場音楽監督
- 1929-1930年 マンハイム国立歌劇場音楽総監督
- 1930-1932年 デュースブルク市音楽総監督
- 1932-1934年 ベルリン放送交響楽団首席指揮者
- 1934-1949年 ハンブルク州立歌劇場音楽総監督(ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者と兼任)
- 1949-1960年 バイエルン放送交響楽団首席指揮者
- 1961-1964年 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者(ベルナルト・ハイティンクと共同)
- 1968-1971年 バンベルク交響楽団芸術顧問
- 1971-1973年 バンベルク交響楽団首席指揮者
- 1977年 ロンドン交響楽団桂冠指揮者
家族
弟のゲオルク・ルートヴィヒ・ヨッフムも指揮者であり、娘ヴェロニカはピアニストである。
レパートリー
業績
脚注
注釈・出典
- ^ Obituary for Eugen Jochum (1987). The Musical Times, 128 (1732): 346.
- ^ “Jochum, Brüder Eugen: - Österreichisches Musiklexikon”. Österreichischen Akademie der Wissenschaften. 2017年7月29日閲覧。
ポスト
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